トランペット −07.10.08−
少し前のこと、9月17・18日に横浜で「高齢者大会」があり、文化行事としてトランペットの演奏があった。正確にはトランペットと朗読だのだが、私は、トランペットの演奏を聴きながら思った。
「なだそうそう」や、「さとうきび畑」や「世界に一つだけの花」などを間に朗読をはさみながら、トランペットの演奏は、すばらしいものだった。
その音を聴きながら、私は、私の祖父を思っていた。私の祖父はトランペットの名手だった。正確には、トランペットではなく、進軍ラッパである。祖父を知っている地元の方が、「おまえさんのおじいさんは、ラッパが上手くて『・・・連隊の○○のラッパ』と有名だった」と話してくれた。
私の祖父は、学んでラッパ吹きではなかったが、雅楽の笙(しょう)を村祭りで吹いていたので、管楽器の感覚があったのかもしれない。
私の祖父は、進軍ラッパを吹きたかったのだろうか。
今の私にはわからない。
進軍ラッパを上手く吹くことで、軍隊の規律を保ち、皇軍として命をささげる突撃をする合図を、すすんでやったのかもしれない。
今、平和と言われる世の中で、平和の調べとしてトランペットの音を聴きながら、もし、祖父が、今の時代に生きていて、トランペットを手にしていたら、私は、高らかに平和のトランペットを吹くと思う。そんなことを思いながら、高齢者大会のトランペットの演奏を聴いていた。