何もしないという選択06.06.22

パソコンがなくては、仕事にも趣味にも支障が出るようになってきた。仕事では、基本的に一人一台のパソコンで、データの共有やメールやインターネットを利用している。

関連の事業所への連絡もメールでやりとりしている。メール送信の履歴も意識しなくても残るので、確認にも便利だ。

そんな、パソコンを使いながら、考えさせられたことがある。

パソコンにUSBのフラッシュメモリーや外付けのハードディスクをつなぐと、どのように開くかパソコンがきいてくる。写真を開くのか、ファイルを開くのか、音楽を聴くのか、といったように。

それらの選択の一番下に「何もしない」という選択がある。              

これを始めてみたとき、驚いた。

少なくとも、何か作業をしようと、外部のデータをつないだのに、「何もしない」という選択があることに驚いたのだ。

そう思って、考えると、「何かをしなければいけない」と考えている自分に気がついた。

どこかに行けば、何かこれまでと違ったことを「しないといけない」と考える。そこで、何もしない、ボーとしている、ということが、選択の一つとしてあっていいのだ。

その上で、あれをやろう、これをやってみようと考えればいいのだ、と思った。

いつも、ボーとしていたら、それも困る。私みたいに「おとぼけモモンガ」と呼ばれる。