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  スサノオ牛神論

              市井民人

 記紀を読もう

<<   作成日時 : 2004/11/09   >>

古代史の研究をしている者です。
古代研究において、古事記と日本書紀をもっと読み込まねばいけないと思う。記紀にはまだまだ謎が秘められている。
記紀の全体構造は、記紀創作者の周到な意図に、のっとって作られています。
こうした問題を話し合うことのできる人がいれば、いいなと思っています。
同好の方、話しませんか?

スサノオ牛神論: スサノオは牛神であり、牛頭天王である。

<<   作成日時 : 2004/11/10   >>

 私は、記紀神話のなかで、アマテラスとスサノオの関係について研究している。すると、その中 で、二神の関係は、牽牛と織女の関係であり、スサノオは牽牛であって牛神であることがわかってくる。
 京都八坂神社の祇園祭において、スサノオは、牛頭天王だと言い伝えられているが、この伝承は、まったく正しいのである。

聖なる牛神ライン

<<   作成日時 : 2004/11/12   >>

 スサノオは韓郷の嶋(朝鮮)から紀伊の国の熊成の峯(熊野)に渡ったと日本書紀(神代八段一書 第五)あるように、熊野の神はスサノ オと関係があり、また熊野牛王といわれるように牛神である。
 熊野本宮と新宮を結ぶ線を延長すると、『備前国風土記』に牛が出てくる牛窓を通り、記紀に記述のある船通山(鳥上峯)を通って,出雲大社を通る。さらに 延長すると、なんと朝鮮半島の春川(牛頭州)を通るのである。
 これを私は,牛神ラインと呼ぶ。
参照:2004/11/13 「牛神ラインの記紀記述」
    20004/11/24  「牛神ラインの図」
    2004/12/13 「ヒメヒコ・ラインの図」

牛神ラインの図

<<   作成日時 : 2004/11/24   >>

 
 黄海道金川(牛峯郡)━━春川(牛頭州)━━出雲大社━━船通山(鳥上峯)━━牛窓━━熊野本宮━━熊野新宮

  (熊野本宮を中心に偏角31度の夏至日没ライン)
 〔位置は大円の公式で計算して正確に求めたものです。〕  
 牛神スサノオというのは中国・朝鮮の牛頭天王が変容したものであり、さらに遡れば、古代ペルシャのゾロアスター教の牛神ミトラではないかと思う。
 参照:
   2004/12/13 「ヒメヒコ・ライン」

牛神ラインの記紀 記述=日本書紀神代八段一書第四

<<   作成日時 : 2004/11/13   >>

 牛神ラインのことは、日本書紀神代八段一書第四の記事から明らかにできる。
 そこには、スサノオの天下りのことが述べられている。
 「スサノオは新羅国のソシモリ(牛頭州=春川)に天降った。そして東に渡って、出雲の国の斐伊川の川上の鳥上峰(船通山)に到った。後にその子の五十猛 (イサタケル〕神が、紀伊国にいまします。」 とある。

 このソシモリ(春川)━出雲大社━船通 山(━牛窓)━紀伊国(熊野)が一直線上にある。(2004/11/24「牛神ラインの図」参照)
 このことから、スサノオは牛神、牛頭天王であることがわかる。
 つまり、当時朝鮮半島には、牛頭信仰が浸透しており、それが日本へ伝わって、スサノオに変化させられたのである。 

出雲大社が先か、 牛神ラインが先か

<<   作成日時 : 2004/11/14   >>

 牛神ラインに、次のような問題が生じる。
 1. 牛神ライン設置の頃、朝鮮半島に牛頭信仰が浸透していたか。
 2. 牛神ラインの上の、牛頭州(春川)、出雲大社、熊野大社のうち、いずれが古くて先にあって、牛神ラインが設置されたのか。この三地点が偶然、一直 線上にあったとは考えられない。いずれかを基点にして、このような方位線が求められたと考えられる。(このような聖なるラインを私は方位線と呼んでい る。)私の想像だが、この牛神ラインは、楽浪郡が置かれた頃まで遡って、設置されたのではないかと思う。

 

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