僧朝顔幾死に返る法の松
貞享一年(一六八四)四十一歳の作である
句意
僧侶も所詮朝顔のように命ははかないものである。この寺の住持も幾たびか
死んで代替りしたであろう。その長い歳月、この松は仏縁に恵まれて、かくも
長い寿命を保っている。
「二上山当麻寺に詣でて庭上の松を見るに、およそ千歳も経たるならん。大
いさ牛を隠すともいふべけん。かれ非常といへども、仏縁にひかれて斧斤の罪
をまぬかれたるぞ、幸ひにして尊し。」との前詞がある
千歳の松の賛美した作句であり、前詞に「荘子」への深い傾倒の念が息づいて
いる。
当麻町当麻 当麻寺
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