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「上野」地名の由来

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「上野の名前ってどこから来たの?」「なんで上野って言うの?」「東京の上野と伊賀の上野の違いって?」というちょっとした疑問から上野の地名の由来ってなんだろうと考え、今回の歴史は上野の地名の起源をお話することにします。

 
このような歴史を語ろうとすると、必ず、「説」がいくつも出てきて結局どれが本当なのかは仮説でとどまり、確定的なものはなかったりするものです。地名の起源とは、土地と人間との関係から生まれるものであって、土地の景観や信仰など生活との関係につながってくる、自然に発生するものが常であるものと言われているのです。これは上野の地名の起源とて同じことなのです。


●現在言われている仮説をいくつか紹介しましょう。
 

一つはアイヌ語の高原、台地などの言葉から来たと言われるこの仮説。…ですが、アイヌ語が、こちらまで来ていたかどうかは不明ということで、難色を示す研究者もいるのだとか。

もう一つは「地名語語源辞典」からくるというもの。日本語の「ウエ」はもとは「ウぺ」でそれが、「ウヘ」から「ウエ」に変わっとされていて、英語やドイツ語などの古代高地の単語の変化などと関係があるのでは?とも言われています。この説と上で紹介した説の両説は、高原、丘陵などの語源を持っているので、どちらも共通点はあるのではないかなと思うのですが、今だ確固たる説は残念ながらないのです。

最後の一つは、これは江戸時代に出た説で、上下の比較から生まれたという説があるのです。比較から生まれる地名には上、下、東西南北などの相対関係があるのが通常とのことで、低地は早く開けた土地で開田が進んだ地であったが、これに比べて高いところの「ウエノ」は遅れて開発され、低地と区別したのではということで、低いところから見て「上」にあたる町という高・低を表し、区別され名づけられたのではないかという説です。確かに、高原というよりは、高い町ということで「ウエノ」という説が一番納得できる気がするのですが…。


●伊賀の上野と江戸の上野
上野というと、必ず対象となるのが、江戸の上野と伊賀の上野ではないでしょうか。「花の雲鐘は上野か浅草か」と芭蕉翁が句を読んだ上野は、江戸の上野のこと。ちなみに江戸の上野についても、もともと忍岡と言われる丘陵であったとのことなんです。江戸の始め、藤堂高虎がこの地を支配し、江戸屋敷を構えていたところで、家康がなくなったあと、寛永3年(1626年)上野の江戸屋敷の敷地内に家康を追悼しお堂を建てたのが上野東照宮の起源と言われ、この地形が高虎の伊賀の領土上野と同じ丘陵となっていたことから、上野の地名をうつしたと言われているのです。ということは、伊賀の上野の方が先にあったと考えてもおかしくないのではないでしょうか・・・。

参考文献提供:伊賀上野観光協会