其神山・葵鉾(きしんざん、あおいぼこ) 中町
いかなれば、其神山のあふひ草、としはふれどもふたばなるらむ
其神山は下加茂神社の枕詞で「葵草」は加茂祭りの葵曼で、「いかなれば」の起句を伊賀と結び、だんじりの名をつけたと言われる。宝暦九年作。
屋根 | てり破風、二重垂木 |
眼象 | なし |
天幕 | 群鳥刺繍 天井は、切りこまの百花図 |
懸魚 | なし |
水引幕 | 百花群芳図 |
胴幕 | 陶淵明、帰去来の図、林和靖、山園、小梅の図(刺繍) |
前幕 | 山水に麒麟の刺繍 |
後幕 | 呉道子龍を描く図(刺繍) |
見送幕 | 牡丹、孔雀・松、錦織 |
囃子 | 祇園ばやし |
しるし
菊慈童(きくじどう)
現存するしるし(印)ものでは圧巻。
享和2年(1800)菅公(菅原道真)900年を契機に作られたとある。 見送り幕は中国明時代の官服で、群青、赤、黄、紫等の真向きの龍の蝦夷錦、以前はだんじりの見送り幕であった。