2008年に思う −08.1.07
 曲がり角

「かきねのかきねの曲がり角〜」と唄っていたのはいつのことだろう。今では、落ち葉焚きの風情も見られなくなった。

「お肌のお肌の曲がり角〜」とかみさんが歌っていたかどうかは定かでないが、そんな年も、お互い、とっくに過ぎた。

 今年、私は、50歳になる。「天命を知る」年である。不惑の40代は惑いっぱなしだったので、50歳になっても天命を知ることなく過ぎていくような気がする。このまま、「六十にして耳に従う」を待とうか。

 しかし、一度きりの人生なので、孔子さまがいわれるように、50歳を機に自分の「天命」が何か、考えてみるのも無駄ではない。孔子さまがいわれる「天命を知る」というのは、50歳にもなれば、自分の「天命」は何なのか、わかるであろうといわれている気がするが、「ウー、ワカラナイ」。

 音楽を楽しんだり、カメラを持ち歩いたり、好きなことをやっているが、それが、天命かといわれれば、他人にとっても家族にとっても迷惑なだけで、天命というからには、人様の役に立ってこそというニュアンスがある。

天命を知り、人様の役に立つ、こともする。ということで、今年は人生の曲がり角にしたいと思う。(平均余命からすると、とっくに折り返し点を過ぎているが・・・)                  曲がり角、といえば、世の中も曲がり角に来ていると思う。今、手元に「沈んでたまるか」というタイトルの本がある。2001年12月10日に発行された単行本で、著者は

鈴木敏文氏と宮内義彦氏である。鈴木氏はイトーヨーカドー社長、宮内氏はオリックス会長。二人の対談の中で、「国が統制している部分と、国そのものが経済運営をしている部分が日本経済のおおよそ半分を占めている。これを早く最も効率の良い市場経済に移行しないといけない。ここを何としてもやらない限り、世界の効率競争に負けるということははっきりしている。」「今ならまだみんなで沈んでしまわないようにすることが可能なんだと思います。・・・規制緩和によって市場原理を大幅に取り入れることで、活力を生み出していくしかないんです」

 大企業は、世界との効率競争に勝つため、「沈んでたまるか」と構造改革をすすめ、市場を広げてきた。その結果、国内ではリストラがすすみ、社会保障が後退し、餓死者が出る世の中になった。私たちは、この曲がり角に声をあげなければならない「殺されてたまるか」