ギャラリ−うえのまちタイトル
この切り絵は当クラブ会員福永隆司.Lが趣味で製作したすばらしい作品の一部です。例会には毎回新しいデザインが提案されています。ここでは本物の細かい線が見えないのが残念です……
伊賀上野城
伊賀上野城は、天正13年(1585)に当時の領主筒井伊賀守定次が織田信長の天正の乱で焼かれた平楽寺跡に建てた平山城を前身とします。
慶長13年(1608)、筒井氏改易の後に伊勢、伊賀の領主となった藤堂高虎が、徳川家康から「津は平城なり、当座の休憩所までと思うべし、伊賀は秘蔵の国 上野は要害の地、根拠とすべし」との内意を受け建設に着手。高虎は平山城を西方に拡張し、雄大な本丸を築くとともに外濠を深くし、高石垣(高さ30m。日本一を誇る本丸石垣)で囲みました。しかし5層の天守は竣工直前、暴風雨のため倒壊し、再び建てられることはありませんでした。
木造瓦葺、白壁の塗り込めによる純日本建築様式の現在の天守は昭和10年(1935)に復興されたものです。
俳聖殿
松尾芭蕉の旅姿をあらわす聖堂で昭和17年(1942)芭蕉翁誕生300年を記念して故川崎克氏が私費を投じて建設したもの。上の丸い屋根は旅笠、下の八角形の廂は袈裟、それを支える柱は行脚する翁の杖、〔俳聖殿〕の木額は顔をアレンジしています。
堂のなかには芸術院会員長谷川栄作氏が原像をつくり、川崎克氏が焼成した伊賀焼きの芭焦翁瞑想像を安置しています。
蓑虫庵
無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵とともに芭蕉翁五庵のひとつとされていますが、この中で唯一現存するのがこの蓑虫庵。芭蕉翁の門弟服部土芳の草庵で、貞享5年(1688)3月庵開きの祝いとして芭蕉翁が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名づけられました。土芳はここで芭蕉翁の遺語を集めて『三冊子』を執筆しています。
釣月軒
生家の裏にある釣月軒は、芭蕉翁が処女文集『貝おほひ』を執筆したところで、伊賀へ帰省の折には、この建物で起居しました。
