花垣のヤエザクラ
(予野八重桜保存会)

平成25年4月28日撮影された“ヤエザクラ”で20輪程の花をつけている
この写真でも見事な八重咲きであり雌蕊が2本あるのがはっきり解る
沿革、概要
このサクラは、云わずと知れた由緒あるサクラで、品種的にも珍しいものである。
 また、県指定天然記念物[S12,11,26]であり、「みえの樹木100選」にも選定されている。
 専門家による調査診断・治療の経緯として、平成8年に樹木医による診断を受け、それに基づき、病虫害防除、腐朽部処置、土壌改良、暗渠排水工事などを含む環境整備が行われたが、平成9年の台風で一部を折損するなどしたのち、平成15年度『八重桜公園』として周辺を整備、さらにその後、平成18年に独立行政法人森林総合研究所 林木育種センター関西育種場(岡山県)にて接木増殖された若木が当該木の隣に植えられている。
なお、老木である当該木は、親株からの萌芽が成長したものである。
現状
○ 診断詳細

 完全に枯死しており、枯死後数週間経過しています。(09.7.30 現在)
 主たる原因は、土壌の排水不良、通気不良からくる、根腐れ及び根系の窒息です。
 暗渠排水をしてあるにも関わらず、根腐れを起こったのは、現在施してある暗渠排水は、あくまで南西側の山側からの湧水を排水するためのものです。
 平成15年度か18年ごろかはわかりませんが、当初からあった巻石垣を新たなもので施行し直し、さらに表土部分に客土をしたことが最大の原因であるといえます。
 枯死に至った詳しいメカニズムとしては、まず、新しい石垣には隙間が一切なく、水抜き管も施されていません。
 古い巻石垣には、当時の施行水準もあってか隙間がたくさんあり、これが降雨時やさらには長雨時にもうまく雨水を排水していたものと思われます。
 診断当日、晴天にも関わらず、若木右側部分一帯に水溜りがあり、また、ジメジメした所に生える苔の一種であるツチクラゲがあるのもこの証拠と言えます。
 また、表層部の客土についても必要がなかったと言っても良いでしょう。
 樹木は一般的に深植えを嫌います。
 それは、表層部分が深くなりすぎると、当然空気中からの根系への通気が少なくなります。
 そのため、植物は、表層部へ新たな根を伸ばそうとします。
 このため、簡単に言うと、地上部の成長よりも、地下の回復を優先させ、地上部の成長が停滞若しくは衰退します。
 老木や樹勢減退木は生命力が弱いため、地下部の回復すら追いつかず枯れてしまいます。
 今回のようなわずか数センチの客土でも老木や樹勢減退木にとっては命取りなります。
 まして、植物にとって排水性の悪い真砂土では一層これが顕著になります。
 今年の梅雨の長雨が駄目押しとなっといえるでしょう。
 次に、慢性的な樹勢減退原因として、折損部や枝の処置不良が見られます。
 これは、おそらく平成9年の台風によって折損した大枝部の処置後と思われますが、当時携わった専門家が施したのかどうか分かりませんが、折損部を切断した切り口に蓋をし、釘止めしてあったようで、この処置はいかにも短絡的で樹の成長を理解しておらず、これまでの樹勢状況からみても、処置として好ましいものであったとは到底言えません。
 以上が枯死に至った原因ですが、これからも何世代にわたって守り継がれてゆくべき由緒ある名木の子孫を、同じ目に遭わせないための専門的見地からの教訓事項として述べました。 

樹木診断結果より抜粋
伊賀市文化財保護指導委員 森田 由一 氏(社)日本樹木医会 樹木医


その後
 花垣神社東方150mの位置にあるこの桜は、雌蕊が2つある珍しいカスミザクラの八重品種です。
 この桜の歴史は、平安時代中期の一条天皇の時代にさかのぼると言われており、また、守護の為「花守」を派遣したと伝えられています。
 花垣神社の境内には、「一里は皆花守の子孫かや」の芭蕉翁の名句碑があります。
 平成17年4月の観桜会(予野区主催)では俳人 稲畑汀子 氏
(高浜虚子の孫でホトトギス主宰)が当地を訪れ、その時に詠んだ句碑が有志により建立され、現地にあります。

 平成16年1月に天然記念物予野八重桜保存会から独立行政法人 林木育種センター関西育種場(岡山県勝田郡勝央町)に増殖要請をし、接ぎ木による増殖を行い、平成18年3月に後継樹としての苗木が里帰りしました。
「花垣のヤエザクラ」の説明板 枯死した八重桜 里帰りした後継樹

 平成23年4月29日、恒例の予野区主催の「観桜会」が開催されました。
 例年、市長をはじめ各種団体代表をお招きして開催されていますが、今年は後継樹が始めて花を咲かせました。
また、観桜会終了後、予野区より“当該木”の寄贈を打診され、花垣地区市民センター・公民館でも予野公民館同様に三代目(推定)の幹をもらい受け、画家の森中氏に依頼し表書きを作成していただき、大工の鳥永氏に器を作成していただき、ホールに展示しています。
在りし日の姿を偲んで頂ければ幸いです。
今後、四代目“花垣のヤエザクラ”となる現在の若木も、近い将来、県の天然記念物となる日を待ち侘びています。
市民センターに置かれた“ヤエザクラ”の一部

 平成24年4月29日(日・昭和の日)、今年も予野区主催の「観桜会」が開催されました。
 今年から予野区多目的ホール「和」(なごみ)での開催となりましたが、恒例のお茶席は“ヤエザクラ公園”で行われました。
 大勢の方が訪れ、「ヤエザクラ」を鑑賞していただきました。
 今年は20〜30程の花を咲かせ、観る人の目を楽しませました。



今年咲いたヤエザクラ(平成24年)


安曇川町にあった「花垣のヤエザクラ」




平成28年3月26日掲載京都新聞(PDFファイルで開きます)
3月末に北船木地区を訪れた際の新聞記事

その後の交流として先方より一枝持参し、花垣のヤエザクラと比較してみる事に
36年前の作業を再現!(2016.4.23)
2016.4.23の様子 一段上にあるヤエザクラ(非登録樹) 全員でヤエザクラの下へ
最初に花垣神社へ参拝 ケーブルテレビも取材に 北船木地区より持ってきた枝と対面
この日の開花状況では10輪程度が花を咲かせていましたが、花芽はたくさん確認できました
(樹木保護の為、囲いの内側へは入らないようにして下さい)





戻る