昼のテレビ−06.07.12−
職場では、昼食をとりながら、テレビを見る。
今日の番組で、ガン患者さんが取り上げられ、取材を受けられていた。
35歳・男性でIT会社の社長をされている。診断は余命3ヶ月の胃がん。
淡々と話されるその姿に、目が離せなかった。
1ヶ月が過ぎた頃、あと、2ヶ月、と思ったとのこと。今は、宣告から4ヶ月が過ぎて、今も、痛み止めが離せないながらも出歩いてられる。そして、死は意識していないと言われる。
私だったら、どうだろう。とりみだし、まわりの同情を請うかもしれない。
そして、余命3ヶ月といわれたら、何をするだろうか。何もできないまま、時間がただ、過ぎるように思う。
以前、図書館から借りた本の中に、「余命3ヶ月としたら、何をするか。その答えを英文で書いてみなさい」という問があって、その本の中に本当にその宣告をされた方の話が載っていた。
その女性は、小さな子どもに手紙を書き続けたのだという。切なく、悲しいと思った。
私のオヤジも胃がんで逝った。17年前、本人が61歳の時だ。検査の結果、進行がんで手遅れと家族が説明を受けてから40日で逝った。本人は本当の病名を聞かされず、聞いてくることもなかった。
その番組の司会の方やアシスタントの方は「死を意識せず、生きていることが当たり前で、無駄に過ごしていることが多いと感じた」と言われていた。私もそうだ。明日の朝、死んでいるかもしれない自分を想像することはない。
ふと思い出した。以前、道上洋三のラジオで聞いた詩の一節。「わたしは、今日 生まれた」