憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
元禄四年(一六九一)四十八歳の作である
句意
閑古鳥よ。いつも何となく物憂い思いでいる私を、お前のその寂しい鳴き声
で、もっと実体のある明確な閑寂境の中に誘いこんでほしい。
寂しさの窮極を求める心境句であり、「憂きわれを寂しがらせよ秋の寺」の改案
である。
西行の「山里にこはまた誰を呼子鳥独り住まんと思ひしものを」への共感から
成った新着想の作句である。
「閑古鳥」「呼子鳥」はともに郭公の異名であり、「閑古鳥」は鳴く声の寂しさ
に重きを置いた名である。
句碑