伊賀上野の城下町は藤堂高虎公によって拓かれ、400年の歴史と伝統を誇り当時の町割がそのまま現在に受継がれています。城の外堀の南には三筋町や立町と呼ばれる商人の町が築かれ、その周囲には忍町に代表される武家町や寺院を集めた寺町が形成されました。江戸時代中頃には奈良や大坂、京都に向かう大和街道や津や伊勢に向かう伊賀街道が発達し、道筋の町は大いに賑わいました。このコーナーでは当時の面影を偲ぶ町並みや町家などの建築物を紹介します。
1.福森邸(上野幸坂町)
この辺りは、江戸時代の古地図に照し合わせると城の外堀があった場所になります。しかし、明治時代には埋め立てられて家並みが形成されましたが、家々は伝統的な町家形式で建築されています。この建物はその頃の姿のまま残されていて、漆喰塗りの「虫籠窓」や格子が風情を醸しています。また瓦が載せられた黒漆喰塗りの高塀も特徴的です。ここは現在「伊賀上野町家みらいセンター」の活動拠点になっていて、各種の会合やイベントの場としても利用されています。秋の夜長にこの通りに並べられた行灯のろうそくが照らし出す「灯かりの細道」も郷愁を誘います。
2.寺村家(国登録文化財)(上野福居町:二の町筋、西之立町通)
三筋町と立町の交差点は「辻」と呼ばれています。伊賀上野ではこの辻に面して建つ四軒の建物の屋根の形はひと工夫されていて他の一般的な町家の「切妻造」とは異なり「入母屋造」と言ってお寺の屋根の様な形をしています。この家は江戸時代には「両替商」(今の銀行の様な商売)をしていたので、金庫の役割を果たす頑丈な土蔵が通りに面して建てられています。蔵の壁は「海鼠壁」といって平瓦を張付け漆喰で固めて模様を描いています。この土蔵の模様は珍しい形で「鼓繋ぎ」と呼ばれています。伊賀上野現存する町家の中で最も古いとされています。
3.西町集議所(伊賀市指定文化財)(上野西町:本町筋、大和街道)
本町筋は城下町では最も賑やかな町で、問屋が建ち並び家の間口も他の町より広いものが多くありました。昔は家の間口の広さを基準にして税金がかけられたので、間口が広いと税金も高かったのです。伊賀でとれた米は船で木津川を下って大坂に運んで商売していました。この家は江戸期には米問屋をしていて屋敷の裏には大きな土蔵も残っています。明治時代になって町の集会所(集議所)に変わり現在も町の人達の会合や祭りのために使われています。平成18年に保存修理され化粧直しされ、厨子2階の「虫籠窓」と「出格子窓」がより鮮やかに甦りました
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