
| 第13話 ほんやら洞 |
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フォーク歌手の岡林信康 日本フォークの神様と呼ばれた男 滋賀県近江八幡市の牧師の息子だった彼は名門同志社大学神学部に進学した。 時は学生運動はなやかし頃 岡林青年も神の道を目指す事に疑問を感じ、反戦運動に興味を示したのだろう。 学生時代に東京の山谷に入り、そこでの生活体験で人間感、人生感が変わったのか 岡林は大学をドロップアウトする。 そのころ片桐ユズル氏(確か現在は精華大学の教授)甲斐扶佐義氏と知り合い 1972年京都の寺町今出川の北側に岡林は「ほんやら洞」を開店させる。 ほんやら洞は当時、学生運動の政治色の強い店で壁のそこかしこに「反戦」「アナキシズム」 「ヒロヒト殺せ!」なんて、落書がされていた、同志社大学の学生運動家が多く集まって 明日の日本を議論しあっていたのだろう。 僕は18歳くらいから結婚する25歳までよく訪れた。 甲斐さんに「今日はまた連れている女の子違うなあ」なんてよく冷やかされたもんだ。 その時よく甲斐さんからほんやら洞の生い立ちを聞いたのだが・・・・ 当時フォーク歌手の中川五郎が書いた青春小説が 猥褻罪に問われて、学生達が支援していたのを覚えている。 ![]() 狭山差別裁判で「石川青年を救え!」と学生達が運動していたのを覚えている。 ほんやら洞は自然食の食事ができた。 特に自家製「シゲのパン」「カレー」「グラムチャウダー」「シチュー」 全部ナチュラルな考え方で運営されていた。 甲斐さんが撮った写真集が1997年に発刊されている。 それを最近知人の女性からいただいた。 タイトルは「ツーショット」 その中に何ページか昔のほんやら洞の写真がある。 サイケなファッションの若者が酒を飲んでいる写真 外国の留学生の写真 見るからにゲイとわかる男性とお客の写真 京都で唯一の自由な異空間 多くの詩人を育てたほんやら洞 フォーク歌手も吟遊詩人 京都の詩人達は みんなほんやら洞を知っている |
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