日本が「神の国」だった時代−国民学校の教科書をよむ−入江曜子著 岩波新書
国民学校は、1941(昭和16)年から1947(昭和22)年までしか存在しなかった。この本は、その国民学校で使われた教科書についてかかれている。第五期国定教科書である。
この本を読むきっかけは、しんぶん赤旗に載っていたある随筆家の記事だった。その女性の婚約者が戦地に向かうとき、「この戦争は間違っている。天皇のためには死ねない。きみのためなら死ねる。」と話したという。彼女は驚いて、しばらく言葉が出なかったが、「わたしなら、(天皇のために)死ねる。」と言った。これは、彼女自身が語っている言葉。なんと、戦争は悲惨なのだと思った。そのときの婚約者の気持ち。婚約者は、戦地に向かい、帰ってこなかったが、今なお、こころにおもりを下げつづける随筆家の女性。そんな、女性や国民をつくりあげるのに、大きな役割を担ったのが、教科書たと思った。それが、この本の題を見て、借りようと思ったきっかけだった。
小渕恵三元首相、森喜朗前首相が1937(昭和12)年生まれ、「新しい歴史教科書をつくる会」代表の西尾幹二氏が1935(昭和10)年生まれだという。国民学校に通い、第五期国定教科書を使った。
この教科書にかかれていることが、紹介されていた。あるべき日本の母の姿として、「私は、女で戦争に出られませんが、子ども二人は、どんなにしても出征させます。」(初等科修身一「心を一つに」)否応なしに、ではなく「自発的に」「自ら進んで」という点に含意があるという。
「天照大神は、日神(ひのかみ)とも申しあげ、天皇陛下の御祖先にあたらせられる、御得の高い神様であります。」(初等科修身一「み国のはじめ」)と天皇の先祖は神であると教えた。
君が代について、この歌は「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいて、おさかえになりますように。」という意味で、国民が、心からおいわい申しあげる歌であります。(初等科修身二「君が代」)という。
日本の国は、イザナギ、イザナミの神がつくったという「国生み」の神話を紹介したあと、そうだ。私たち国民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい国生みのみわざに、はせ参じているのである。(初等科国語六「十二月六日」)こうして、史実でない神による「国生み」の新たな事業として戦争が正当化され国民を戦地へ向かわせたのである。婚約者までも戦地へ向かわせた。子どもは、大人を100%信じ、教科書を100%信じる頃がある。刷り込まれた戦争への意志は、大人になっても消えない。もちろん、みんなが同じではない。著者の入江氏も、同じ年代である。
僕が、この時代に教育を受けていれば、どうだったのか。おそらく、軍国少年だったろう。疑問をもたず、おとなの言うことを信じたと思う。それが、怖いと思う。