うるわしの姉弟哀A |
二人が緊張した面持ちで向かい合って座っているのは、赤い車を放置した場所から一時間程車で走った所にある大きめの喫茶店である。 「本当にピストルは本物か」 俺の質問に、何を思ったのかキヨシはテーブルの上にピストルを置こうとした。 「アホ、人がこっち見てるやろ。場所を考えんかい」 「だってコイちゃんが本物かって言うから」「あのなぁキヨシ。これから俺たちはものすごい事をやらかそうかって言うてるんや。もう少し考えた行動をとらんと直ぐに掴まってしまうやろ」 キヨシは申し訳なさそうな顔をした。いつの間にか、二人の関係は元通り俺がボス、キヨシが子分の関係に戻っていた。 「で、コイちゃん。ものすごい事ってどんな事をすんの」 今度は俺が黙り込む番になった。実のところ何も考えてなかったのだ。 「犯行は完全を目指す。けっして警察にはタレ込まれないブラックマネーを頂戴する」 自分でも何を言っているのかわからないが俺は思い付く限りの事を言ってやった。キヨシは感心したように大きくうなづいた。 「コイちゃん。ブラックマネーって何やの」「お前テレビとか見てへんのかいや」 「ビデオ専門や。最近のレンタルはスゴイんやでぇ。目を細めて見ると外人のオチンコなんて大きいからぼんやりとやけど見えるんやでぇ」 何のこっちゃ。 「要するに、悪い奴等が騙しとったようなお金の事を言うんや。合法じゃなくて違法で手に入れた金なら奴等も警察に訴えることはできひんのや」 でも、そんな金はどこにあるんだろう。それに奴等って誰の事なんだろう。俺は道に迷った子どものように途方にくれようとしていた。 「まかしとき」 突然、俺たちの後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。 キヨシと俺は一斉に後ろを振り向いた。 「姉ちゃん」 「フナ子さん」 何と俺たちの直ぐ後ろに姉ちゃんがいたのだ。町内中から恐怖のフナちゃんと呼ばれる姉ちゃんが。 姉ちゃんは中山鮒子。これは悲惨な名前である。名字なら結婚とともに変えることはできるが、名前は変わらない。だから姉ちゃんは中学の時にグレて中年に差し掛かった今もグレ続けている。 普通は、中学時代にグレるとヤンキーだとかチンピラだとかヤクザだとかが言い寄ってくるのだが、姉ちゃんのグレ方はハンパじゃなかったようで極道連中さえも姉ちゃんに手を出そうなんて健気な奴はいなかった。だからいまだに独身である。 姉ちゃんと視線を合わせるヤツは俺の町にはいない。歩道を歩いている姉ちゃんを追い抜かす車も気を付けている。姉ちゃんの一メーター以内に入らないように気を付け、大きく避けると一気に加速する。ルームミラーに写った姉ちゃんが追いかけてこないことを確認して人心地つくのである。 二年前、そんなわが町のルールを知らない車が姉ちゃんに向かってホーンを鳴らした。かわいそうに運転手は姉ちゃんに車から引きずり下ろされ眉間を鉛入りのハンドバックで割られてのたうち回っていた。 そんな姉ちゃんがいまだに警察の世話になっていないというのはわが町の七不思議である。近所の巡査ですらあきれ返っている。 俺が正業につかないのも姉ちゃんのせいである。サラリーマンにでもなった日には給料日にタカられるのは目に見えている。だから俺はプー太郎をしているのである。 その姉ちゃんが今日は髪の毛を銀髪に染め抜いていた。キヨシは姉ちゃんが一番気にしている名前を呼んだもんだから二三発ビンタをされていた。喫茶店にキヨシのほっぺたが派手な音を立てる音が響いた。 一番マズイ人間に知られてしまった。最悪である。実の弟が言うのだからこれほど正しい評価はない。 「コイの軽トラックが喫茶店に入るのが見えたから金を貰おうと思って追いかけて来たったんや」 文句あるか、という顔をした。 キヨシは涙を流しながらほっぺたをさすっていた。かわいそうに、ほっぺたは真っ赤に手の跡が付いていた。相撲取りが色紙に押したような大きな手形であった。 「お前らは本当にマヌケや。こんな所で相談なんかしてると誰かに聞かれるやないか」 その通り、最悪な人間に聞かれてしまいました。俺は自分の迂闊さを心底嘆いた。 「計画は繊細に、行動は豪快にや」 姉ちゃんの繊細は他人から見ると豪放磊落にしか見えない。豪快なんてヤケのやんぱちにしか思えない。 「家で計画の練り直しや」 そう言うと姉ちゃんはキヨシの右腕を鷲掴みにして喫茶店を出て行った。ピストルを持っているのはキヨシである。喫茶店代を持っているのは俺である。さすがにその辺りの判断は素早いものがある。 これで俺たちは完全に姉ちゃんに絡め取られてしまったのである。 キヨシを荷台に乗せ、俺を助手席に乗せ、自分は運転席に乗り込んで床を踏み抜くような勢いでアクセルを踏み込んだ。気を抜いていた俺は舌を噛みそうになった。 キヨシは『ギャー』って猫が死ぬ時のような声を上げていた。 「姉ちゃん免許って持ってたっけ」 姉ちゃんが俺をジロっとにらみ付けた。気分を害した時の姉ちゃんの癖である。身内であるから睨まれるだけで済むが、他人だと散々に殴り付けられる。 「仮免許練習中や」 「姉ちゃんが自動車学校に行ってたやなんて知らんかったわ」 今度は殴られた。左手の裏拳がモロに顔面に入ったから痛くて仕方がない。涙が出てきてフロントガラスから見える風景が捩じれて見えた。 途中、交番所の前を通ったが、運転しているのが姉ちゃんだと知った途端に警察官は見て見ぬ振りをした。荷台でキヨシが叫んでいるのに気付かない方がおかしい。 「オナニーのし過ぎちゃうか。コイの部屋は臭くて仕方がない」 俺の部屋に入った途端に姉ちゃんは文句を言った。俺は急いで窓を全開にした。 「あほ、窓を開けると聞こえるやろ」 「せやけど臭いって言うから」 姉ちゃんがジロリと睨んだ。下手に口答えをしない方が賢明である。 身長百八十センチの姉ちゃんは俺の部屋では真っ直ぐに立つことができない。俺は身長が百六十五センチだから不自由は感じないが姉ちゃんは頭を打つのである。 昔は、姉ちゃんのことを町内の人も坂本龍馬のお姉さんのように若干の親しみを込めて『山中のお仁王さん』と呼んでいたが、今では随分省略して『鬼』と呼んでいる。もちろん、姉ちゃんはそんな事を知らない。もし仮にそれを知れば、言った人間は鬼によって地獄に叩き落とされるからだ。 「うっとしいから座れ」 姉ちゃんがぼーっと立っていたキヨシに怒鳴った。キヨシは一瞬空中に浮いた。いや、空中で正座したのだ。そしてそのまま畳に落下した。 家がグラリと揺れたが誰も様子を伺いにはこない。両親も姉ちゃんが苦手なのだ。 高校の時、店の売上を持って家出した姉ちゃんが二日後に帰って来た。いつもは温厚なオヤジもその時ばかりは真剣に怒り、オヤジは姉ちゃんの頬を殴った。 オヤジはそのまま病院に担ぎ込まれて一週間ベットに寝たきりになった。病名は大腿骨骨折。 姉ちゃんに二階の窓から放り投げられたのだった。 「ピストル見せてみぃ」 やんわりではあったが、拒否を許さない言い方であった。 (アホ、姉ちゃんにピストルなんぞ渡したら試しに撃たれるぞ) 俺は心の中でキヨシに忠告を与えた。しかしキヨシには姉ちゃんの命令を拒否するなんてことはできない。キヨシは腹に隠してあったピストルを恐る恐る差し出した。 「イヤダ」と言って半殺しに合うのも、渡して撃ち殺されるのもそんなに違いはない。キヨシは一分でも寿命が伸びる方を選択したのだ。 「これ、ホンモンかいな」 ニコニコとしながら姉ちゃんは独り言を言った。 「いっぺん撃ってみよか」 銃口を俺に向け、撃鉄を引いた。 「あかんて姉ちゃん、キヨシも引き金をなぶってて暴発したんやから。それに残りの弾は三発しかないねんから」 「ふ〜ん」 残念という顔をした。 それから姉ちゃんはピストルをいじくりまわし、弾倉を引き出した。その間、俺とキヨシは間違って暴発するのではないかとヒヤヒヤしていた。俺はそっと傍らにあったエロ本を胸元に引き寄せ、もしもの時のために腹に入れた。 リボルバー型のピストルにはレンコン型の弾倉が付いている。弾倉にはキヨシが言った通り三発の銃弾が残っていた。 姉ちゃんは不器用な手つきで三発の銃弾を畳の上に抜き出し転がした。 空になった弾倉を元に戻した姉ちゃんの顔が少しだけ歪んだように見えた。 身内の者にはイタズラっぽく見えるが他人のキヨシには残虐な笑みにしか見えないだろう。 思った通り姉ちゃんは空になったピストルの引き金を俺に向けて引いた。『カチン』とピストルは乾いた音を立てた。ただ、それだけのことであったが、俺は少しだけ小便を漏らした。 「姉ちゃん」 恐怖に引きつった俺は、本気、と言っても遠慮しながら姉ちゃんに抗議した。 「弾が入って無いのは見てたやろ。ビビンなや」 ピストルを持った右手で頭を殴られた俺は畳の上を転げ回って痛みに堪えた。鋼鉄は石頭以上に堅いことを知った。 姉ちゃんにとってオニギリ一つでも立派な凶器になるのに、本物の凶器を持たせてはどんなことになるかわからない。俺は姉ちゃんからピストルを奪うことを考えた。 「今の空撃ちでピストルがおかしくなったかもしれんから、見てみるわ」 案外素直に姉ちゃんはピストルを俺に渡した。空撃ちだけでは物足りなくてピストルへの興味が失われたのだろう。 タバコを横ぐわえにした姉ちゃんが足を大きく開いて煙りを天井に向けて吐き出していた。パンツ丸見えである。姉ちゃんにはそぐわないが白いパンツ。その中には俺とキヨシが大好きなおマンコがあると思うと悲しくなってくる。キヨシは無謀にもじっと局部を見ていた。 「一発やるかぃ」 キヨシの視線に気付いた姉ちゃんがキヨシを誘った。一瞬嬉しそうな顔をしたキヨシであったが、直ぐに相手が姉ちゃんであることを思い出しほっぺたをブルブル震わせて拒否した。 かわいそうに股間を姉ちゃんのカカトで強打されたキヨシは真っ青になって全身を震わせて痛みに耐えていた。顔は冷や汗でテカっていた。 キヨシの様子があまりに痛々しいのでさすがの姉ちゃんも悪いと思ったのか、キヨシの腰の上辺りをコンコンと手で叩いてあげていた。ところがその力があまりにも強いためにキヨシは『グェグェ』と唸っていた。 俺は腰骨が折れないか心配していた。 単細胞のキヨシと脳細胞皆無の姉ちゃん。ここは俺ががんばるしかない。俺は必死に襲撃すべき最適の場所を頭の中で探っていた。 パチンコ屋の換金所はテレビモニターが四六時中見張っているし、銀行はプロでも最近は狙わない。郵便局なんて所もあるが、ここも最近の不景気から警備は厳重である。資産家のオババなんていれば最適だけど、この界隈のオババは全員おしなべて貧しい。時折、驚くような財産を溜め込んでいたオババの死亡記事を新聞で見かけることはあるが、そんな天然記念物のようなオババを探すことは宝くじに当たるよりも難しい。 会社重役を誘拐して身の代金を要求することも考えたが、何しろ相棒が相棒である。警察に足も付かずに作戦を完璧に遂行できるようなかしこい連中ではない。 俺は腕を組んで悩み込んだ。 「行く」 姉ちゃんがイライラとした表情で立ち上がった。ちょっと待ってよ、と言おうとした俺だが、勢いよく立ち上がったために鴨居に強く頭を撃った姉ちゃんの不機嫌そうな顔を見ると、何も言えずに言葉を飲み込んでしまった。 「早よせぃ、タコ」 姉ちゃんが『タコ』と吐き捨てるように言う時は要注意である。ボキャブラリーの少ない姉ちゃんにとって、『タコ』という言葉は相手に対して最高に腹を立てている時の呼び掛けである。 タコ、ごちゃごちゃ言うてるとボコボコにして地面に埋めるぞ、という言葉の後半部分を省略した表現形式である。 俺とキヨシはバネ仕掛けの人形のように直立不動の姿勢を取った。キヨシなんかは『ビヨヨヨ〜ン』と音が聞こえてきそうなくらいである。 姉ちゃんはピストルを俺の手から強引にひったくると、腹とスカートの間にグイッと差し込んだ。 ちょっとだけ、ヤクザ映画の出入りのシーンに似ていた。 水も漏らさぬ計画を考えていた俺が、今や誰が見ても百パーセント危ない人のパートナーになってしまったのだ。これからの人生を考えるとトンズラする事が最良の選択技であるが、同時に史上最高の不幸も訪れる。とりあえず、黙って付いて行くより方法はなかった。 途中、姉ちゃんはヤンキー系の女子高校生を視線のみでビビらすと履いていたパンストを脱がせた。ルーズソックス全盛の時代に稀有な存在のヤンキー高校生であった。 高校生は平穏な昼さがりの町中で犯されるのではないかと勘違いし、パンティーまで下ろそうとした。 「アホ、おのれの腐ったおマンコなんて見たいことあるかい。ちゃっちゃと脱がんかい」 姉ちゃんが女子高校生の頭を張り倒した。女子高校生は鼻から鼻血と鼻水の混ざった不思議な液体を噴出しながらも目をパチクリとさせていた。 それにしても、人通りの多い町中でパンストを脱がせる姉ちゃんも姉ちゃんだが、パンティーまで脱ごうとした高校生も高校生である。 一般通行人のオヤジが姉ちゃんの犯行をニヤニヤと見ていた。 一体全体、どんな展開になるのか、まったく予測不可能な俺だが暴走を始めた姉ちゃんを止めることなんて出来なかった。とんでもない結果になることは目に見えていた。が、警察に掴まることと、この先一生姉ちゃんに付きまとわれることを天秤にかけると、俺は警察に『逮捕』という名の保護をしてもらう事を選びたかった。 考えてみれば、呪われた一族に生まれた俺が悪いのである。俺の前世はとんでもない奴であったのであろう。そのムクイが来たと思えば少しは諦めも付く。 「パンスト」 そう言うと姉ちゃんは高校生から奪ったパンストを股の所から半分に引き裂いた。何という力だ。俺もキヨシも死に神に絡めとられた事を観念した。 俺とキヨシは言われるままにパンストを頭から被った。姉ちゃんはというと、ハンカチで覆面をしていた。 キヨシを見るとパンストのお陰でとりあえず誰かは分からない。多分、俺も同じようなものなのだろう。無茶ブサイクである。 一方、姉ちゃんは銀髪はそのままだし、何より身長百八十センチは隠しようもない。老眼のオババが見ても、覆面の正体は姉ちゃんだとわかる。 「行くでぇ」 姉ちゃんが睨み付けている先には質屋があった。 「あの質屋を襲うってわけ?」 恐る恐る姉ちゃんに聞いてみた。 「OLから貰ったグッチのバックを二千円で買い叩きやがったんや。クソッ、強欲オヤジめ」 貰ったなんて嘘である。多分インネンを付けてカッパラッタ物である。質屋のオヤジもバカじゃないから盗品は安く買い叩く。それを姉ちゃんは恨んでいたのだ。可愛そうに質屋はとんでもない奴に逆恨みをされてしまった。 質屋に入るパンスト二人と身長百八十センチの銀髪大女。誰が見てもお得意さんではない。 質屋に入るなり姉ちゃんはピストルの引き金を引いた。ピストルは「バチン」と乾いた音を立てた。弾は、何と弾は俺の部屋の畳に転がったままでピストルからは飛び出さなかった。 「バン」 咄嗟に姉ちゃんはピストルの発射音の物真似をした。事情のわかっている俺ですらビビってしまう大音響が姉ちゃんの口から飛び出した。半分居眠りをしていた質屋のオヤジはその音に目を覚まして三十センチは座布団から飛び上がった。 「金を出せや」 どこからこんな声が出るのかというくらい大きな声であった。店の外にまでストレートに聞こえる程の声である。 「金なんて無い」 さすがに悪徳質屋である。次の瞬間には落ち着き払って言い返した。 「嘘付け、グッチのバックを二千円で買い叩きやがったやろが、腐るほど金を持っとることは分かってるんや」 自己紹介しているようなものである。しかし、そのお陰で質屋は完全にビビってしまった。鬼より怖いフナ子さんなのだ。 「七万しか手元にない」 言いながらオヤジは何枚かの一万円札を差し出した。姉ちゃんはそれを鷲掴みにすると俺たち二人をその場に残して走り去った。 俺とキヨシは姉ちゃんを追いかけた。何しろ、パンストを被ったままであるから呼吸が苦しくて仕方がない。パンストをはぎ取ろうとするがなかなか取れない。 それにしても姉ちゃんのダッシュは早い、『韋駄天走り』というのはこんな走り方を言うんですよ、というお手本のような走りであった。 |