いじめと目標管理 −06.11.13

いじめによる自殺や自殺予告が後を絶たない。

「いじめは昔からあった。最近の子どもは、いじめを跳ね返す気持ちに弱さがある」という意見がある。たしかに、そういうこともあると思う。

けれども、今、こうして噴き出しているいじめの犠牲は、大本には国の方針が強く影響している。

2003年3月、教育基本法の改定を求めた中央教育審議会(文科相の諮問機関)答申で、教育施策について「できる限り数値化するなど達成度の評価を容易に」する、とし、具体例として「いじめ、校内暴力の『五年間で半減』」もあげている。 これを受けた都道府県では、不登校やいじめの件数に数値目標をかかげる。 国や都道府県の心意気はわかる。しかし、数値目標が設定されれば、その到達が目標となり、実際のいじめや不登校の実態が隠れてしまう。

「いじめ」0と報告されたかげで、どれだけ、見過ごされ、放置された「いじめ」があったのか、その大きな代償が子ども達の命だ。

おとなが、見守る姿勢、見守っている姿勢を示すのは大事だけれど、落ちた命は帰らない。

評価を容易にするために数値化された目標管理で、子どもも教師も殺された。教育の現場では、「決めたことは守る」というルールがストレートに徹底される。誰が何のために決めたのか考えずに、守ることが優先される。