2007年に想う−07.01.04

どうして、こんなに人に優しくない国になってきたのだろう。「いや、国の責任ではなく、一人ひとりの心の持ち方が貧しくなってきたのだ。だから、首相は『美しい国』をつくろうと呼びかけているのだ」という人がいるかもしれない。けれども、彼が作りたいのは大金持ちにとって「美味しい国」だ。

美しい自然を壊してきたのは、誰なのか。人と人との美しい関係を壊してきたのは誰なのか。安心して暮らせなければ、希望を持ち続けなければ、人の心は貧しくなる。

「美しい」といって、思い浮かぶのは去年の始めに読んだ「博士の数式」という小川洋子さんの小説だ。その物語の中にこんな博士の言葉が出てくる。数式の証明をめぐっての話―「本当に正しい証明は、一分の隙(すき)もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。たとえ間違っていなくても、うるさくて汚くて癇(かん)にさわる証明はいくらでもある。分かるかい?なぜ星が美しいか、誰も証明が出来ないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね」            

マネーが世界を走る。増えることだけが自己目的であるマネーが走り去った後には、貧しい人の屍(しかばね)が累々と横たわる。歯止めが効かない。なぜなのだろう。私たちは、幸せを勘違いしてきたのではないか。早く、速く、私たちは、死を急ぐ必要はない。生を愉しむべきではないのか。物を少しでも安く買おうというのは、自らの働く価値を低くしていく行為ではなかったか。

去年の「さくらんぼ通信」に「かつてない医療改悪には、かつてない取り組みを」と書いた。かつてない医療改悪が始まり、改「正」教育基本法が採決される、という戦後の一大事に、迎え撃つ私たちの取り組みも確かな手ごたえをつかんだ。けれども、前を向く前に、そして、前を向きながらも誰が敵か味方かも分からず命を堕とした人たちは還らない。

どれだけ、犠牲を出せばすむのか。

私の今年のキィワードは「職人」だ。効率や孤独に対抗するために。本当の「美しい国」は職人が大事にされる社会だと思う。