145.適当な理解を反省(2024.05.06

5/4に書いた「仕事を終えて1ヶ月が経ちました。」の中で「時間割をつくろうと思う。小学校や中学校の時の時間割を参考にしようと思う。まずは、国語と図画工作と家庭科か。どれも、中学の時、割と得意科目だったので。」と書きました。ふと、気になって、小学校と中学校の成績表を探して確認しました。まず、図画工作と家庭科は、中学にはありませんでした。図画工作と家庭科があったのは、小学校でした。ちなみに、家庭科は家庭という科目で、中学では、それぞれ美術と技術家庭という科目になっていました。適当な理解と適当な記述をしていました。反省です。

ついでに、成績もみてみると、割と得意科目だったのは、小学校では、社会と理科、中学校では、国語と美術と保健体育でした。そこで、退職後の時間割をどのように割り振り?するかということですが、しっくりいくのは、小学校の時の科目に、興味のある外国語(夢?)を加えたものを基本にしようと思います。具体的には、「国語」「社会」「音楽」「図画工作」「家庭」「体育」「外国語」です。「算数」と「理科」はとりあえず、除きました。さて、うまくいくか。

適当な理解、という点では、これは、猛省なのですが、知人の紹介で、ユーチューブで「2024年憲法施行記念福島県民集会」の「武力で平和はつくれない」 出水薫九州大学大学院法学研究院教授 の講演を聴きました。90分ほどの講演でしたので、1.5倍に早めて聴きました。憲法9条:戦争放棄条項を守る、平和憲法の改憲に反対をしている私たちは、果たして憲法の理念を理解しているだろうかという問いかけでした。憲法は、その前文に書かれている内容の理解が不可欠と言われました。すなわち、戦争は、なぜ起こるのか。戦争はしない、と宣言しても、戦争の原因をなくす努力なしに、戦争は繰り返されるということです。憲法前文には「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と書かれています。私たちは、憲法を守れ、憲法九条を変えるな、と叫んできたが、実態としては、既に、他国に侵略できる軍隊を持ち、憲法を変えないまま、戦争できる法体系をつくってしまった。今一度、平和とは何なのか、憲法前文に立ち返り、「全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れる」ための努力をすべきではないか、という問いかけでした、講師は、戦争を知る年代が亡くなっていき、世代交代する中で、この前文の理解、憲法の理念の理解は遠のいていると言われました。憲法理念の前提は、戦争体験ではなかったか。語り合い、励まし合っていきましょうという講師の呼びかけに、これまでの、私の憲法九条に対する適当な理解を猛省した次第です。