
| 第20話 ブルースは何故京都だったんだろう。 |
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WEST ROAD![]() |
BREAK DOWN![]() |
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| この3月に京都の老舗ライブハウス拾得で久しぶりに塩次伸二さんに会った。 | ||
| 拾得へ元ブレイクダウンの服田洋一郎さんと塩次さんのギターデュオのライブを見に行くのが目的で | ||
| 25年ぶりに拾得に足を運んだ。店に入って驚いたのは何も変わっていない。まるで25年前にタイム | ||
| スリップしたかのような気持ちになった。 | ||
| 古い酒蔵を改造してあるこのライブハウスの扉に触れるのも25年ぶりなんや。そんな思いで重い扉 | ||
| を開けると、入り口近くのカウンターに塩次さんの姿。サングラス越しに目が合うなり「お〜〜!!」 | ||
| 「えらい遠いとこまで来てくれたんやぁ!」大きな声で出迎えていただいた。 | ||
| 思い起こせばこの人をどれだけ憧れてきただろうか。自分が音楽を始めて、ブルーズが好きになり | ||
| そして、下手糞なギターを掻き鳴らしている時の目標だった人が気軽に僕に声をかけてくれる。 | ||
| もう一人。その顔を見ても何も昔と変わっていない元ブレイクダウンの服田洋一郎さんが | ||
| 2階から降りてきた。 | ||
| 馴れ馴れしい言い方だが感動のあまり心の中で「はっちゃんが目の前にいる」と思わず呟いた。 | ||
| 京都のブルースシーンを駆け抜けたウエストロードブルースバンドのギタリスト塩次伸二とブルース | ||
| の巨人BBやアルバートそいてラッシュなどの大物プレイヤーと競演をはたしたブレイクダウンの | ||
| ギタリスト服田洋一郎が目の前にいて、僕に話しかけてくるのである。 | ||
| 塩次さんとは何度もライブでご一緒させて頂いているが、改めてこの拾得の空間で見る塩次さんは | ||
| 別人だった。 | ||
当時、京都はどのライブハウスに行っても必ずブルーズバンドのライブがあった。 |
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| 僕自身京都のブルーズ思考はあの伝説のバンド「村八分」から始まったと確信している。 |
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![]() ![]() 村八分 左 Vo:チャーボー(故人) 右 Vo:チャーボー(故人)とG:浅田 哲(故人) |
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| 世間じゃ「村八分」は京都ロックの草分けという見方をしているが、彼らの音楽は紛れもないブルーズ | ||
| だった。ボーカルのチャーボー(故人)が搾り出す日本語の意味不明の歌詞、ギターの山口富士夫が | ||
| かき鳴らす335のブルースベースのフレーズ、もう一人のギター浅田 哲(故人)、ベースに見掛エイジ ドラムに上原ゆかり裕。何回かのメンバーチェンジを繰り返しながら短い時間を駆け抜けた村八分。 |
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| そして大きな影を京都に落としていった。 | ||
| その同時期にブルースハウスブルースバンドが生まれた。ボーカルに西村(入道)、ギターに服田洋一郎、 ベースに森田恭一、ドラムに小川俊英(故人)。シカゴブルースをやらせれば右にでるものはいなかった。 |
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| 後に入道が脱退した後任にあの近藤房之助が加入し、新にブレイクダウンブルースバンド(初期はそう 名乗っていた)が動き出した。 |
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| 一方同志社大学の学館ホールではライブコンサートが盛んで、軽音楽部からあの「三条河原町!」って | ||
| シャウトしていたウエストロードブルースバンド(初期はそう名乗っていた)がライブハウスにでてくるよう になった。 |
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| ボーカルに永井ホトケ隆、ギター塩次伸二、ドラム松本照夫(後から加入)ギター山岸潤史、ベースに 小堀正の5人で編成されていた。 |
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| 1972年に京都で結成。ホトケと山岸は三重県人、塩次さんは九州だったと記憶する。 | ||
| 当時ブルースギターとしては塩次さんのほうが中心にリードをとっていて、山岸はバッキングに徹して いたように思う。 |
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| この二つのバンドの後を追うように、ファッツボトルブルースバンド、スカイドックブルースバンド、 ダウンホーマーズ、バーボンストリート等など多くのブルースバンドがこのビッグ2に続いたのだ。 |
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| 塩次さんは小原礼、ドラム井上茂そしてあの神戸産の偉大なギタリスト大村憲司(故人)らとシーチャン ブラザーズを結成する。 |
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| 山岸はウエストロードを離れ当時売れっ子漫才師(現在はパントマイム)北京一や石田長生らと ファンク色の強い、これも伝説のバンドだがソーバットレビューを結成し2枚のアルバムを残す事になる。 |
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![]() ソーバッド・レビュー |
![]() 上田正樹&サウストウサウス |
![]() 憂歌団 |
京都の話に戻そう。 |
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| 1977年ごろからリーリトナーやラリーカールトン、アールクルーなどの当時クロスオーバーと呼ばれる | ||
| ジャズとロックのハーフミックスしたスタンスが流行しだし、その波は京都に押し寄せてくる。 同時にテクノも旋風を巻き起こし、その波が京都を襲い、老舗のライブハウスにもハルオフォンや |
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| 一風堂等があらわれブルースバンドは忘れ去られていった。 | ||
| おそらく拾得や磔磔といった老舗のライブハウスだけが、1985〜7年ごろまでブルースライブを やっていた。 |
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| つまりブレイクダウンの解散が京都のブルースシーンの一区切りになったのだ。唯一、憂歌団が バンドとしてブルースをメジャーにしたかもしれないと考える。 |
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| それぞれのブルースバンドのメンバーはソロ活動に入り上田正樹、永井ホトケ、入道、近藤房之助、 | ||
| 服田洋一郎等のボーカリストでもあるものだけが目だった動きをしていた時期もあった。他にスター キングデリシャスの大上瑠璃子、石田長生等もそのように活動していた。 |
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| 時は25年の月日を経過させ、今 私は拾得にいる。 | ||
三重県の伊賀上野に住み、生まれ故郷の京都を思い出しながら、ブルース伊賀の乱という イベントをこの離れた三重の田舎町で6年も企画し、活動をしている。 |
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| 7年前に故郷を離れて思ったことは、淘汰され今の音楽に流され、圧され、もうブルースなんか 誰も聞かないだろう。 |
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しかし、ちゃんとあるのだ。セノウちゃんも田中のハルチャンも伸ちゃんもホトケも石ヤンも はっちゃんもフサもみんな。みんな。良い年齢を重ねて、渋いブルースを聞かせてくれるのだ。 |
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| それに酔う多くのブルースファンが一杯いるのだ。 | ||
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