2005年10月17日から19日にかけて、沖縄・辺野古の海に行った。辺野古に米軍の海上基地を移転することに反対する沖縄の人たちに連帯し、私たちの生きる道を探る行動だった。仕事として行ける職場はなんか変?とにかく、あらためて、平和について考え、考えるだけでなく、ほんの少しだったが、参加できたことに感謝している。

今、私の手元に、永六輔氏著の「沖縄からは日本が見える」という文庫本がある。「ウチナーからはヤマトが見える」と読む。この本の題名がひっかかって、沖縄は、私にとっても特別な土地になっている。沖縄はもちろん日本なのだが、本土?にいてはわからない、日本の現実が沖縄にあり、それは、まさしく、日本の現実だと突きつけられている。

在日米軍の75%が沖縄に居座っているという現実。米軍による事故や事件にさらされている日常。異常なのだ。沖縄こそノーマライゼーションが必要と思った。その原因が、米軍基地にあること、それを支援し続ける日本政府にあることは明らかだ。基地のない住宅、基地のない暮らしがノーマルなのにそれが許されていない。

私は、沖縄を捨石にした日本の歴史があると思う。沖縄戦だ。逃げられない島の中で、アメリカ軍から、日本兵から追い詰められ、死ぬしかなかった沖縄の人たち。この夏、鹿児島の知覧(特攻機が飛び立っていった飛行場があったところ)に行き(これも仕事)、そして、今回、沖縄に行き、私にとっては、あらためて、今年は平和の行動元年といえる。沖縄を再び見捨てるわけにはいかない。私の暮らしにつながる日本でおこっている出来事だ。九条の会のどなたかが、戦争になって殺される、又は他人を殺すより、今、戦争反対を声高に言いたい、とおっしゃっていた。その通りだと思う。

表現方法は、いろいろだ。朝起きて、5秒でも平和のこと、沖縄のことを思うことでもいいと思う。無関心が怖いと思う。

今も、私の目の前に辺野古の海があり、私の横に沖縄のおじぃやおばぁがいる。