@ 現代社会における教育問題の共通課題を考察せよ

                                        

人間の一生を通じ、教育の役割は大きく、特に青年期までの発達段階における教育の 役割は、オオカミに育てられた人間の例を見るまでもなく、絶対的ともいえる。それは、同時に集団の中でしか生きられない人間の柔らかさともいえる。

私は、今回与えられたテーマにもとづき、特に自立した社会人を育成するための学校教育において、教育基本法と学習指導要領を中心にレポートしたい。

まず、戦争の反省のうえにたって公布された日本国憲法のもとで教育基本法は制定された。

すなわち、憲法第26条で

「@すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

Aすべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」

と定め、 これを受けて教育基本法が教育勅語にかわる新しい指導理念として19473月に公布された のである。

教育基本法第3条では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない(以下略)。」と、教育を受けることが国民の権利であることが明記された。

そして、その教育は、憲法の精神を実現するためには「根本において教育の力に待つべきものである」(教育基本法前文)とされているように、ふたたび、国家による戦争という手段によって、個人の生命が奪われることがないよう、主権者としての自立した自己を育てる目的と内容でなければならない。

国民一人ひとりの生活を豊かにすると同時に、人類の生存の法則に即した目的と内容が教育に求められているといえる。

それでは、実際の学校教育はどうだろうか。これをみる際に注目したいのが、学習指導要領である。

学習指導要領は、文部省が学校教育の課程で教師が生徒に教えるべき内容を詳しく示したものである。教師は教科書を用いて授業を行うことが義務づけられており、その教科書が国の検定を通るためには学習指導要領に添った記述でなければならないというしくみで学習指導要領の強制力は、絶対的なものになっている。

しかし、学習指導要領はうまれた時から、そのような役割りを担わされたのではない。 

学習指導要領は、1958年の第三次改訂の頃から、国民の手から教育を、わかる楽しみを奪うものに変質していった。

それまでの学習指導要領は各県や各地域で作成され、それを参考にして各学校で自主的・創造的に教育課程をつくって実践することが奨励されていた。しかし、学校教育法施行規則(省令)が19588月に改正(国会はもちろん閣議にはかることなく文部省の議により定められた)され、「小学校の教育課程については、この節に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする。」と規定されたことによって、文部省は学習指導要領は法律に準じて拘束力をもつものであるとの見解をとるに至ったのである。

これは、ちょうど私が生まれた頃であり、その実施は私の小・中校生時代と平行している。高度経済成長の時代の幕開けのことである。

私にとって、 特に小学校は物事のしくみや新しいことを学ぶすてきな場所だった。わかる楽しみにわくわくして 通ったものである。勿論、友だちとのやり取りも楽しい思い出だ。しかし、その背後で、時代の要請、主には財界の教育政策に従って、学習指導要領は六次の改訂を経て今日に至っている。

学習指導要領の第六次改訂(19893月)で、注目するのが、

@漢字等の教える量が更に増え、算数の学習事項も低学年に移行。

A教師を敬い、人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつよう指導。

B「日の丸・君が代」の強制C社会や自然を対象化して客観的にとらえる事より、とりくむ姿勢やかかわりを重視して科学的な思考を排除した点である。

理解できるように教えてもらえると子どもたちは楽しみに学校に通うのだけれど、先生はみんなが理解するまで時間がとれない。子どもたちは理解できないのは自分の能力のせいだとあきらめていく。楽しいはずの学校が子どもを落ちこぼす。学校の主人公を子どもにおかずに、どうして、国の主人公(主権者)を育むことができるだろうか。

私たちは、教育における財界の政治的意図にもっと敏感にならなければいけないと考える。

それでは、財界は今後の教育に何を求めているのか。それを知る一つに経済同友会が公表した「学校から『合校』へ」という提言(1995519)がある。その内容は「二一世紀を展望した わが国の教育の在り方について」という第一五期中央教育審議会の第一次答申(1996719)に反映されている。

両者が一体のものとなった教育改革構想の主要な点は、 

@子どもたちに「生きる力」を育てるため、「ゆとり」のある教育をめざす

A 学校をスリム化し、家庭・地域と連携して教育の充実をはかる

B 一人一人の個性を生かし学力を伸ばすため、教育課程の弾力化・指導の改善をはかる

C 国際化・情報化の全世界的流れに即し、それらに必要な技術・能力の向上をはかる

の4点(坂本光男氏による)であるが、Aの学校のスリム化のねらいをみれば、学校の役割を矮小化するもので、民間企業に対して更に市場開放する政策にほかならないことが理解できる。

子ども・教師・親が分断され、孤立させられているなかで、かけがえのない時を生き生きと生きられるように、国民の手に教育をとりもどすとりくみを地域から起こしていくことがますます求められている。このとりくみが、教師・親を育てると確信する。

参考文献

「教育基本法-その意義と本質-」宗像誠也編 新評論

21世紀これからの教育と子育て」坂本光男著 労働旬報社

「政治と教育のあいだ」増田孝雄著 新日本新書

「新指導要領と子ども」梅原利夫著 新日本新書