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 記紀七夕論

             市井民人

 

記紀七夕論

<<   作成日時 : 2004/11/16   >>

 私は先に、アマテラスとスサノオの関係には、織女と牽牛の関係が見られると述べたが、まずそれはスサノオが天に昇って、アマテラスと対峙するシーンに見られる。
 それは「天の安河」をはさんで、アマテラスとスサノオという男女がウケイ(誓約)するというシーンであるが、これは天の川をはさんで男女が性行為をするという意味なのである。
 あたかも一戦を交えるかのような表現に惑わされなければ、これは七夕の一シーンなのである。
 つまりアマテラスは織女、スサノオは牽牛という牛神なのである。

記紀七夕論・U━高天原

<<   作成日時 : 2004/11/17   >>

 さらに、アマテラスが織女であることは、高天原(天界)で機を織っているところに表されている。
 また、スサノオが牛神であることは、スサノオが高天原で暴れたときの様子や、高天原を追放されたときの姿に表されている。

織女=アマテラス

<<   作成日時 : 2004/11/18   >>

 アマテラスは織女である。
 そのことは、スサノオが天界に昇ってきて、天の川でアマテラスとウケイをした後、アマテラス自身が機を織るか、その侍女が機を織っている姿として描かれている。 
 

 アマテラスは太陽神としてばかり注目されるが、このように天の川のほとりに、たたずむ織女としても描かれていることを見逃してはならない。

暴れ牛=スサノオ

<<   作成日時 : 2004/11/19   >>

 スサノオは天界で暴れまくり、織女を傷つける。それはどんな情景かというと、「畦を離ち、溝を埋め、田に伏したり秋の穀を冒したり、新嘗の席に糞をした りする」などというのは、暴れ牛が田圃の中を駆け回って、畦や溝を壊し稲穂を倒し、収穫物に糞尿をたらして、暴れまわる牛神のイメージなのである。

役牛=スサノオ

<<   作成日時 : 2004/11/20   >>

 続いて、スサノオが天界から追放される場面でも、スサノオは千座置戸という大量の荷物を負わされ、硬い爪のある唾・鼻水を垂らしたり、あるいは時雨ふるなかを、青草を結束して笠蓑として衆神たちに乞うという姿は、明らかに荷物や青草を担う役牛のイメージで描かれている。
 つまりスサノオが牛神であることを念頭においているのである

夫婦神アマテラスとスサノオから生まれた皇祖神オシホミミ

<<   作成日時 : 2004/11/21   >>

 創作者たちの周到な構想の下に、七夕の構図が記紀に組み込まれている。
 アマテラスとスサノオは夫婦神であり、天皇の祖先神(皇祖神)アメノオシホミミは、その二神の契りである天の川のウケイから生まれた。しかも、そのオシホミミは女性神アマテラスの子であって、男性神スサノオの子ではないというのである。なぜか。

ウジ・カバネ制=騎馬民族の肉骨制(男系相承制)

<<   作成日時 : 2004/11/22   >>

 古代日本のウジ・カバネは、騎馬民族の肉骨制である。肉にたかる虫をウジムシといったように、古代には肉のことをウジといったようである。カバネは神骨(かむほね、かぼね)である。
 古代人は、精液のことを男子の骨灰と考えたと私は思う。性行為によって男親の骨が子に受け継がれると考えたのである。根強い男系相承制の根拠はここにある。
 アマテラスとスサノオの天の川でのウケイは,二神の性行為の暗喩である。

天の川のウケイ=性交渉の暗喩

<<   作成日時 : 2004/11/23   >>

 アマテラスとスサノオの天の川でのウケイとは、二神の持ち物(珠、剣など)を、相手のそれぞれを口に含んで噛み砕き、ぷっと吹き出すと、それぞれの神々が生まれたというものである。これがアマテラスとスサノオの性交渉の暗喩である。
 アマテラスの持ち物である珠が、アマテラスの骨を象徴している。それゆえに、その珠から生まれた皇祖神オシホミミは、女神アマテラスの(骨を受け継ぐ)子であるというのである。
 これこそ天皇を、男神ではなく女神の子孫というために、記紀創作者たちが、もっとも苦心した場面なのである。

記紀七夕論V

<<   作成日時 : 2004/11/24   >>

 通説では、七夕というのは、中国の乞巧奠(きっこうてん)の行事が日本に伝わって、日本古来の水辺の処女の祭りに習合して形成されたとされている。七夕 が日本に伝わったのは万葉の頃からであり、外来の祭りであるから日本神話とは関係がないとされ、研究がおろそかにされてきた。
 しかし先に見てきたように七夕の構図は記紀にも反映しており、日本の記紀の物語は外来の神話・伝説を基本構造として形成されてきたものであることがわかる。

五百箇御統の珠(イホツミスマルノタマ)=銀河の首飾り

<<   作成日時 : 2004/11/26   >>

 天の川のウケイのとき、アマテラスが体に巻いている珠の首飾りを、五百箇御統の珠(イホツミスマルノタマ)という。その珠の1個をスサノオが口に含んで噛み砕き、ぷっと吹き出すと皇祖神アメノオシホミミが生まれたというのである。
 この五百箇御統の珠を通説はスバル星だとする。(実はその説は間違いではないのだが)私は、五百箇という数の多さから見て、銀河そのものを指すと思う。
 銀河の星のひとつを採って、口に含んだとは壮大な話ではないか。ここではアマテラスらは、そのような巨神としてイメージされているのだ。

ミクラタナノ神=イホツミスマルノタマ

<<   作成日時 : 2004/11/27   >>

  記紀では他にも重要な珠が出てくる。
 日本神話の創造神イザナギが、身につけていた首飾りをアマテラスに与えて、「高天原を治めよ」と命じたというのである。この高天原統治権の象徴である首飾りは、ミクラタナノカミといい、アマテラスが身につけていたイホツミスマルノタマと同一の珠と考えられる。

弟棚機の御統の玉(オトタナバタノミスマルノタマ)=イホツミスマルノタマ

<<   作成日時 : 2004/11/28   >>

 また、記紀には、アメワカヒコの葬儀に詠まれる歌に、弟棚機の御統の玉(オトタナバタノミスマルノタマ)という玉がでてくる。七夕に関係し、ミスマルノタマであることから、これもアマテラスのイホツミスマルノタマを指すことがわかる。
 その他にも、イホツミスマルノタマは、天の岩戸の場面で,祭壇に架けられる祭具としても使われる。

三種の神器の玉=イホツミスマルノタマ

<<   作成日時 : 2004/11/29   >>

 このように断片的にではあるが、記紀にたびたび出てくるイホツミスマルノタマは、銀河であり、アマテラスの骨の象徴であった。それが天皇に伝えられ、後世の三種の神器の玉であるとイメージされ,皇統権の標徴とされるのである。
 記紀神話は言うまでもなく官製の王権神話である。このミスマルノタマの表現にも、用意周到な皇統思想がうかがえるのである。

ソトホリ姫=七夕の羽衣天女

<<   作成日時 : 2004/12/01   >>

 七夕説話は、世界的には「白鳥処女説話」の類型の中に含まれる。日本の民話では牽牛織女の伝説としてではなく、天女が羽衣を奪われたために天に帰れず男の妻になるという、「天人女房」とか「羽衣伝説」として伝えられている。
 允恭紀の衣通姫物語のソトホリとは、ソ(衣)を通す姫の意味で,つまり羽衣姫のことである。その内容は羽衣天女の説話の一種であり、さらに分析すれば「近江風土記」の羽衣説話の原形である。
 そしてさらに、羽衣は、夜を通して、ひらひらと形を変える天の川のことではないだろうか。またそれは幡にも見え、「たなばた」の語源の一つではないだろうか。

冬の夜空のアマテラス=スバル星

<<   作成日時 : 2004/12/02   >>

 イホツミスマルノタマにしても羽衣にしても、それは銀河を表していると考えられたが、それらは夏の星座の場合である。だが、日本の祭祀構造は、半年周期 の儀礼構造になっていることから、冬の場合もあると考えられ、それの場合は、実はスバル星を指すと考えられる。(さきに、イホツミスマルノタマをスバル星 としても間違いではないとしたのはこのためである。)冬はスバルとオリオンが一対の男女の星を象徴していた。
 そしてアマテラスは、昼は太陽として、夏の夜空は織女星として、冬の夜空はスバル星として,天界に君臨していたと考えられる。

スマル、スメル、スバル、スベル

<<   作成日時 : 2004/12/03   >>

 「ミスマル」の珠がよく出てきたが、これは、「御統(みす)まる」ではヴェガ(織女星)を、一方「群れ統(す)ばる」という意味ではスバル星(プレアデ ス星団)を指している。しかし、「スメル」も「スバル」も同一の意味であり、ヴェガは夏の夜空のアマテラスを、スバルは冬の夜空のアマテラスを指している。
 実は「すまる」「すめる」「すばる」「すべる」は、「統括する」という意味で、同一の語句なのである。
 「御統(みす)まる」や「群れ統(す)ばる」のほかに、スメラミコトや、長い髪の「おすべらかし」という言葉があるように、これらの語は、ひとつに束ねるという同一の意味に用いられているのである。

『天稚彦草子(あめわかひこぞうし)』=七夕の原形物語

<<   作成日時 : 2004/12/05   >>

 七夕を記紀との関係で考えるなら、アメワカヒコに触れないわけにはいかない。
 『御伽草子』の一つで、室町時代に作られたとされる『天稚彦草子』のアメワカヒコは、実は記紀に出てくるアメワカヒコと同一人物であり、七夕物語の登場人物である。
 『天稚彦草子』は、『七夕草紙』とか『七夕の本地』とも呼ばれたように、男女が年に一度天の川をわたって会うという七夕の話がどうしてできたかを語っており、七夕の原形物語と考えられる。
 ここで『天稚彦草子』を紹介できないのが残念であるが、前半は「蛇婿入り」、後半は「天人女房」の類型のような物語である。
 参照:草下英明「『天稚彦草子』と星」

海竜王アメワカヒコ=銀河

<<   作成日時 : 2004/12/06   >>

 その『天稚彦草子』の中で、アメワカヒコは自分を海竜王だと名乗っている。つまり竜蛇神である。そしてそれは、銀河が大蛇のようにみえる連想からきているのではないかと思う。
 記紀のアメワカヒコも、そこに詠われる歌は七夕と関係があり、七夕のアメワカヒコであることがわかる。そして、蛇神で天界から遣わされた「神の使い」ではないかと思われる。
 室町時代の伝承は古代からの伝承を忠実に伝えていたのである。

瓜から銀河が生まれた。

<<   作成日時 : 2004/12/07   >>

 そして『天稚彦草子』では、アメワカヒコの鬼親父が瓜を投げると、そこから水があふれて天の川になったとする。この天の川に隔てられて男女は一年に一回しか逢えなくなる。このように七夕系の説話は瓜から銀河が生まれたとする。
 中国の伏羲・女媧という蛇身人首の陰陽二神の話では、女媧が瓢(ひさご)の灰を用いて天の破れ目から洪水の溢れ出すのを防いだとあるが、これも瓜のことであり、洪水になったところとは、天の川ではないだろうか。瓜から天の川ができたとする話と表裏一体の話に思える。

牛神と蛇神(=親神と若子神)

<<   作成日時 : 2004/12/08   >>

 記紀で蛇神といえば、三輪山神話のオオナムチ(大物主神)が蛇の姿であったというのが有名である。オオナムチはまた大国主命ともいい、出雲の神である。天稚彦草子の難題説話が、大国主の難題説話と重なる。私には蛇神アメワカヒコと蛇神オオナムチが重なって見える。
 牛神の(義理の)息子が蛇神であるというような、親子関係などは世界の神話によく見られる。たとえば、中国では『史記』にある三皇の神農は牛首人身、伏羲・女媧は蛇身人首である、といった具合である。

「死と再生」の牛蛇神

<<   作成日時 : 2004/12/09   >>

 私は記紀を調べたときに、スサノオは冬の神で、オオナムチは春の神ではないかという印象を覚えた。死と再生の観点から考えると、それは冬の神は死の神で、春の神は再生した若子神である。それはまた、闇から光への再生である。
 古代エジプト神話のオシリスは、牛の角をその頭の頂に載せた冥界の王である。一方その息子のホルスは、その頭の頂にコブラの冠を載せた若々しい太陽神である。つまり、オシリスは牛神で、冬の闇の王であり、ホルスは蛇神で、春の光の王である。

記紀の四神(青竜・白虎・朱雀・玄武)

<<   作成日時 : 2004/12/10   >>

 古代中国では生物は鳥獣虫魚の四種に大別された。四神というのは、この鳥獣虫魚の代表であり、それぞれの類の王なのである。
 記紀で天皇の祖先とされる日神の子孫のニニギが日向から大和に向かって東征するとき、国津神たちが彼らを迎えたとされる。その国津神のうち、スサノオは 牛神(獣類)、オオナムチは蛇神(虫類)、そして亀に乗って迎えたのがサオネツヒコ(亀神=魚類)であり、熊野を先導したのが八咫烏のヤエコトシロヌシ (鳥神=鳥類)である。これらは、四神の代表、四神の王である。
 これは記紀において、アシハラナカツクニの四神(つまり全生物)が、天皇の東征を迎えたという構図なのである。

休題

<<   作成日時 : 2004/12/12   >>

 ここまでは、私の作品の一部のレジュメを示した。このあと「記紀天の川論」などが続くが、まだ熟していないので、いったんここで止める。
 さきに、牛神ラインという重要なラインを示したが、記紀には、もうひとつ重要なラインが存在する。これを、私はヒメヒコ・ラインとよんでいる。次回はこれを紹介して、そして、しばらく休むことにする。
 参照:2004/11/24 「牛神ライン」
      2004/12/13 「ヒメヒコ・ライン」 

 

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