うるわしの姉弟哀@ |
深夜の高速。つい先程の壮絶なバトルに勝利した俺は、その余韻に浸りながら後方に引っ張られるかのように飛んで行く街灯を無意識のうちに頭の中でカウントしていた。 一気に跳ね上がったテンションを静めるため、俺は胸ポケットに入っていたタバコをまさぐる。もちろん、視線は前方を見据えたまま。 貪欲なまでの欲求はとどまることを知らない。落ち着こうとする俺の指示を無視して、再びもう一人の俺は次の獲物を早くも探そうとしていた。そんな逸る気持ちを押さえ込むためにもタバコは必要なのだ。 あやふやな手先ではライターを掴むことはできなかった。 ライターは足元に転がり落ちた。ブラックホールのように見える真っ暗な空間は、ライターを容易には手元に引き寄せることは困難であることを俺に伝えていた。 「チッ」と小さく舌打ちした俺は、仕方無くシガーライターを強く押し込んだ。 「パチン」と乾いた音がしてライターが準備を終了したことを俺に伝える。 一瞬、ほんの一瞬視線をシガーライターに移した俺が再びルームミラーで見た光景は、俺を挑発するかのように後方に忍び寄るパッシングの点滅であった。 飢えた俺に獲物が向こうからやって来たのだ。俺は素早くタバコに火を付け終えると、これから始まるバトルのためにハンドルを強く握り直した。 俺は獲物の姿をはっきりと確認するためにブレーキに足を置く。 その瞬間、赤い車高を落としたスポーツタイプの車は俺を無視するかのように俺の車を抜き去った。俺の耳に低く突き刺さるようなエキゾートノイズを残して。 「おー、なめんなー。軽トラバカにすっと痛い目にあうどー」 床を踏み抜かんばかりにアクセルを強く踏み込んだが、赤いスポーツカーはまったく俺の軽トラが眼中に無いかのように加速を緩めようとはしなかった。見る見る差は広がっていくばかりであった。 「おぃ、高速って言っても制限速度は八十キロやっちゅうの。カメラにつかまっても知らんからな」 テールランプに向かって毒づくがその差は歴然としていた。 負け惜しみを言いながらも、俺はアクセルに込めた力を抜こうとはしなかった。 俺の軽トラックは十年近くも昔の車なので八十キロを越えると「ビービー」と情けない音を出す。あんまり情けないもんだからメーターパネルを開けてブザーの線をぶち切ろうとした。ところが機械オンチの俺はどれがブザーの線がわからなくて適当に線をいじっていたら距離計が動かなくなってしまった。 それ以来、俺の車は走行距離が伸びていない。今現在も新車に近い二百五十八キロのままである。 短くなったタバコの灰を落とすために俺は灰皿を開いた。二か月前、買ったばかりのズボンに焼け焦げを作ってから俺は車でタバコを吸う時には細心の注意を払っている。 タール・ニコチンともに一ミリグラムのタバコは精一杯吸い込んでも少しもクラッとは来ないが、健康の事を考えると仕方がないとあきらめている。情けないタバコであるが、火の付いた部分がズボンに落ちるとタバコの王者ショートピースとまったく同じようにズボンを焦がすのだ。 空調システムがまったく無い俺の車はこの時期は窓を開けていなければ一分たりとも車内に居ることなんてできない。唯一フロントの前に付いたフードのようなものが、車内のレバーを引くことで開放し、外気温そのまんまの空気は入ってくる。 その装置が曲者でタバコの灰が風に煽られて四方八方飛び散るのだ。 これ以上タバコを吸っても仕方がないと判断した俺は、タール・ニコチンともに一ミリグラムのタバコを灰皿に押しつけた。タバコの葉が詰まってないのか情けないくらい簡単にポキッと折れた。 しばらく俺は愛車をクルージングさせることにした。俺に見合った獲物を見つけるためである。 同じ形式の軽トラックに乗ったおっさんの車と地味なチェイスで一勝した俺の心の中には、赤いスポーツカーに抜き去られた敗北感はどこを探しても見つけることはできなかった。 そんな俺の大人の落ち着きをいとも簡単に粉砕したのは、前方に見えてきた車のテールランプの光であった。 数分前に俺の軽トラを簡単に抜き去った赤い車が再び俺の前に現れたのだ。 「おーし、やってやろうじゃないの」 俺は再びアクセルに乗せた右足に力を込めた。 先程の屈辱をはらすためには同じ事を仕返して抜かさなければならない。俺は赤いスポーツカーにパッシングをした。 「うりゃうりゃ、眩しいだろ」 ぬるま湯のような走行車線から魑魅魍魎が跋扈する追越し車線にハンドルを切る。 俺の戦闘モードは既にレッドゾーンを振り切ろうとしていた。 赤いスポーツカーに並走した俺は、これから狙う獲物を確認するために運転席に視線を移した。 「アレッ、キヨシじゃないの」 運転席の男は俺にイタズラっぽい笑顔を見せた。 「どうしたんだよ、その車」 全開の窓から大声で怒鳴るが、風切り音がうるさくてキヨシにまでは届かない。それでも、俺が何か言っていることが理解できたようで『何?』って顔をした。 俺は詳しく話を聞くために、キヨシの車の前に回り込み、次の高速出口に誘導しようとした。 圧倒的な排気量の差なのか、それともキヨシが意図的にそうしているのか、俺の車はキヨシの車を簡単には追越すことはできなかった。 「ブレーキ踏めってば」 聞こえないのか、キヨシはとぼけた顔のままであった。 俺の車は限界を通り越し、壊れたドライヤーのような音を立てていた。 キヨシの前に出ることを諦めた俺はキヨシの車の後ろに付き、大袈裟なジェスチャーで次の出口で降りろと指示した。 「どうしたんだよ、その車」 高速を降り、そのまま側道に車を止めると俺はキヨシの車に近付き、ヤツに質問した。「貰ったんだよ」 「嘘つけ、今時そんな奇特なヤツがいるもんか」 「嘘じゃないってば、本当に『どうぞ』ってくれたんだから」 国産ではあったがバリバリのスポーツカーで、これでもかとワックスが効いていた。ホイールも車に合わせたホイールが付いていたし、エアロパーツも完璧であった。 「三百万はするぜ」 「ふーん」 金額には興味はないのか、キヨシは鼻糞をホジっていた。 「誰に貰ったんだよ」 こんなゴージャスな車が貰えるなんて、どうしても信じられない俺は、キヨシが面倒くさそうな顔をしているにも関わらず質問を続けた。 そもそも、俺とキヨシは幼稚園の時からの同級生である。同じ町内の商店街で、俺とキヨシの親はそれぞれチンケな店を持っているのだ。 俺のオヤジはチンケな漬物屋の六代目。息子の俺は七代目になる。創業天保年間ということで老舗といえば聞こえがいいが、今にも潰れそうな店である。 天保年間というと江戸時代である。しかも末期、いわゆる幕末という時代である。 ある夏の暑い日、ご先祖様は川沿いをプラプラと歩いていた。そしたら川にナスビやキュウリが一杯浮かんでいたのである。 お盆のお供えを江戸時代は何の気がねも無く川に流していた。俺のご先祖様は川を流れるナスビやキュウリを見て漬物に使うことを思い立ったのである。 元手入らずの商売は成功して今に至っている。もちろん、今は原料は契約農家から買っているから元手入らずというわけにはいかない。だから利益は驚く程少ない。今時漬物を買う若奥様なんて皆無に等しいのだ。 キヨシの家も俺の家と同じようなもので、傘屋から発展して雑貨屋をしている。客がいるのを見たことがないから、経営状態は俺の家と同じようなものだろう。 そんなキヨシにポンと車をくれるような金持ちのオジサマはいない。 「誰に貰ったんだよ」 もう一度キヨシに言った。 「知らないよ」 ふて腐れたようにキヨシは言った。その言い方はあまりにも横柄で俺はカチンときた。「しばくぞ」 昔からキヨシは喧嘩が弱くて俺の子分のような存在であった。俺も喧嘩が強い方ではないが口が達者であった。だから頭の弱いキヨシは俺の話術に参って俺の手下に成り下がっていたのだ。 「殺すぞ」 ニヤニヤと笑いながら放ったキヨシの言葉を一瞬俺は聞きまちがえたのかと思った。殺すぞなんて、キヨシごときが俺に向かって吐ける言葉ではなかった。 「今、何て言った」 「殺すぞって言った」 冗談だとしたら最低の冗談である。 「勇ましいねぇ」 ずーっとキヨシを子分のようにしてきた俺にとって許せない造反である。 「これでバーンって」 いつの間にかキヨシはモデルガンを右手に持っていた。 「えーっ、いい年こいてギャングごっこかぁ随分ナメタ真似をするんだねぇ君は」 コケにされた俺はカッとなってキヨシに近付いた。もちろん、一発殴るためである。 「それ以上近付かない方がええ。本物なんやから」 キヨシの気配にタダナラヌものを感じた俺はピタリと動きを止めた。絶対に嘘であるという自信があるのだが、ひょっとしたらという気がしないでもなかった。 「ためしに一発撃ってみたら弾が出たんや」 今まで伏せ目がちにしか俺を見なかったキヨシが俺の視線から自分の視線をそらすことなく見ていた。 ホンモンだぞーって心のどこかで警告が鳴り続けていた。銃口が鉛で詰められたモデルガンでもなかったし、空気銃の銃口でもなかった。 「どうしたの」 ともかく、この場の雰囲気を和らげようと俺は意味不明の言葉を発した。それでも、俺の台詞はキヨシなりに理解したようで、今までの経緯をたどたどしくではあったが説明し始めた。 いつものようにパチンコ屋で時間を潰したキヨシは行く当てもなく駅前のハンバーガーシヨップでチーズバーガーを食べていた。 数分でチーズバーガーを食べ終わるとキヨシは自分の自転車に向かった。 キヨシの愛車は、白いマジックで店の名前が大きく入った無骨な運搬用に作られた自転車である。その荷台に紙包みが入っていた。 最初は誰かがゴミを捨てたのだと思ったらしい。で、ごみ箱の前まで自転車を押して行った。 何気なく紙袋を手にしたキヨシは、意外な程ズシリと重い紙袋に好奇心から中を開けてみた。そしたらピストルが入っていたというわけである。 最初は本物とは思わなかったらしい。家に持って帰って引き金を引くと轟音と共に弾が飛び出し、畳みに穴を開けた。鼓膜が破れる程の轟音に驚いたキヨシは家の者に怪しまれたのではないかと危惧したが、あいにくキヨシの両親は二人揃って耳が遠くなってきているために気付かなかったらしい。 弾倉には三発の弾が残っていた。 それを持って町に出たキヨシは駅に行き、ともかく電車に乗った。顔が知られていない町まで行き、しばらくブラブラと歩いていたらしい。そんなキヨシの前にアベックの乗った車が止まった。キヨシは半開きの窓からピストルを差し入れると「車をくれ」と言ったらしい。 「それって犯罪じゃないの」 いつもの俺なら「それは犯罪やろが」と投げ捨てるように言うのであるが、キヨシのピストルが気になって半分敬語のような言い方になってしまった。 「どうして?撃つぞ、とも殺すぞ、とも言ってないんだよ。車を頂戴って言ったらくれたんだよ」 ヤツの頭ではその辺りの微妙な雰囲気及び気配はわからないらしい。それにしても、いつもの自転車を乗って行かなかったのはキヨシにしては珍しく正解である。 バカだバカだと思っていたが、案外思慮深い男であったのかもしれない。俺は少しだけキヨシを見直した。 「コイちゃんの分も貰ってあげようか」 コイちゃんというのは俺のニックネームである。ご先祖様が川で儲けたために俺の家では代々子どもには川に所縁のある名前を付ける。 中山鯉太郎というのが俺の本名である。案外この名前は気に入っている。ただし、自分の名前を書く時には恋太郎と一文字変えて書いている。 「車なんて襲ってもたかが知れてやろ。もっとデカイことをやろうや」 「トラックとか?」 やっぱりキヨシはキヨシである。こんなヤツにピストルは猫に小判である。 「もっと金になる方法を考えるんや」 キヨシの表情がキョトンとしたものに変わった。 「銀行強盗?」 「アホ、そんな事やっても直ぐに足が付いてしまうやろ。もっとヤバクない方法を考えるんや」 ともかく、こんな目立つ場所に車を止めて話し込んでいたら、車を取られたアベックからの通報を受けた警察に逮捕されるかもわからない。 「キヨシ、場所を変えて話をしようや」 キヨシは赤い車に向かった。 「アホ、いつまでもそんな車に乗ってたら掴まってしまうやろ。そんな車は放っとけ」 何故、という顔をキヨシはした。 「盗難届けが出てるに決まってるやろ。場合によっちゃピストル強盗の罪状も付いているかもしれん」 俺の説明に納得したようである。今度は俺の軽トラックに乗り込もうとしてきた。 「その前に車に付いてる指紋を拭き取っておかないとマズイんちゃうか」 キヨシと俺は運転席にあったタオルで、キヨシが触れたであろう場所を丁寧に拭き始めた。 「おい、お前ボンネットまで触ったのかよ」 気が付くと、キヨシはボンネットを一生懸命拭いていた。 「いや、綺麗にして返さないと」 「バカ、そんな暇は無いやろ。早よこの場を逃げやんと…。それに手際よくやらんと俺たちの顔を覚えられてしまうやろ」 「誰に?」 「誰にって、通行人に決まってるやろ」 キヨシはあわてて持っていたタオルで頬被りをした。 「よけいに目立つやろ。やめとけってば」 |