ライン

第10話 西岡たかしさんと25年ぶりの再会

青木まり子   西岡たかし



平成12年12月9日の土曜日。午後2時9分。待ち焦がれていたその人はマーチンニューヨーカーを片手に
遂に僕の目の前にあらわれた。
その小柄で痩せた初老の歌手は野球帽を深々とかぶり、大きなマスクをした出立ちで無愛想に会釈した。
プロモートしている事務所である「ユイ音楽工房」の制作部長の森野氏が同伴していた。彼も先日東京で
南こうせつの出演依頼に骨を折ってくれた人物で、音楽業界では多くのニューミュージックのアーチストを
世に出したビックネームの事務所の人間だ。
1時36分の近鉄で先に「五つの赤い風船事務所」のマネージャーの新見君と元ジャネッツの青木まり子
さんと合流して、田舎町の小さな駅前の喫茶店でその初老のフォーク歌手を待っていた。
正直ワクワクとドキドキが交互に押し寄せて、地に足がついていない状態だった。僕は興奮していた。

25年前の出来事

当時18歳の高校3年の僕は既にバンド活動をしており、学校の中ではちょっとは名前の売れたギター
小僧で、エレキ片手に文化祭のヒーローだった。そんなある日フォークバンドをやってる友人からメンバー
が足りないので一緒にフォークギターを弾いてくれないかと頼まれた。当時僕は既にブルーズをこよなく
愛するええかっこしぃ〜ギタリストだったので、退屈なフォークなんか見向きもしなかった。しかし、親友の
かってないお願いだったのでぇ〜というのは嘘で(笑)そのバンドのボーカルの女の子がムチャクチャかわ
いかったので、スケベー心で(真実)ギタリストとして参加した。
そのバンドはけっこうイケテて、あれよ、あれよとラジオ番組のオーデションに合格して、関西のラジオは
全部制覇していった。場数だけはかなり踏んでて、MBS毎日放送の人気番組だったヤングタウンの公開
収録ではアマチュアバンドのくせに、女子高生にサインはねだられるは、ファンレターが家に届くは、まるで
嗚呼勘違いのスター気分だった。
その有頂天おめでたバンドに鉄槌を食らわす事件が起こったのである。場所は神戸の須磨にあるラジオ
関西の公開用ホールで「ヤングおもしろ倶楽部」というラジオ番組の収録の時だった。
僕等はその日2曲用意していた。曲目は「ささぶね」と「私は地の果てまで」両曲とも西岡たかし率いる
「五つの赤い風船」の曲だった。僕等は出番まで楽屋でリハをしていた。その時・・・
同じ番組に出演するもう1つのバンドが入ってきた。大人のバンドだ。そして目を疑った!
西岡た・・・か・・・し・・・。中川イ・・・サ・・・ト。永井・・洋・・・・。長野た・・・か・・・し・・・。
元五つの赤い風船が3人とディランUが1人。。しかも日本を代表するインストロメンタリストの中川イサト。
当時バンドを組んでる奴なら誰でも知ってるビックネームが目に前にゾロゾロいるのである。しかも共演(震)
しかもこれから演奏する曲はその人達の曲・・・・逃げたかった。メンバー全員半泣き状態。本番が近づく、
今更曲は変更できない・・・。本番の時間がやってきた。地に足が着かないままの演奏。舞台の袖から
西岡たかしとそのメンバー(オリジナルレッドバルーンズ)は無言で僕達の演奏を聞いていた。
演奏が済んで、アナウンサーがうれしそうに本人達を前にして演奏した感想を聞くためにマイクを僕らに
むける。そして西岡たかしさんにも感想を聞く。「西岡さん。ご自分の曲を彼らが演奏したのですがいかが
ですか?」 西岡たかし「歌もふーこちゃんに似ていてうまかったですね。ベースもよくコピーしてグッドです。
ギターは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まぁ〜・・・・・よかったんじゃないですかぁあ」
家に帰って泣きましたね。18歳の少年でも意味は十分わかったね。くそ〜〜〜〜〜西岡のオヤジ〜!!
まぁ〜それから家で毎日4時間の練習ですよ。西岡たかしの曲全部聞きました。このやろう!!絶対完璧に
演奏してやる!!怒りで毎日ギターをかき鳴らしました。
そして25年ぶりの再会
25年歳月は僕自身もそうだし、初老のフォーク歌手も変わらせた。ライブが始まった。「恋は風に乗って」
「上野市・うえのまち」「血まみれの鳩」ふうせんの名曲が続く。そして最後に会場の観客を巻き込む名曲
「遠い世界に」。失礼な言い方だが風貌こそ変わったが、歌声は往年のままだった。フォークなんかに感動
しない僕が感動した。そして恨みを晴らす時が来た(笑)!僕はこのイベントのプロデューサー。彼は出演者。
打ち上げの料理屋で僕はデンと真中の席に腰をおろし、西岡たかしを向の中央の席に案内した。
わくわくした。どきどきした。25年がタイムスリップしている。俺のギターをボロカスに言ったフォークの神様が
目の前にいるのだ。酒をかわした。神様は冷酒をうまそうに飲んでいる。音楽談に華がさいた。
「君はよう知ってるなぁ。」あの独特の話し方で僕に水を向ける。復讐する時は来た。。(爆笑)
僕は一気に25年前の出来事を機関銃のように話した。西岡たかしはそれを微笑んで静かに聞いてくれた。
覚えていた。いや思いだしてくれた。今も大阪を愛し、ダウンタウンの鶴橋に住み、大阪の人情を歌う。
「僕はおせいじとか言えへん人間なんやわ。音楽も理論的に作っているしね。久保さん。君は僕にその事
を言うために、大阪で静かに暮らしている俺をここに呼んだな。」笑いながら西岡の神様は言った。
「でもよかったやん。僕に会ったから今日の君のギターテクニックがあるにゃん。腹立って練習できたやろ!」
僕はふかぶかと頭を下げた。あなたのおかげで真剣に音楽をやる事ができるようになった。という事を。
25年間この人に会う事を夢見た。その夢がかなった。やっと顔を見て感謝の気持ちを言う事ができたのだ。
トップ アイコン
戻る
ライン