芭蕉と伊賀 -芭蕉生誕360年-
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主な作品紹介
貞享元年8月、芭蕉の生涯のうちでも節目となる41歳の時、千里という俳人を伴い約半年間の旅に出た。深川を出て、東海道を伊勢に直行、伊賀上野・大和・吉野・山城・近江・美濃と足をのばし、桑名・熱田・名古屋・伊賀上野・奈良・京都・大津・尾張・甲斐を経て、深川へ帰るといったルートを辿る。この成果が「野ざらし紀行」という作品である。芭蕉の紀行文の出発点として位置づけられている作品でもある。冒頭の「路粮をつゝまず」という一文からは、芭蕉のこの旅にかける悲壮感と気負いが感じられ、文芸探索の為に旅立つ芭蕉の強い意志を読み取ることができる。また、この旅の目的には、前年他界した伊賀上野の母の追善のための里帰りも含まれていたと言われている。
 
貞享4年8月14日、仲秋名月の夜の1日前、芭蕉は曾良、宗波を伴い、三人で鹿島神宮参詣の旅にでかけた。深川の芭蕉庵を出て、行徳・八幡・鎌ヶ谷を経て、布佐から船で鹿島を訪れている。その折の遊歴が「鹿島詣」という紀行文に著されている。この旅は、筑波山への月見のほか、禅の師匠の仏頂に会いに行く目的もあったと言われている。この旅は小旅行であったが、結局雨にたたれて筑波山の名月を見ることは叶わず、句作の旅としても、先の「野ざらし紀行」や、後の「笈の小文」「奥の細道」の旅のように大成功したとは言い難い旅となった。
 
貞享4年(1687)、芭蕉が44歳の時、10月に江戸を出立し、鳴海・保美を経て郷里の伊賀上野で越年、2月に伊勢参宮、3月には平井杜国との二人旅で吉野の花見をし、高野山・和歌浦を経て3月8日に奈良に到着。さらに大阪から須磨・明石を遊覧した時の紀行文。芭蕉自身が書いた旅行記ではなく、大津の門人「河合乙州」が、芭蕉自身が書いた真蹟短冊や書簡などをもとに、芭蕉死後に編集し、宝永6年(1707)「笈の小文」の書名で出版したもの。この旅は、亡父三十三回忌の法要に参列する事が目的であったと言われているが、それ以上に当時人気のあった芭蕉にとって名古屋・大垣などの門人から招かれた喜ばしい旅でもあった。
 
貞亨5年8月11日、芭蕉は門人越人を伴い、多数の美濃の門人に見送られて、美濃の地から帰途の旅に出発した。その時に綴ったのが「更科紀行」で、姥捨て山(更科)の秋の月を見ようというのが目的であった。とかくこの旅は「笈の小文」の旅の付録といった位置付けに留まりがちであるが、「笈の小文」の旅がどちらかというと安全かつ気楽な旅だったのに対して、木曽街道の旅は物理的にも危険が多く、追い剥ぎや山賊などの不安もあった。このような状況下、芭蕉はこの旅で多くの秀句を生み出し、結果的に収穫の極めて多い旅となった。来年に迫った「奥の細道」へのリハーサル的な旅として、詩人芭蕉生涯の大きな転機を与えた旅であった。
 
元禄2年(1689)芭蕉46歳の時、門人「河合曽良」を伴って江戸をたち、奥羽・北陸の各地を巡遊、後に大垣に入り、さらに伊勢参宮へと出発するまでの約150日間にわたる旅を素材とした俳諧紀行文。「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。」という書き出しは余りにも有名。草稿本の成立は1692年翌年頃とされているが、それに推敲を加え清書本ができたのは1694年初夏頃とされる。日本文学史上屈指の紀行作品で、自然の様子よりも人間関係を主に書いているのが特徴。芭蕉はこの旅において俳風の新しい展開について工夫し、「不易流行論」を考案した。書名は仙台の章の次に「奥の細道の山際に十府の管有」とあるように、名所の地名と陸奥に細々と続くはるかな道筋、さらには在原業平の歌枕「つたの細道」を意識したものと言われている。
 
元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで、芭蕉が嵯峨の向井去来の別荘落柿舎(らくししゃ)に滞在した時の日記で、宝暦3年(1753)に刊行された。京都の門人去来らがしきりに来遊を進めたところ、嵯峨にてしばらく休息することになった芭蕉は、野沢凡兆・川井乙州・河合曾良など蕉門諸家の訪問をうけ、楽しくリラックスした時間をおくった。芭蕉はそこでの生活や門人との交渉・追憶を、日記風に日付けを書いて、その日その日の随感を無造作に書き綴っている。
※参考 「芭蕉と門人たち」「芭蕉年譜大成」「芭蕉鑑賞」「芭蕉を学ぶ人のために」「芭蕉ハンドブック」
      「芭蕉を歩く 東海道・中山道」「私のおくのほそ道紀行」「奥の細道紀行三百年記念 松尾芭蕉」
      「津軽三味線奥の細道を行く」「日本大百科全書 二ッポニカ2001」
 
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