手掘り日本史/司馬遼太郎/集英社
本の名前に惹かれて、古本屋で買いました。
「歴史の通念とされているものの背後に人間は生きていたということ」
歴史の流れをつねに現在形で見ていくところに、ナマの人間の姿が浮かび上がってくるのだと思うと書かれていました。歴史への興味が高まります。
「戦後の世界において、ある時期にはバンドンから、ある時期にはベトナムから、最もよく世界が見渡せる、世界の動向がよくつかめる、しかしほかのところからでは、そうよくは見えない、といったことがある」という言葉には、今の日本を見るには、沖縄から見るのが最もよく見えるということかなと思った。
「(坂本)竜馬には論理がないだけで、テーマはある。」僕も、テーマをもって生きたいと思う。
「史観は、歴史を掘りかえす土木機械だと思っていますが、それ以上のものだとは思っていません。・・・・歴史をみるとき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手掘りで、掘りかえさなければならないことがあります。」司馬氏は、日本の天皇は、大神主という。日本人の精神的秩序の中心であって、地上の皇帝ではない。中国の宋学から出ている水戸学の史観(尊皇攘夷)が、江戸時代の読書階級のなかに浸透していくが、この尊王攘夷を日本の国に置き換えて王というのは何だろう、あ、天皇さまだ、と思った。そして、明治維新で無理矢理に地上の皇帝にさせられてしまった。司馬氏は、その点で天皇を被害者という。僕は、そうだろうかと疑問をもつ。