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スリランカの仏教幼稚園
堤ぬい子 「つつみ ぬいこ」 プロフィ−ル
1928年生まれ。真宗高田波大仙寺前坊守。メッタ(慈しみ)幼稚園名誉園長。三重県上野市在住。スリランカのマ-ガルレ−ガマ村での仏教幼稚園設立(1998年)に尽力する。
不思議なご縁が成就して、スリランカのマ-ガルレ−ガマ村に私のわずかな寄付金で、メッタ(慈しみ)幼稚園を設立することができました。
スリランカは、北海道の八割ほどの面積。気温は年中30度前後。人口約1800万人、そのうち70%が仏教徒で、宗派はなく、四諦八正道の厳しい南方上座仏教です。
この事業は、スリランカ僧アリヤワンサ氏とのご縁がはじまりです。彼は9歳にして両親のもとを離れ修行しましたが、「人間のありのままの、すくいとは」と、彼なりの問を持って十年前、留学したのが龍谷大学真宗学科でした。私も彼と同じ授業に聴講生として同席したご縁で、彼が母国に帰るに際して私にこう言いました。「スリランカは、貧しい国です。親鸞さまの教えこそ、お釈迦さまの真実の教えです。なんとかこの教えをつたえたい、それには小さなところでよいからミ−テイングできる場所が欲しい。」
彼の言葉に咄嗟に私は思った。「そうだ、これこそ弥陀の誓願にほかならない、仏願に乗ずるべきだ」。即答しました。「亡夫の年金の貯えを寄進しましょう」。
仏願は見事に成就し、かの地に仏教幼稚園として平成10年1月5日開園いたしました。
私はオ−プンセレモニ−に招待され大歓迎を受けました。皆様のよろこびは舞踊団、楽隊つきパレ−ドにまで発展し、僧侶をはじめ、園児、父母、青年団、村人、沿道いっぱいの人びとで交通整理のおまわりさんまで、お祭りさわぎでした。
筆もなく指で書いたお名号に前で、よろこびの挨拶ができた時の感激──。念仏の灯が点った実感──。
| 五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてリ(正像末法和讃) |
「この道をゆけ、我よく汝を守らん」との仏願に乗じて「すでにこの道あり」とひたすらまっしぐらに進んで来ただけですのに、感涙にむせぶほどの不可称不可説不可思議の功徳を満身にいただいた感動は今も醒めやらず、くり返し思いおこしております。
最後の父母からのご挨拶がとても印象的でした。「わたしたちの頂いたのは建物だけではありません。仏さまの慈しみのご縁をいただきました。これからはこのご縁を拡げてゆくのが私たちのつとめです」
その言葉通り着実に運営され、ご縁も拡がって、この2月には日本からもたくさんの方々のご参加を頂いて、日本とスリランカ交流二周年記念行事が予定されています。
昨年二ヶ月半ほど滞在して毎日幼稚園に出勤いたしました。特に朝の仏参の情景は感動的でした。毎朝子どもたちは小さな籠に色とりどりの花びらを盛って登園します。
サ−ド。サ−ド。サ−ドサ−ドサ−ド(輝かしいお釈迦さまの意)。大きな声でリズムをとりながら隣りの子どもに花籠を手渡します。リズムに乗って花籠を波のように渡っていきます。75名の花籠を祭壇に飾り終わるまで合唱がつづきます。
合掌の合図で十数分間、パ−リ−語で14項目にも及ぶ長い偈文(げもん)です。「殺生はいたしません。物は盗まないことを誓います。決してうそをつきません」等の戒律が、美しい音律で、しかも三歳児までもまちがわず暗唱しているのには驚きました。最後に「ナムアミダブツ」を三称することを教えました。「仏の子」の歌も日本語ですぐに覚えて園いっぱいに響きわたる声に、胸の熱くなる思いでした。
勤行が終わると朝のご挨拶です。私や先生方にひざまず「ア−ユ−ボ−ワン」。合掌します。それに応じて一人ずつ頭を撫でてもらうまでじっとしている可愛い子どもたち。
この国では、どんな時の挨拶も身を寄せて「ア−ユ−ボ−ワン」。合掌いたします。登校時に子どもたちが靴を脱いで両親に、ひざまづいて合掌してから学校へ行く姿には感服でした。
幼い子が長い偈文を暗唱していることも不思議でおたずねしましたら、「幼い時から親が子守歌のようにして教えるのです」。 因みに学校についてもお聞きしました。「小・中・高とも偈文をお唱えしてから授業です。週一時間、宗教は必修科目です」。 お釈迦さまの教えが徹底していて、すごく蟻が多いのですが、一匹の蟻も殺すことすらしません。いま一つ感服したのは月一度の満月の日を国が休日に制定して反省の日とされていることです。五月の満月の日には何百頭もの象が行進して国を上げてお釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」が行われます。「天井天下唯我独尊」。不可思議な無量のご縁によって、かけがえのない尊い「いのち」を頂き、「いま」あることの存在を、唯我独尊と声高らかにお示しくださったお釈迦さまの教えを、国をあげて鑽仰するスリランカに学ばねばなりません。
例会にお話を聞かせて頂く機会がありました体調の悪い中大変ありがとうございました。
一通の手紙
20世紀も暮れようとする12月中頃の事だった。伊賀上野ライオンズクラブの事務局に異国から1通の手紙が届いた。連絡を受けた私は「ポ・ポ−ランド・・・・・」と言ってしまった。(1万5千キロ離れた所)頭の中のありったけの情報を探すが、ポ−ランドがどこにあるのか頭の地図を開くがその場所を押えるのに指が出なかった。
話しはこうである。ライオン誌10月号で.伊賀上野ライオンズクラブ会員で伝統工芸士 L.増井萌氏の伊賀組紐工房と我がクラブが、ふるさと探訪コ−ナ−に紹介された。読者プレゼントとして携帯電話用組紐ストラップの記事があったのをご覧になられ「もし残っていれば異国では日本の物が懐かしいので分けて頂きたい」とポ−ランド在住の橋本久太郎さんからのお便りをいただきました。その後会長から「早速送りましょう」と2000年末にお送りしました。新年を迎えその事を忘れかけていた1月末日に、今度はお礼状が届きました。内容は「ご送付下さいました、ストラップ無事到着致しました。きれいな見事なお作本当に有難うございます。伊賀は忍者の里ですが、当地ポ−ランドでは忍者はなかなか有名で実際ポ−ランド人の青少年の間では毎週集まってトレ−ニングをしていますよ。クラブの皆さんポ−ランドにおこしになりませんか喜んでご案内致します」とくくられていました。
【ボスナニ国立大学教授 橋本久太郎氏】
私は21年前からポ−ランドで生活しています。ライオンズの会員ではありませんがここ数年毎月『ライオン誌』」をご送付頂いています。異国にいます者にとってこれほど嬉しい事はありません。『ライオン誌』は私にとりまして、日本のライオンズの『ウイ・サ−ブ』のメッセ−ジ、および会員のみなさまの多種多様の活動録だけでなく、祖国日本の今日の社会性を垣間見ることのできる信憑性の高い読み物であるからです。
伊賀上野ライオンズクラブは忍者の里で小生の所在する場所(上野市服部町)の周辺にも武具を保有する民家も多く見られますが、伝えられる技術・武術もなく服部半蔵さんに申し訳なく思います。
L.森本周次
取材だより
8月24日〜25日 ライオン誌日本語版事務所から、ふるさと探訪・クラブ紹介ペ−ジの取材で、上野市に編集担当河村智子さん、撮影の竹内幸生さんが訪問されました。
連日35度を超す猛暑の中、近鉄経由で来られました。クラブで宮本会長と私森本が2日間取材に同行しました。当日は我がクラブライオン会員で、伝統工芸の増井萌宅工房で、匠の技を高台の仕事を写真に納められました。(詳しくはライオン誌11月号に記載されます)
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| 伊賀組紐(高台)増井萌工房 | 増井萌工房 | 増井萌工房 |
25日 上野市内の名所・町並みを時間の許す限りごらん戴きました。中でも去年100周年を迎えた上野高校明治校舎・崇高堂、旧小田小学校は城下町に洋風様式が不思議な一致を見る事に興味を持たれた様子。
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| 上野高校明治校舎 | 崇高堂 | 旧小田小学校 |
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| 上野高校正門 | 西忍町 街並み | 旧小田少学校 |
編集の河村智子さんは北泉邸まで足を延ばして(崇高堂のすぐ前)コンナ家に住みたい「私天井の高い家が好き」……
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| 北泉邸 | 北泉邸 |










