(予野八重桜保存会)
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平成25年4月28日撮影された“ヤエザクラ”で20輪程の花をつけている この写真でも見事な八重咲きであり雌蕊が2本あるのがはっきり解る |
沿革、概要 |
このサクラは、云わずと知れた由緒あるサクラで、品種的にも珍しいものである。 また、県指定天然記念物[S12,11,26]であり、「みえの樹木100選」にも選定されている。 専門家による調査診断・治療の経緯として、平成8年に樹木医による診断を受け、それに基づき、病虫害防除、腐朽部処置、土壌改良、暗渠排水工事などを含む環境整備が行われたが、平成9年の台風で一部を折損するなどしたのち、平成15年度『八重桜公園』として周辺を整備、さらにその後、平成18年に独立行政法人森林総合研究所 林木育種センター関西育種場(岡山県)にて接木増殖された若木が当該木の隣に植えられている。 なお、老木である当該木は、親株からの萌芽が成長したものである。 |
現状 |
○ 診断詳細 |
完全に枯死しており、枯死後数週間経過しています。(09.7.30 現在) |
樹木診断結果より抜粋 伊賀市文化財保護指導委員 森田 由一 氏(社)日本樹木医会 樹木医 |
その後 | ||||
花垣神社東方150mの位置にあるこの桜は、雌蕊が2つある珍しいカスミザクラの八重品種です。 この桜の歴史は、平安時代中期の一条天皇の時代にさかのぼると言われており、また、守護の為「花守」を派遣したと伝えられています。 花垣神社の境内には、「一里は皆花守の子孫かや」の芭蕉翁の名句碑があります。 平成17年4月の観桜会(予野区主催)では俳人 稲畑汀子 氏(高浜虚子の孫でホトトギス主宰)が当地を訪れ、その時に詠んだ句碑が有志により建立され、現地にあります。 平成16年1月に天然記念物予野八重桜保存会から独立行政法人 林木育種センター関西育種場(岡山県勝田郡勝央町)に増殖要請をし、接ぎ木による増殖を行い、平成18年3月に後継樹としての苗木が里帰りしました。 |
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「花垣のヤエザクラ」の説明板 | 枯死した八重桜 | 里帰りした後継樹 | ||
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平成23年4月29日、恒例の予野区主催の「観桜会」が開催されました。 例年、市長をはじめ各種団体代表をお招きして開催されていますが、今年は後継樹が始めて花を咲かせました。 また、観桜会終了後、予野区より“当該木”の寄贈を打診され、花垣地区市民センター・公民館でも予野公民館同様に三代目(推定)の幹をもらい受け、画家の森中氏に依頼し表書きを作成していただき、大工の鳥永氏に器を作成していただき、ホールに展示しています。 在りし日の姿を偲んで頂ければ幸いです。 今後、四代目“花垣のヤエザクラ”となる現在の若木も、近い将来、県の天然記念物となる日を待ち侘びています。 |
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市民センターに置かれた“ヤエザクラ”の一部 | ||||
平成24年4月29日(日・昭和の日)、今年も予野区主催の「観桜会」が開催されました。 今年から予野区多目的ホール「和」(なごみ)での開催となりましたが、恒例のお茶席は“ヤエザクラ公園”で行われました。 大勢の方が訪れ、「ヤエザクラ」を鑑賞していただきました。 今年は20〜30程の花を咲かせ、観る人の目を楽しませました。 |
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今年咲いたヤエザクラ(平成24年) |
安曇川町にあった「花垣のヤエザクラ」 |
平成28年3月26日掲載京都新聞(PDFファイルで開きます)
3月末に北船木地区を訪れた際の新聞記事
その後の交流として先方より一枝持参し、花垣のヤエザクラと比較してみる事に |
36年前の作業を再現!(2016.4.23) | ||
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2016.4.23の様子 | 一段上にあるヤエザクラ(非登録樹) | 全員でヤエザクラの下へ |
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最初に花垣神社へ参拝 | ケーブルテレビも取材に | 北船木地区より持ってきた枝と対面 |
この日の開花状況では10輪程度が花を咲かせていましたが、花芽はたくさん確認できました (樹木保護の為、囲いの内側へは入らないようにして下さい) |