「思うこと」が100回目!−06.09.23−
なんと、今日の「思うこと」が100回目。なぜ、判るかというと、一番最初の思うことがNo.100になっているので、これが、100番目ということ。
最近になって、「思うこと」を更新するようになったが、(最近の最近はご無沙汰だが・・・)以前は、忘れたころの「思うこと」だった。
私の「思うこと」くらい、皆が「思うこと」なのだが、それを発信することに少し、意義があると思い、続けている。
人は、区別をしたがる。革新と保守、健常者と障害者、貧乏と金持ち。確かに違いはあるが、価値というと、区別がない。革新の立場に立つ人にも、保守的な考えや振る舞いはあるだろうし、保守の立場に立つ人にも、革新的な考えや振る舞いはあるだろう。健常者や障害者も、そんな人がいるわけではなく、人という共通項の中で障害があったり、目立たなかったりいうことだろう。
私は、高校の時に、こんな風に考えた。
東京でたとえば、三重県の人が集まれば、連帯感を感じる。いろいろな職業の人が集まる時、同じ職業についている人がいれば、親近感を持つ。たぶん、宇宙で、地球人に合えば、なつかしく感じるだろう。
そんな、感じを、同じ共通項にいる時に感じることが大事じゃないか。例えば、東京で、同郷の人に連帯感を感じるように同郷にいて同郷の人に連帯感を感じる。地球にいて、地球人であることのなつかしさを感じる。その中で、違いを探し、そして、他者を排除しながら、同じグループの連帯を確かめるのでなく、違いを認めながら、連帯すること。「個の連帯」だ。
高校から、あまり、成長していない私がいる。