花祭り(釈尊降誕会)

当山におきましては、毎年5月8日に、お釈迦さまの誕生を祝う花祭り(釈尊降誕会)を行っております。
花祭りは、今からおよそ2500年前の4月8日にお生まれになったというお釈迦さまの誕生を祝う祭りで、灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれることもあります。
当山では、旧暦を踏んで一月遅れのこの日に日を定め、ささやかなお祝いの行事を行っているのです。
花御堂

花祭りには、本堂内に花御堂(はなみどう)という小さなお厨子を置き、そのなかに誕生仏と呼ばれるお釈迦さまの誕生時の姿の仏像を祀って、周囲をたくさんのお花で飾ります。
誕生仏には、参詣の方が甘茶をかけることが出来るようにしてあり、お参りの方々が順に誕生仏(お釈迦さま)に手を合わせてから甘茶をかけていきます。
誕生仏

私たちは、釈尊のことを「お釈迦さま」と親しく呼び、仏教の開祖として篤い信仰を寄せております。しかし、この「お釈迦さま」は通称(愛称)であり、本当の名前までご存知の方は以外に多くないかもしれません。

お釈迦さまの本名は、ゴータマ・シッダールタといいます(ゴータマが姓で、シッダールタが名)。父の名は浄飯王(じょうぼんおう)、母の名は摩耶夫人(まやぶにん)。
お釈迦さまは、シャカ族という部族の皇太子として生まれ、生まれながらにして将来は王様になることが約束された身分であったそうです。(つまり、お釈迦さまの「シャカ」とは、属していた部族の名称なのです。「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」という呼称は、「シャカ族の牟尼(むに=聖者)である仏様」という解釈になります)

お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のネパール領内のインド国境付近にあるタラーイ盆地のルンビニーという地で生をうけたそうです。ルンビニーは、シャカ族の居城であったカピラ城から30kmほど離れたところにあたるそうです。

お釈迦さまの生涯は、まことに多くの伝説であふれています。
今回は、その誕生について一つずつふれていきましょう。

まず、ご懐妊について。
お釈迦さまの母である摩耶夫人は、ある日、兜率天(とそつてん)から仏様が白い象に乗ってこの人間世界に下りてきて、自分の左脇から体内に入ってくる夢を見たそうです。その時、大地が激しく震動し、数日後に自分の体に新しい命が息づいたことを知ったのだそうです。
その新しい命が、後のお釈迦さま。この伝説は、キリスト教の聖母マリアの処女受胎とどこか通じるものがあり、人間の発想に人種や社会・文化による境界は無いことを伺い知ることができます。

さて、いよいよ出産について。
臨月せまった摩耶夫人がルンビニーを通りかかった際に、周囲に美しく咲き誇る花々を見て、花を手折ろうとして右腕を上げたそうです。
すると、夫人の右脇からお釈迦さまが産まれおちて、地につくやいなや立ち上がって四方(十方という説もあります)に七歩あるきだし、右手で天を指さし左手で地を指さして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と発声されたといいます(お釈迦さまが歩かれた一歩一歩ごとに、八葉の蓮が花開いたとも伝えられています)。

花祭りでお祀りする誕生仏(たんじょうぶつ)の姿や、お飾りするたくさんのお花はこの伝説に由来しており、「七歩あるかれた」のは六道輪廻の世界を超えることを意味しており、「天上天下唯我独尊」は直訳すると「天に地に我ひとり尊し」となり、たいへん傲慢な言葉ととることもできますがそうではなく、全ての人はたった今産まれおちた自分と同じ「天上天下唯我独尊」のかけがえのない命と心を持っているのだから、それぞれがそれを認識し、自分の命を、一生を大切に過ごすことを説かれているのだそうです。
またその際、竜王が現れ、天から甘露の雨を降り注いてお釈迦さまの誕生を祝福したそうです。この故事が、今日の花祭りにおける甘茶に結びついているのです。

お釈迦さまの誕生の直後、アシタという仙人がどこからかやって来て、お釈迦さまの体に偉人の持つ三十二の特徴がすべて備わっていることを確認したそうです。そして、「この王子は、家にあれば徳によって世界を征服する転輪聖王(てんりんじょうおう)となるであろう。また、出家すれば世界を救済する仏陀となるであろう」と予言したのだそうです。
仏陀とは、「覚りを開いた者」「覚者」のこと。この時より、お釈迦さまの波乱と伝説に満ちた生涯が始まったのです。
御詠歌

花祭り当日は、豊山流大師講常福寺支部の皆さんがお寺に集まり、ご法楽の後、釈尊誕生を祝う御詠歌をお唱えたり、その後皆で甘茶を飲んで歓談して楽しく過ごします。
また、近在の子供たちを集めて、紙芝居やかるたをしたり、一緒にお菓子を食べたりしてお釈迦さまの誕生を日を皆で祝い楽しむのです。