「野ざらし紀行」(1684〜1685) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。 |
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日本の出来事 |
世界の出来事 |
1684年 |
渋川春海貞亨暦作成。
徳川吉宗が誕生。
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1685年 |
近松門左衛門『出世景清』発表。 |
フランス国王ルイ14世、ナントの勅令廃止。
作曲家ヘンデルが生まれる(〜1759)。 |
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貞亭元年(1684)41歳 |
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8月中旬 |
江戸を発つ
野ざらしを こころに風の しむ身かな
道のべの 木槿は馬に 食はれけり |
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20日過ぎ |
小夜の中山を越える。伊勢に10日ほど滞在。 |
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月末 |
伊勢下宮に参拝。約10日間逗留。
暮れて外宮に詣侍りけるに、一の華表の影ほの暗く、御灯ところどころ見えて、
また上もなき峰の松風、身にしむばかり深き心を起して
みそか月なし 千年の杉を 抱く嵐
西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに
芋洗ふ女 西行なら 歌よまむ
ある茶店に立ち寄りけるに、蝶と言ひける女、あが名に発句せよと言ひて白き絹出
だしけるに書き付け侍る
蘭の香や てふの翅に たき物す
伊勢山田にて、芋洗ふと云ふ句を和す
ばせをと答ふ風の破笠
秋にしをるる蝶のくづほれ
閑人の茅舎を訪ひて
蔦植ゑて 竹四五本の あらし哉 |
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9月8日 |
伊賀に帰る。和国(奈良)を行脚、吉野へ。とくとくの清水など訪ねる。4、5日逗留。
長月の初め古郷に帰りて(亡母の白髪を拝む・・・【後略】)
手にとらば 消んなみだぞ 熱き秋の霜 |
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下旬 |
大和、吉野、山城を経て近江路から不破の関、大垣へ。 |
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10〜11月 |
木因同道で伊勢桑名郡権現に参詣。次いで桑名本統寺住職琢恵を訪う。
いかめしき 音や霰の 檜木笠
宮守よ わが名をちらせ 木葉川
桑名本統寺にて
冬牡丹 千鳥よ雪の ほとゝぎす
海上に遊ぶ日は手づから蛤を拾うて、白魚をすくふ。逍遥船にあまりて地蔵堂に
書す。
雪薄し 白魚しろき 事一寸
霜月初め、白魚
明ぼのや しら魚しろき こと一寸 |
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下旬 |
桑名から熱田へ、熱田神宮参拝。林桐葉亭に逗留。名古屋にでて、再び熱田。
海暮れて 鴨の声 ほのかに白し |
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12月25日 |
伊賀に帰り越年する。
年暮れぬ 笠着て草鞋 はきながら |
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貞亭2年(1685)42歳 |
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1月 |
伊賀で越年 改旦。
誰が聟ぞ 歯朶に餅おふ
うしの年
子の日しに 都へ行ん 友もがな
作影亭ニテ梅鳥ノ画屏ヲ見テノ作
旅がらす 古巣はむめに なりにけり
奈良への途次
春なれや 名もなき山の 薄霞 |
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2月 |
奈良東大寺二月堂のお水取りを拝す。
水取りや 氷の僧の 沓の音 |
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下旬 |
京都へ。鳴滝の三井松風山壮に遊ぶ。 |
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3月上旬 |
伏見西岸の任口上人を訪ねる。 |
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中旬 |
大津へ。初めての大津で数日間滞在。水口から名古屋、熱田へ。
山路来て 何やらゆかし すみれ草
辛崎の 松は花より 朧にて |
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4月10日 |
鳴尾を立って関東へ下る。 |
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下旬 |
江戸の庵に帰着。 |
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