芭蕉と伊賀 -芭蕉生誕360年-
  芭蕉翁記念館 参考文献 サイトマップ 問い合わせ
ホーム 芭蕉の故郷「伊賀上野」 芭蕉作品集 芭蕉の足跡 伊賀上野芭蕉史跡ガイド 芭蕉祭の紹介
芭蕉旅遊の記録
芭蕉足跡 行程の詳細
芭蕉の行程全体図
野ざらし紀行(41歳〜42歳)
鹿島詣(44歳)
笈の小文(44歳〜45歳)
更科紀行(45歳)
奥の細道(46〜47歳)
嵯峨日記(48歳)
芭蕉最後の旅(51歳)
芭蕉の足跡
HOME > 芭蕉の足跡 > 野ざらし紀行
芭蕉の足跡 野ざらし紀行
野ざらし紀行
>>拡大地図はこちら
 

「野ざらし紀行」(1684〜1685) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。

  日本の出来事 世界の出来事
1684年 渋川春海貞亨暦作成。
徳川吉宗が誕生。
 
1685年 近松門左衛門『出世景清』発表。 フランス国王ルイ14世、ナントの勅令廃止。
作曲家ヘンデルが生まれる(〜1759)。
貞亭元年(1684)41歳
8月中旬  江戸を発つ
  野ざらしを こころに風の しむ身かな
  道のべの 木槿は馬に 食はれけり
20日過ぎ  小夜の中山を越える。伊勢に10日ほど滞在。
月末  伊勢下宮に参拝。約10日間逗留。

 暮れて外宮に詣侍りけるに、一の華表の影ほの暗く、御灯ところどころ見えて、
 また上もなき峰の松風、身にしむばかり深き心を起して
 みそか月なし 千年の杉を 抱く嵐

 西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに
 芋洗ふ女 西行なら 歌よまむ


 ある茶店に立ち寄りけるに、蝶と言ひける女、あが名に発句せよと言ひて白き絹出
  だしけるに書き付け侍る
 蘭の香や てふの翅に たき物す

 伊勢山田にて、芋洗ふと云ふ句を和す
  ばせをと答ふ風の破笠
  秋にしをるる蝶のくづほれ

 閑人の茅舎を訪ひて
 蔦植ゑて 竹四五本の あらし哉
9月8日  伊賀に帰る。和国(奈良)を行脚、吉野へ。とくとくの清水など訪ねる。4、5日逗留。
 長月の初め古郷に帰りて(亡母の白髪を拝む・・・【後略】)
 手にとらば 消んなみだぞ 熱き秋の霜
下旬  大和、吉野、山城を経て近江路から不破の関、大垣へ。
10〜11月  木因同道で伊勢桑名郡権現に参詣。次いで桑名本統寺住職琢恵を訪う。
  いかめしき 音や霰の 檜木笠
 宮守よ わが名をちらせ 木葉川


 桑名本統寺にて
 冬牡丹 千鳥よ雪の ほとゝぎす

 海上に遊ぶ日は手づから蛤を拾うて、白魚をすくふ。逍遥船にあまりて地蔵堂に
 書す。
 雪薄し 白魚しろき 事一寸


 霜月初め、白魚
 明ぼのや しら魚しろき こと一寸  
下旬  桑名から熱田へ、熱田神宮参拝。林桐葉亭に逗留。名古屋にでて、再び熱田。
 海暮れて 鴨の声 ほのかに白し
12月25日  伊賀に帰り越年する。
 年暮れぬ 笠着て草鞋 はきながら
貞亭2年(1685)42歳
1月  伊賀で越年   改旦。
 誰が聟ぞ 歯朶に餅おふ  うしの年
 子の日しに 都へ行ん 友もがな
 作影亭ニテ梅鳥ノ画屏ヲ見テノ作
 旅がらす 古巣はむめに なりにけり


 奈良への途次
 春なれや 名もなき山の 薄霞
2月  奈良東大寺二月堂のお水取りを拝す。
 水取りや 氷の僧の 沓の音
下旬  京都へ。鳴滝の三井松風山壮に遊ぶ。
3月上旬  伏見西岸の任口上人を訪ねる。
中旬  大津へ。初めての大津で数日間滞在。水口から名古屋、熱田へ。
 山路来て 何やらゆかし すみれ草
 辛崎の 松は花より 朧にて
4月10日  鳴尾を立って関東へ下る。
下旬  江戸の庵に帰着。
※参考、「芭蕉を歩く東海道・中山道」、「芭蕉翁記念館ホームページ: 松尾芭蕉(三重での行動)」
 
ページトップへ
芭蕉と伊賀