鈴木輝一郎氏からの返事 (現実はキビシイぞ)
第一弾
貴HP、ざっと拝見しました。
小説に関しては、出版業界の事情からいって、作品の質以前の問題として、最低でも四百字詰め原稿用紙換算300枚以上の長さのものがコンスタントに書けるようにならないと本職になるのは難しい、と申し上げておきます。
短編を書けなくても本職としてやってゆけますが、長編を書かないで専業でやっている例は、身辺を見回しても室井佑月ぐらい(それでも先日長編が刊行されましたが)で、それ以前の例となると阿刀田高さんぐらいしか思い当たりませんしね。草上仁さんはいい短編を書かれるのですが、確か週末小説家だったと記憶しています。
一生の長さは人によりけりですが、一日の長さは、生まれた日と死ぬ日以外は24時間と決まっています。修業時代に最も難しいのは、実のところ、いい作品を書くことよりも、作品を書く時間をいかに捻出するかのほうにあります。
もし茶羅さんが本職の小説家を目指しておられるのであれば、漠然と作品を書き連ねて時間と労力を無駄に消費するよりも、一般公募の新人賞の募集要項に目を通し、
1)新人賞の要項を満たした作品を書き上げる。
2)応募する。
3)常にどこかの賞の結果を待つ状態でいる。
ようにしておくことをお勧めします。念のために申し上げておくと、『一般公募の新人賞』というのは、出版社主催のもののことです。地方公共団体や各種法人が主催するものは、本業のキャリアとしてはカウントされないと考えていただいて間違いありません。
第二弾
何度か書いていますが、再掲しておきますね。小説家志望者のかたには、三つの傾向があります。
先に申し上げておくと、『小説家志望者』と『小説家になれる人』は同じようでも、まったく別のものです。『なれる人』には、少なくとも2)と3)はありません。
1)小説家志望者は無礼。
2)小説家志望者は本(活字全般)を読まない。
3)小説家志望者は文章に無頓着。
無礼や非常識は一般的な生活を送るうえでは困る場合が多いのですが、小説家に限っては、それが個性として生きることもあるので、特段気にすることはなかろうと思います。ぼくもよく『非常識』と女房に言われます。
『読むために読む本』と『語るために読む本』と『書くために読む本』はそれぞれ別のものです。
もし茶羅さんが本職の小説家になりたいと思っておられるのであれば、鈴木のHPを夜通しダウンロードするよりも、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)あたりの古典のファイルを落として、片っ端から目を通されることのほうが、はるかに役に立つだろうと思います。
そして、もし本職の小説家を目指しておいでなのであれば、メールをお出しになる前に、誤字・脱字・変換間違い・文法間違いをチェックする癖を必ずつけてください。前回頂戴したメールでも誤字が目立ちました。句読点の不統一や欠落などはぞんざいになりがちですが、わずか二本のメールに、いずれも何箇所も用法の誤りがあると、本文を読まれなくても御自身の国語力の水準を量られてしまいます。
小説家を志望していながら、そのメールに誤字・脱字・変換間違い・文法間違いがあるということは、顔にごはんつぶをつけたまま取引先の葬式に出席するようなものだと思ってください。なくて当たり前で、あってもその人自身の品性を左右するものではなく、本業とはまったく関係はありませんが、少なくとも仕事に対する姿勢は疑われます。
予選をコンスタントに通過する程度の実力のある人には、教えられることは何もないのですが、予選落ちするばかりする人は必ず予選落ちするだけの理由はあります。相応の指導を受ければ、予選を通過することはさして難しいことではなかろうと思います。
うちのHPでは後進の育成はやっていませんが、同業者のなかには熱心なかたもいらっしゃるので、貴作についての相談は、そちらでなされるのがよろしいでしょう。どこでやっているかは、御自身で調べてください。調査力も実力のうちで、つけておいて損はなかろうかと思います。
言葉には魂があります。できると思ってできないことは沢山ありますが、できないと思ってできることはありません。「無理かなぁ」と言わず、できることから順番にやっていくことが大切であろうと思います。
ではまたいずれ、どこかの賞の授賞式でお会いできるのを、楽しみにしております。
第三弾
今回のメール、まず、差し出し人の名前が本名しかなかったのが減点。メールを頂戴した時点で『誰だっけ?』と一瞬記憶をたぐる必要がありました。
自分は自分にとって一人しかいないけれど、相手にとっては何千人かのうちの一人に過ぎないのだ、という想像力は必要ではあります。
もし筆名でメールをお送りくださる場合には(防犯上の理由から、ぼくは筆名・ハンドルネームを使われることをお勧めしています)、筆名を併記していただくよう、お願いします。
あと、普通、しめくくりの定型文で『どうかゴジアイください』という場合には「ご自愛」を使います。
とても厳しい言い方になって恐縮ですが、わずか数行のメールをだすたび、そのすべてに誤字がある、というのは、小説家志望うんぬん以前に、日常生活で支障をきたさないのでしょうか。
実のところ、よくメールをくださる常滑の狸おばさんやパタパタママさん、亜覆面医者月川さんたちのメール、本名を削除したり改行位置を替えるぐらいで、本文に手を入れることは滅多にありません。これはこのかたたちが特別に優秀ということではなく、日常生活を送るのには、あのぐらいの国語力はないと困るから、ですね。
小説書きは天性に左右される割合が高いのですが、文章と取材力だけは、努力が着実に結果に反映される要素です。漫然とキーボードを叩かず、常に辞書を持ち歩き、少しでも疑問を感じたら、即座に引く習慣はつけてください。あと、推敲する際、声に出して読む習慣をつけると、かなり誤字は減らせるはずです。
次にメールをくださるときこそ、誤字がありませんように……って、祈ってどーする。
第四弾
いずれにせよ、茶羅さんが、メールの誤字がなくなり、ご自身の筆名も明示されるようになって何よりでした。
ちなみに拙著のなかには伊賀上野を舞台にした作品もあります。『何か』とお訊ねになる前に、御自身で図書館に足を運んでお調べください。調査も仕事のうちです。
あと、ええと、貴HPのタイトル、『小説家への道』とありましたが、デビューするのはスタートであって、ゴールではないことをお間違えなく。
小説家とは、職業ではなく状態です。