ちょっと歴史

『江戸川 乱歩

>>ちょっと歴史INDEX


2002.12.26掲載
<今回の歴史は名張市で生誕した「江戸川乱歩」について簡単にご紹介しましょう>

【乱歩の歴史】

日本の探偵小説を創始した江戸川乱歩(本名:平井太郎)は明治27年(1895年)10月21日、現在の名張市本町にて誕生(家族構成は父、母、祖母の4人家族)。その翌28年6月、父繁男の仕事の関係で、一家は亀山に転居。江戸川乱歩
その後3歳の時に一家は名古屋市に転居し、18歳まで名古屋で過ごしました。父親の事業の失敗により苦学をしいられますが、早稲田大学の予科に合格し、単身上京。そこで、ポーやドイルを読み、探偵小説の面白さを知った乱歩は「自治新聞」の編集に従事し、22歳で大学を卒業した後大阪の商社に入社。その後、職を転々とし、23歳の11月三重県鳥羽造船所に勤務。25歳で結婚。大正11年(1922年)28歳の時、筆名を江戸川乱歩とし、大正14年(1925年)31歳で『心理試験』『D坂の殺人事件』を発表。その後、『蜘蛛男』、短篇集『明智小五郎』、『陰獣』など数々の作品を生み出していき、昭和11年(1963年)42歳の時、初めての少年物「怪人二十面相」を連載。 その後も『新宝島』『幻影城』など30年近く続く活動にて数々の代表作を発表しながらも、 昭和40年(1965)7月28日、70歳で脳出血のため自宅にて逝去しました。

【乱歩と名張】

生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」であったと言われますが、晩年になってようやく名張の地を踏むことができました。

昭和30年(1955年)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地」碑が建立されました。 名張で江戸川乱歩生誕地碑の建立が企画されたのは、昭和27年の帰郷がきっかけになったとの事で、名張市民と乱歩が相談しながら準備を進め、かつての乱歩の生家跡に高さ約1.9メートルの石碑が建てられました。そこには、「江戸川乱歩生誕地」という文字と、乱歩の書いた「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉も刻まれています。

碑には
『江戸川乱歩(本名平井太郎)は明治二十七年十月二十一日 当時 名賀郡役所の書記であった平井繁男の長男としてこの地に生れた大正五年早稲田大学を卒業 同十二年処女作「二銭銅貨」を発表爾来多くの傑作を著わして日本近代探偵小説を創始しその分野を確立した』
と刻まれています。

生誕地碑
除幕式は昭和30年(1955)11月3日、乱歩夫妻の臨席のもと、盛大に催され、翌年発表された随筆「生誕碑除幕式」にて乱歩は、「たとえ生誕碑にもせよ、自分の碑の除幕式に列するなんて、あまり例のないことだろうと思うが、名張市というところが、従来中央で多少名を知られたような人を、一人も出していないために、私のようなものでも、珍らしがって取り上げてくれたのだろうと思う。市の企画とか、個人の金持の企画とかいうのでなく、町の人々が、自発的に六十年もごぶさたしていた私に対して、こういう好意を見せて下さったのは、実にありがたいことだと思っている」と語っています。

【乱歩が名張へ帰ってきた理由】

本格的な帰郷が果たされたのは昭和27年(1952)9月。乱歩は57歳で、探偵文壇の大御所になっていました。名張を訪れた目的は選挙の応援でした。お世話になった三重県上野市出身の代議士・川崎克氏の二男が選挙に出馬した為、応援演説を引き受けて名張に帰ってきたのです。この様子は翌28年に発表された随筆「ふるさと発見記」に詳しく記されています。

日本に探偵小説という新しいジャンルを創立し、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。

[代表作]

■心理試験
■人間椅子
■パノラマ島奇談 ■怪人二十面相
■少年探偵団 ■新宝島
■陰獣 ■石榴
■孤島の鬼 ■黄金仮面


■参考江戸川乱歩サイトはこちら
名張市ホームページ
江戸川乱歩の世界

2002.12.26掲載