このページでは、常福寺境内各所の紹介をさせて頂きます。
どうぞ、境内を散歩されるようなお気持ちでご覧ください。
大師道( だいしみち )
常福寺背面の不動山には、本四国八十八ヶ所大師霊場(お遍路)・西国三十三ヶ所観音霊場を移した石仏254体が各所に安置されており、それらを歩いて巡拝することのできる「大師道」があります。
安政年間に、慶正法印により発願され、その後栄祥・栄壽法印代に勧請されたそうです。
道程は、一周約1.7km。ゆっくり歩いて一巡りおよそ50分。
どなたでも歩いて巡拝することのできる遊歩道にもなっており、近在の篤信の方の中には、毎日のように歩いて巡られている方もおられます。
平成十年に、農村総合整備事業の一環として大師道が整備され、より安全に快適に巡拝できるようになりました。
また平成十九年秋に、大師道150周年記念事業として、本尊御開帳法要を厳修いたしました。
御飯石( ごはんいし )
本堂の丑寅の方向(北東)、不動山の半ばに大岩があります。
世に「福石」とも「御飯石」とも呼ばれる石で、言い伝えによりますと、ある時修行の法師が当山に来て、五大尊の仏像を造り始めたそうです。郷人が法師に名前を尋ねても答えなかったのですが、郷人は饗膳を供してその法師を貴びました。ところが、法師はその食餉に脇目もふらず一心にノミを振り続けたそうです。さていよいよ仏體造立功なった時に、郷人がその法師の名前を強く尋ねたところ、「毘多」とのみ答えて立ち去り、その後法師の行方が解らなくなりました。すると、郷人が饗じた所の食餉が磐石に変じており、今の御飯石が生まれたとあります。
御飯石は総本山長谷寺にも存在し、どうやら当山のものもそれに准じて名付けられたのではないかと推測されています。
広葉杉( こうようざん )
本堂の正面左手、境内のほぼ中心に、大きな木がそびえ立っています。樹齢は、約250年。高さは、25m位あるでしょうか。
常福寺のシンボルといえるご神木で、遠くからでもその姿を確認することができます。
広葉杉は、スギ科の常緑針葉高樹。原産は中国ですが、古くから日本に植樹されています。
伊賀の三大広葉杉の一つで、他には滝仙寺(伊賀市)・龍性院(名張市)に残っています。
瀧と池 本堂の東に不動山から流れ落ちる高さ四間二尺(約790cm)の瀧があり、その下に二重の池があります。
この池を「霊池」と呼び、下の池にある「霊石」と呼ばれる島には弘法大師が聖天を封籠されたという言い伝えが残っております。ゆえに、古来よりこの島へ人が立ち入ることは強く禁じられており、それを破ることが無いよう戒められております。
瀧の東には、聖天を祀ったお社があります。
閼伽井( あかい )
今は残っていないのですが、昔、本堂の東に「妙法経堂」という三間四面のお堂があったそうです。
弘法大師空海上人がこのお堂で虚空蔵菩薩求聞持法を修されたという言い伝えがあり、その時お大師さまが用いられたいう「閼伽井(法要・修法で用いる水のみを汲むための特別な井戸)」が現在も残っています。
あまり深くない井戸ながら、水質が極めて清冽で、如何なる干天にも枯渇したことが無かったと記録されており、「明星水」と呼ばれていたそうです。
鎮守勝手明神( ちんじゅ かってみょうじん ) 本堂の東に、当山の鎮守にして古郡一保の氏社である勝手明神があります。
「勝手」とは天孫降臨の際に天孫に従来した三十二神の一神、愛髪命の別称であるとされております。
鰐口( わにぐち )
本堂に入って右手、見上げると「鰐口(神社仏閣の堂前に吊るしてある参詣者が鳴らす鈴のこと)」が一つあります。
この品は、元々は青山町種生村老河の極楽寺所有のものであり、現在常福寺に納められているのは理由があります。
室町時代の始め、種生村老河で原因不明の奇病が流行ったそうです。鎮守の神託によると「常福寺本尊五大明王の宝前に極楽寺の鰐口を奉納せよ」とあり、村の人々は早速鰐口を常福寺に納めました。
すると奇病がたちまち治まり、村の人々は安心して胸を撫で下ろしたそうです。
数年後、奇病はすっかり影を潜め、村の様子も以前のようになりました。村の人々は「もう大丈夫」と常福寺に納めた鰐口を極楽寺に戻そうとしました。
すると、件の奇病がまた流行りだし、村人はあわてて鰐口を常福寺に納めに戻ったそうです。
常福寺本尊五大明王の威徳を感じられる、大変興味深い説話です。
経一尺一寸幅。上部に於いて三寸、下部二寸七分。
大體太鼓型で両面に後世の作品の様な脹みが無く、銘に
「伊賀国老河極楽寺 勧進聖重阿彌(表面)
應永六年己卯九月三日 藤原友康(裏面)」
とあります。
應永六年(1399年)は足利氏の初世に当ります。
伊賀に現存する最古の鰐口で、平成八年三月に県指定有形文化財に指定されています。
本堂向拝 本堂正面の向拝。そこにある龍と鳳凰、左右の獅子と象鼻、これらは全て、三重県東柘植村出身の彫刻師田中岷江(みんこう)の作であります。
田中岷江は徳川時代に活躍した彫刻師で、津に居住して、藤堂藩に仕えていたそうです。
岷江は、根付・煙管筒・香筒等の小口の制作に長けており、常福寺に納められている鳳凰飛翔像の様な大きさのものは稀少であり、その作品中においては大作にあたると言われております。
これらは、市の文化財に指定されています。
行者堂( ぎょうじゃどう ) 本堂の左斜め前方、鐘楼の隣に小ぶりのお堂があります。
こちらは「行者堂」というお堂で、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)を本尊にお祀りしています。
篤信の方によりご寄進頂いた建物で、昭和六十二年(1987年)十二月に竣工されました。
普段は、お参りの方が自由に座って休息できるように開放してあります。
修行大師像 本堂に向かって左手に、修行大師像がお祀りしてあります。
若き日の弘法大師空海上人が、深山に籠り、山から山へと修行を積まれたときのお姿を再現した像です。
昭和五十九年(1984年)十二月に、篤信の方よりご奉納頂きました。
山門・梵鐘・鐘楼 当寺には、寛文十三年(1673年)に三重県猪田村の仁左衛門という冶工により鋳造された梵鐘が存在しました。
しかし、昭和十七年(1942年)に戦時供出により損失。以来当寺より妙音は絶え、その響きは伝えられなくなりました。
これを憂えた篤信の方が昭和二十四年(1949年)に梵鐘を再び鋳造奉納してくださり、以来永く鯨吼を響かせ、近辺の人々の心に安らぎを与えてくれております。
現在の山門・鐘楼は、平成九年に境内伽藍整備の一端として、檀信徒各位の特段のご理解とご協力により完成いたしました。
山門には、常福寺の山号である「江寄山」の額が掲げれれております。「江寄山」とは、昔は現在より河水が多く、その入江が当山門前まであった為に”江に寄る山(お寺)”と名付けられたようです。
常福寺の位置する伊賀地方、また不動山を含む境内は、四季折々にそのたたずまいを変え、そこに住む我々の目を楽しませ、心まで豊かなものとしてくれます。
当山常福寺に興味を持たれた方は、どうぞ一度、お参りくださいませ。
本尊五大明王さまを始め、境内各所の自然が皆様の参拝をお待ちしております。