窪田猿雖
かろき身の蝉は子もなし親もなし
句意
 蝉はだれの助けも借りずに脱皮をして、一人立ちをする。親子で群れることもなく、身軽に飛んで、はかない命を精一杯生きていることよ。
 猿雖は芭蕉より四歳年長だが特別の親交があり、芭蕉からの書簡も多い。元禄二年仏門に入って意専と号し、家業から離れて郊外の大きな下屋敷で、専ら俳諧を嗜んだ。帰省した芭蕉を招いて句会を催すことがしばしばあり、ある日芭蕉に庵の名付を乞うたところ、江戸に帰庵した芭蕉は「東の方藪際の古家、東麓庵」「新庵定而西の方に付可申是西麓庵」と名付けた。以来服部土芳らとともに、伊賀蕉門のかなめとなって蕉風山脈を支えた。
上野市中町 明覚寺
MENU MENU4