脳の時計、ゲノムの時計

ロバート・ポラック

 

訳(やく)は、中村桂子氏とその娘さんの中村友子氏である。中村桂子氏は一度だけ行った「JT生命誌研究館」(大阪府高槻市)の副館長さんである。

 難しかった。内容はもちろん、翻訳された文章という点でも、僕の頭がついていかなかった。けれども、人間の体についてとても興味深いことがかかれていた。

 たとえば、「誰かが自分の前腕部をつねったその瞬間と、それ感じた瞬間の間に半秒が経過したことなど、感じることはできない。自分の前腕部をくすぐってみてほしい。あなたがそれを感じるまで、時間の経過などありはしないだろう。それでも人の脳が感覚を意識の瞬間へとまとめるには、半秒かかるのである。つまり私たちは、半秒進んでいる意識の内部時計にコントロールされているのだ。この時計があるので、私たちは、いま経験していると思いこんでいることはすべて半秒ほど前に起こっているにもかかわらず、同時感覚を持つことができるのである。」

 感覚から意識にまとめるまで、半秒かかるということ。この半秒の間に、脳が以前経験した感情を含む経験の記憶の蓄積を混ぜ合わせているという。よく分からないが、僕のような怠け者の人間の脳でも、脳は脳としてめまぐるしく働いているのはありがたい。

 もう一つ、興味深い内容があった。

「何でも治療が可能であり、差し迫った死は治療の失敗なのだという間違った約束をすることをやめ、そのかわりに、人生の最後のステージ、つまり死の時の、医学的かつ科学的な局面に重点を置く専門家がどれだけいるだろうか?」そして、ホスピス・ケアにできることのよさについてヘイスティングス研究所のブルース・ジェニングスの言葉を紹介している。「ホスピスの賢明さは私たちに、すべての個体は死ぬということ、そしてそれまで私たちはみな相互に与え合い、相互に依存しながら生き、栄えていくのだということを気づかせてくれる。よい人生を送る、もしくはもっと正確には人間としてよく生きるということは、癒され、意味のある全体として維持されることだ。こういうやり方は成長し、変化し、変化させられるのである。これらはホスピスの美点だ。人生の物語の最後のページが、それがはじまりであるように描かれるのだから。」

 「死の訪れを止めるために医学が何も出来なくなった瞬間から死までの期間」をどう過ごすのか、興味がある。

 僕の経験は、曽祖父・曾祖母・祖父・祖母を家で看取り、父を病院で看取ったこと。僕自身は看病をほとんどしなかったが、死は身近にあった。そして死は必ず来るものと思った。

 

ポラック氏曰く、医学を管理する必要はないが、指導しなければならない。この違いを、イェール大学の学長で、メジャー・リーグの理事であった故A・バートレット・ジャマッティが説明していると、紹介されている。

 「管理とは複製の問題を扱い、さまざまな顧客をなだめ、職員を鼓舞する能力で、(中略)一方、指導とは本来道徳的な行為であり、(管理のように)防衛的な行為ではない。将来へのビジョンを主張することであり、単純な様式の活用ではないのだ。未来の組織に関するビジョンを主張する勇気、社会を説得する知的エネルギー、知恵と妥当性を持つビジョンが作る文化である。それは、実用的で魅力的なビジョンを作ることなのだ。」管理と指導の違いは、これまた、興味深いが僕は、どちらも得意でなく、ぎこちない。相手の話を聞いてそばにいるのが精一杯だ。