| 正保元年(1644) 当歳 |
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現伊賀市に生まれる。出生月日は不詳。
幼名金作。宗房 |
| 明暦2年(1656) 芭蕉13歳 |
| 2月18日 |
父与左衛門没す。上野農人町の愛染院に葬る。 |
| 寛文2年(1662) 芭蕉19歳 |
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藤堂新七郎家に召抱えられたのはこの頃か。 |
| 12月末 |
はる とし いき こつごもり
春やこし 年や行けん 小晦日 |
| 寛文5年(1665) 芭蕉22歳 |
| 1月13日 |
藤堂蝉吟主催の貞徳翁十三回忌追善五吟百韻俳諧に一座。 |
| 寛文12年(1672) 芭蕉29歳 江戸市中居住期 |
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江戸に下る。 |
| 延宝4年(1676) 芭蕉33歳 |
| 6月20日頃 |
伊賀に帰着 一時京都にも出る。 |
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桑名何某の催しに応じて渡辺氏の方に会う。
なが え ど やま つき
詠むるや 江戸にはまれな 山の月
高畑市隠にて歌仙あり
ふじ かぜ おうぎ えどみやげ
富士の風や 扇にのせて 江戸土産
山岸氏半残に歌仙あり
ひゃくり き くもい したすずみ
百里来たり ほどは雲井の 下涼 |
| 7月2日 |
帰東に際し甥の桃印を連れて下る。 |
| 貞享元年(1684) 芭蕉41歳 野晒行脚期 |
| 8月末 |
伊勢に入る。約十日間逗留。
暮れて外宮に詣侍りけるに、一の華表の影ほの暗く、御灯ところどころ見えて、また上もなき峰の松風、身にしむばかり深き心を起して
つき ち すぎ だく
みそか月なし 千とせの杉を 抱あらし
西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに
いもあら をんな さいぎゃう うた
芋洗ふ女 西行ならば 哥よまむ
ある茶店に立ち寄りけるに、蝶と言ひける女、あが名に発句せよと言ひて白き絹出だしけるに書き付け侍る
らん か つばさ もの
蘭の香や てふの翅に たき物す
伊勢山田にて、芋洗ふと云ふ句を和す
ばせをと答ふ風の破笠
秋にしをるる蝶のくづほれ
閑人の茅舎を訪ひて
つたうゑ たけ し ご ほん かな
蔦植て 竹四五本の あらし哉 |
| 9月8日 |
伊賀上野に着。四、五日逗留。
長月の初め古郷に帰りて(亡母の白髪を拝む・・・【後略】)
て きえ あつ あき しも
手にとらば 消んなみだぞ 熱き秋の霜 |
| 11月上旬 |
木因同道で伊勢桑名郡権現に参詣。次いで桑名本統寺住職琢恵を訪う。
おと あられ ひのきがさ
いかめしき 音や霰の 檜木笠
みやもり な このはがわ
宮守よ わが名をちらせ 木葉川
桑名本統寺にて
ふゆぼたん ちどり ゆき
冬牡丹 千鳥よ雪の ほとゝぎす
海上に遊ぶ日は手づから蛤を拾うて、白魚をすくふ。逍遥船にあまりて地蔵堂に書す。
ゆきうす しらうお こといっすん
雪薄し 白魚しろき 事一寸
霜月初め、白魚
あけ うお いっすん
明ぼのや しら魚しろき こと一寸
熱田に移る日
ふく つ りりょう しちり なみ ゆき
鰒釣らん 李陵七里の 浪の雪
あそ き ふくつり しちりまで
遊び来ぬ 鰒釣かねて 七里迄
桑名から海上熱田に至る。林桐葉亭に逗留。 |
| 12月25日 |
再び伊賀へ帰郷。 |
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とし くれ かさ わらじ
年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら |
| 貞享2年(1685)
芭蕉42歳 |
| 1月 |
伊賀で越年
改旦
た むこ し だ もち とし
誰が聟ぞ 歯朶に餅おふ うしの年
ね び みやこ ゆか とも
子の日しに 都へ行ん 友もがな
作影亭ニテ梅鳥ノ画屏ヲ見テノ作
たび ふるす
旅がらす 古巣はむめに なりにけり
雅良亭
茶の湯に残る雪のひよ鳥 |
| 1月28日 |
伊賀・山岸半残宛書簡執筆
禰宜独り人は桜のまばら哉 |
| 春 |
大和竹内村に再遊。 |
| 2月中旬 |
奈良の薪能見物に赴く。この後一旦伊賀に戻る。 |
| 3月下旬 |
桑名郡本統寺に住職古益を尋ね、三日間逗留 |
| 3月26日 |
熱田に入る |
| 貞享4年(1687) 芭蕉44歳 笈の小文行脚期 |
| 10月25日 |
江戸発足。東海道筋を帰郷の途に就く。名古屋を出て伊賀に向かう。経路、佐屋廻り。桑名まで渡船。 |
| 12月末 |
伊賀上野に帰着。
ふるさと へそ お な くれ
旧里や 臍の緒に泣く としの暮 |
| 元禄元年(1688) 芭蕉45歳 |
| 1月1日 |
元日昼まで臥し、明ぼの見はづして
ふつか はな はる
二日にも ぬかりはせじな 花の春 |
| 1月9日 |
小川風麦亭の会
はる ここのか のやま
春たちて まだ九日の 野山かな |
| 二月上旬 |
伊勢神宮に赴く。(途中上野の郊外阿波庄まで旧友・宗七・宗無を同伴)
伊賀新大仏之記
ぢゃうろく たか いし うえ
丈六に かげろふ高し 石の上 |
| 2月4日 |
伊勢神宮参拝。滞在中、伊良胡崎から来た杜国と落ち合う。 |
| 2月上旬 |
神宮中津益光亭で、参宮の句を発句に八吟歌仙興行
なん き はな にほいかな
何の木の 花とはしらず 匂哉 |
| (同) |
網代民部雪堂亭に招かれ、発句・脇あり。
うめ き なほ き うめ はな
梅の木に 猶やどり木や 梅の花 |
| 2月10日 |
嵐朝宅に一泊。 |
| 2月11日 |
在嵐朝宅。 |
| 2月上中旬 |
杉風宛書簡を執筆。(近況と今後の予定を報ず。)
十八日、亡父三十三回忌に合わせて伊賀に戻ることや濁子一家への伝言も記す。
伊勢滞在中の吟会
紙ぎぬの ぬるともをらん 雨の花
園女亭
のうれんの 奥物ぶかし 北の梅
宿なき蝶をとむる若草
滞在中の発句
まれ こ ら たち
梅稀に 一もとゆかし 子良の舘
お こ ら ご ひと ゆか
御子良子の 一もと床し 梅の花
龍尚舎に逢う
まづ をぎ
物の名を 先とふ荻の わかばかな
まづ あし かな
物の名を 先とふ蘆の わか葉哉
二乗軒と言う草庵の会
つばき むぐら
やぶ椿 かどは葎の わかばかな
うゑ かど むぐら かな
いも植て 門は葎の わか葉哉
菩提山即時
やまでら つ
山寺の かなしさ告げよ ところ掘り
このやま つげ と こ ろほり
此山の かなしさ告よ 野老掘
楠部
さかづき どろ おと つばめ
盃に 泥な落しそ むら燕
十五日、外宮の舘にありて
かみがき ねはんぞう
神垣や おもひもかけず 涅槃像
二月十七日神路山を出づるとて
き さ ら ぎ
はだかには まだ衣更着の あらし哉 |
| 2月18日 |
伊賀の実家に帰る。亡父三十三回忌法要が営まれる。 |
| 2月19日 |
杜国・宗波来訪。宗七(造り酒屋)に手紙を持って接待用の酒一升を乞う。宗七は一泊のみ。 |
| 2月末 |
岡本苔蘇(木白)の瓢竹庵に入り、杜国と共に約二旬を過ごす。 |
| 3月11日 |
土芳の新庵に泊まる。 |
| 3月中旬 |
土芳庵訪問の折、面壁の達磨の画図に『蓑虫』の句を賛して与える。(蓑虫庵の由来)
土芳庵で句文を草す。
香ににほへ うにほる岡の 梅のはな |
| 春 |
旧主家藤堂探丸別邸の花見に招かれ、懐旧の句あり。探丸脇あり。これを自筆に揮毫して贈る。
さまざまの 事おもひ出す 桜かな
風麦子にて兼日の会に句を乞はれし時
あこくその 心もしらず 梅の花
伊賀の山家にありて
て ばな
手鼻かむ 音さへ梅の さかり哉
かれ芝や まだかげろふの 一二寸
かれしば
枯芝や ややかげろふの 一二寸
薬師寺月並初会
をり よき
初桜 折しもけふは 能日なり |
| 3月19日 |
瓢竹庵を出、万菊丸(杜国の戯号)を伴って吉野行脚の途に就く。
門出の吟、瓢竹庵に膝を入れて、旅の思ひいと安かりければ
花をやどに はじめをはりや はつかほど
旅立つ日
このほどを 花に礼いふ わかれ哉 |
| 元禄2年(1689) 芭蕉46歳 |
| 9月6日 |
曾良・路通同道で大垣出船。伊勢へ向けて揖斐川を下る。越人、船乗場まで見送る。 |
| |
伊勢長島に至り、大智院(住持は曾良の叔父秀精法師)に泊まる。
七左・玄忠・由軒ら来訪、芭蕉と逢う。 |
| 9月7日 |
伊勢長島、大智院に逗留。七左・八郎左・正焉・新内ら来訪。木因も来る。七左とは俳諧あり。夜、八郎左へいく。 |
| 9月8日 |
雨のため発足延期。七吟歌仙あり。
(連衆・路通・蘭夕・白之・残夜・芭蕉・曾良・木因) |
| 9月上旬 |
大智院滞在中、発句あり、色紙に揮毫する。
伊勢の国長島、大智院に信宿す
うきわれを さびしがらせよ 秋の寺 |
| 9月9日 |
長島出船。桑名下船。津着。 |
| 9月10日 |
久居・長禅寺(超善寺)に一宿。
卓袋宛書簡を書く。参宮後、同行者一両名(曾良・路通)と伊賀帰郷の予定を告げる。また、藤堂探丸から帰郷中は同家下屋敷を宿所にせよと申し出のあった件は遠慮したい旨も伝える。 |
| |
山岸重左衛門(半残)宛書簡(日付欠)を書いたのも同日のことと推定される。 |
| 9月11日 |
久居発、山田着。堤世古(現伊勢市宮川町)に一宿。 |
| 9月12日 |
西河原の島崎味右衛門(又玄)方へ宿所を移す。滞在の間、その妻女に「明智が妻」句文を贈る。
あけち はな
月さびよ 明智が妻の 咄しせん
この日、松葉七太夫方で大々神楽を拝す。この折、江戸才丸・京信徳らと出合う。曾良・路通のほか、卓袋・杜国・李下らの門人も同席したと思われる。 |
| 9月13日 |
内宮参拝。夜、遷宮式あり、奉拝。句あり。
内宮は事納まりて、外宮の遷宮拝み侍りて
尊さに 皆おしあひぬ 御遷宮 |
| 9月14日 |
外宮参拝。また天岩戸・月夜見宮へも詣でる。 |
| 9月15日 |
曾良、病気のため長島へ帰る。見送りの為、路通と共に中ノ郷まで行く。木因宛に書簡執筆。遷宮奉拝のこと、神楽拝に才丸、信徳や門人らと寄り合ったことを記す。 |
| 9月中下旬 |
二見浦見物。その前後、杜国は帰国、卓袋・路通は伊賀へ先発。李下のみ同行。 |
| 9月22日 |
杉風宛書簡執筆。在伊勢筆か。大垣出発時の送留別吟、二見見物のことなど報ず。
萩にねようか荻にねようか
二見
すずり
硯かと 拾ふやくぼき 石の露
先此の如くに候。以上
九月廿二日
伊勢滞在中の発句伊勢の国、中村といふ所にて
あき はかはら なほ
秋の風 伊勢の墓原 猶すごし
守栄院
もん い らん かな
門に入れば そてつに蘭の にほひ哉
画賛
ふ よう
枝ぶりの 日に日に替る 芙蓉かな |
| 9月下旬 |
李下を伴い、久居の知人を訪ねて二、三泊後、伊賀に帰郷。 |
| 10月7日 |
曾良、長島より伊賀上野着。芭蕉この日は他出中。 |
| 10月8日 |
昼間帰宅し、曾良と逢う。「手習ノ師匠ノ浪人」宅で夜会あり。 |
| 10月9日 |
小川次郎兵衛(風麦)邸で俳諧あり。 |
| 10月10日 |
曾良、上野を発ち、江戸へ向かう。芭蕉・路通は四,五町見送る。 |
| 11月1日 |
友田良品宅で六吟歌仙興行。
元禄二年霜月朔日、於良品亭、俳諧歌仙
はしり たまあられ
いざ子供 走ありかむ 玉霰
山岸半残宅。 |
| 11月3日 |
山岸半残宅の十五吟五十韻に一座。 |
| 11月21日 |
半残宅で、明日土芳草庵会の下相談をし、その会席の献立などを決める。 |
| 11月22日 |
土芳の蓑虫庵で九吟五十韻興行。
配力亭夜会。表六句あり。路通も一座。
人々を しぐれよやどは 寒くとも
半残主催、道心者一入の庵で一折あり。
冬庭や 月もいとなる むしの吟
平仲宅の吟
屏風には 山を描きて 冬籠り
その他の吟
伊賀の山家に子供と遊びて
初雪に 兎の皮の 髭作れ
画賛
たけ ゆうしぐれ
茸がりや あぶない事に 夕時雨 |
| 11月末 |
路通と同道で奈良へでる。 |
| 元禄3年(1690) 芭蕉47歳 |
| 1月3日 |
膳所を去り、伊賀に帰る。敦賀以来行を共にした路通は膳所に泊まる。 |
| 1月4日 |
夜、藤堂探丸方から招きを受ける。 |
| 1月5日 |
藤堂家の家令役式之・槐市連名宛に書簡を書く。昨夜の招きに謝し、風邪の為明日伺候の旨を伝える。なお両人の歳旦の風評をも報す。 |
| 1月17日 |
万菊丸(杜国)宛書簡を執筆。杜国の無音を憂慮して様子を尋ね、二月中の伊賀来遊を促す。また去冬以来の動静や近作をも報ずる。
歳旦、京ちかき心
こもをきて たれ人ゐます 花のはる
冬
初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
山中の子供と遊ぶ
初雪に 兎の皮の 髭つくれ
南部
雪悲し いつ大仏の 瓦ふき
京にて鉢たたき聞きて
ちょうしょう たたき
長嘯の 墓もめぐるか はち敲
歳薄
この しはす いち
何に此 師走の市に ゆくからす
|
| 2月6日 |
西島百歳邸で九吟歌仙興行。
うぐひすの 笠おとしたる 椿哉 |
| 3月2日 |
小川風麦邸で八吟四十句興行。
元禄三年三月二日 俳諧之連歌
こ しる なます さくら
木のもとに 汁も鱠も 桜かな |
| 3月上旬頃 |
実家にあって、発句の草案とその改案などをしたためる。
いもだねや 花の盛に 売ありく
種芋や 花の盛りに 売りありく
唐辛子 思ひこなさじ 物の種
此たねと おもひこなさじ とうがらし
春雨や ふた葉にもゆる 茄子種
四吟歌仙興行
午の年、伊賀の山中、春興
種芋や 花の盛りに 売り歩く |
| 3月11日 |
上野東郊荒木村の白髭神社で、木白(苔蘇)主催の俳諧一折興行。
はたけ うつ おと あさ
畑打 音やあらしの さくら麻 |
| 春 |
今期伊賀滞在中の俳誌
柳挿す北の垣根の雪掃きて
藤堂修理(橋木子)邸で俳諧興行。
こぶか
土手の松 花や木深き 殿造り
百歳邸歌仙会で発句勤める。ただし支障のため五句で終わる。
こまか成 雨や二葉の なすびだね
発句
に まめ こ がり
似あはしや 豆の粉めしに さくら狩
乍木亭にて
は いくたびこゆ へい
てふの羽の 幾度越る 塀のやね
膳所に行く人に
かはうそ
獺の 祭見て来よ 瀬田のおく |
| 3月下旬頃 |
伊賀より膳所に出る。 |
| 9月末 |
甲賀の山間を抜け、御斎峠越えで伊賀へ帰省。
旧里の道すがら
しぐるるや 田の新株の 黒むほど |
| 10月中 |
在伊賀上野。松本氷固宅で歌仙一折あり、発句を勤める
きりぎりす わすれ音になく こたつ哉 |
| 10月21日 |
嵐蘭宛返信を執筆。嵐蘭稿「焼蚊辞」の難点を指摘。去来編集予定「猿蓑文集」に推薦の内意を伝える。 |
| 元禄4年(1691)
芭蕉48歳 |
| 1月上旬 |
湖南を去り、伊賀に戻る。(六〜八日頃か。)以後三月末まで逗留。 |
| 1月19日 |
正秀宛書簡を執筆。
智月宛書簡を執筆。 |
| 1月中 |
藤堂修理長定(橋木)屋敷で句会あり。
伊陽山中初春
うめのはな
やまざとは まんざい遅し 梅花
卓袋宅の月待ちに招かれて句あり。
つきまち ゆく こやまぶし
月待や 梅かたげ行 小山伏 |
| 2月上中旬頃 |
両三名を誘って奈良の薪能見物。伊賀に戻る。 |
| 2月22日 |
怒誰宛書簡を執筆。
珍夕(珍碩)宛書簡執筆。
愚句
ぶしょう だき
不性さや 抱き起さるる 春の雨
又ここもと門人の句に
庭興
梅が香や 砂利敷き流す 谷の奥
今おもふ所に聊か叶ひ候へば書き付け進じ候
二月廿二日 芭蕉
珍夕様 |
| 3月9日 |
去来宛書簡を執筆。 |
| 3月23日 |
万乎別墅桜見の会で俳諧一折興行。
年々や 桜を肥やす 花の塵 |
| 春 |
伊賀滞在中の俳事
尾張の人から酒・木曾の独活・茶を贈られて門人らに披露の折、俳諧あり
はないけ にしょうだる
のミあけて 花生にせん 二升樽
赤坂の実家の庵で来訪の人俳諧一折。
山吹や 笠に指べき 枝の形り
|
| 元禄7年(1694) 芭蕉51歳 終焉の旅 |
| 5月11日 |
この日、二郎兵衛少年を伴い、帰省の途に就く。曾良も途中までの予定で同行。 |
| 5月26日 |
勢州長島に至り、曾良の叔父の住持する大智院に泊まる。久兵衛方も訪れる。 |
| 5月27日 |
久居に至り一宿。 |
| 5月28日 |
伊賀上野に着く。 |
| 閏5月4日 |
半残の訪問をうける。 |
| 閏5月5日 |
氷固より到来品を得て礼状を執筆。 |
| 閏5月10日 |
山田屋七郎右衛門(雪芝)宛書簡を執筆。 |
| 閏5月11日 |
雪芝宅に招かれ、歌仙1巻興行。
すぐ なり
涼しさや 直に野松の 枝の形 |
| 閏5月16日 |
ニ郎兵衛同伴で伊賀上野を発ち湖南に向う。 |
| 7月中旬 |
伊賀上野に帰る。以降、九月八日迄当地滞在。 |
| 7月15日 |
実家で盆会を迎え、発句あり。
が はかまいり
家はみな 杖にしら髪の 墓参
尼寿貞が身まかりけると聞きて
かず み たままつり
数ならぬ 身となおもひそ 玉祭り |
| 7月22日 |
当日付の大津木節書簡受信。餞別一句を記し、秋冬中の来遊を乞う。 |
| 7月28日 |
猿雖亭で七吟歌仙興行。(連衆)猿雖、芭蕉、配力、望翠、土芳、卓袋、苔蘇。
鶴の頭を上ぐる粟の穂 |
| 7月中下旬 |
猿雖亭に土芳と一宿。
やみ かた ゆく ごゐ
いなづまや 闇の方行 五位の声 |
| 同 |
藤堂玄虎邸に遊び、発句あり。これを立句に表六句からなる。
かぜいろ うゑ
風色や しどろに植し 庭の秋 |
| 秋 |
六吟歌仙成る。
餌畚ながらに見するさび鮎
雪芝と発句脇の応酬あり。
放す所に居らぬ松虫 |
| 8月1日 |
当日付の堤久兵衛(利合)書簡受信。
当日付の北枝書簡受信。 |
| 8月3日 |
当日付の酒堂書簡受信。 |
| 8月7日 |
望翠亭夜会で芭蕉発句の歌仙あり。 |
| 8月9日 |
去来宛書簡を執筆。
猿雖亭で土芳を交えて三吟表六句を作る。
清水出る溝の小草に秋立ちて |
| 8月14日 |
大津の智月より時候見舞ひとして南蛮酒一樽、麩、菓子など届く。 |
| 8月15日 |
伊賀門人衆の出資で成った新庵で月見の会を主催、門人多数を招く。
ふもと
名月に 麓の霧や 田のくもり
え わたばたけ
名月の 花かと見へて 棉畠
こよひ たれ
今宵誰 よし野の月も 十六里 |
| 8月20日 |
露川・素覧連名宛書簡を執筆。 |
| 8月23日 |
この頃素牛来伊賀、猿雖亭で四吟俳諧興行。 |
| 8月24日 |
八吟歌仙に一座。 |
| 秋 |
今秋伊賀滞在中の発句
とうがん ひ なり
冬瓜や たがいにかはる 顔の形
けいとう かり
鶏頭や 雁の来る時 なほ赤し
しんわら そめ
新藁の 出初てはやき 時雨哉
顔に似ぬ ほつ句も出でよ はつ桜 |
| 9月4日 |
九吟歌仙興行。
たけ
まつ茸や しらぬ木の葉の へばりつく
猿雖亭で七吟五十韻興行。
町の門迫はるる鹿の飛び越えて |
| 9月5日 |
元説亭で俳諧一折あり。
ゆく くり
行くあきや 手を広げたる 栗のいが |
| 9月上旬 |
『続猿蓑』に入集のため、江戸沾圃の発句を立句に脇し三吟歌仙を巻く。
日は寒けれど静かなる岡
支考と協議しつつ『続猿蓑』の編集を完了。 |
| 9月8日 |
支考、素牛、実家の又右衛門、江戸から戻った二郎兵衛に付き添われ、伊賀を出る。 |
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