憂きわれを寂しがらせよ秋の寺
元禄二年(一六八九)四六歳の作である
句意
晩秋の暮色に包まれて、この寺には沁み透るような寂しさが漂っている。
心に憂いを懐く自分はこの寂しさの中でさらに深く寂の境地に徹したい。
「伊勢の国長島、大智院に信宿す」との前詞がある。
大智院は木曽川河口の近くにあり、曾良の伯父精秀法師の寺である。
この句は後に推敲を重ね、「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」として完成したと
いわれている。そしてその句意は「閑古鳥よ。いつも何となく物憂い思いでい
る私を、お前その寂しい鳴き声で、もっと実体のある明確な閑寂境の中に誘い
こんでほしい」となった。
句碑