うるわしの姉弟哀C
「フナちゃん行くでぇ」
 キヨシが言った。またもや俺の心臓がザクロ石くらいに縮んだ。姉ちゃんを『フナちゃん』なんて、聞こえる可能性のある範囲で言う奴はいない。
 キヨシの人生は長くはないだろう。

 今年の盆踊りは姉ちゃんにとって気に入らない催しであったようで、放火未遂一件で会場を後にした。俺とキヨシは慌てて後を追った。
 途中、何人ものヤンキーやヤクザが頭をこづかれていた。彼等も頭を殴った相手が姉ちゃんだとわかっているので「エヘヘヘヘ」とうすら笑いを浮かべている。痛くて涙が出そうなくらい痛いはずなのに、彼等は決まったように我慢していた。見上げた根性とも言える。
「姉ちゃん」
 姉ちゃんに声を掛けたのは紅白の幕に火を付けてから一時間たってからだった。姉ちゃんの怒りが収まったのを見計らったのだ。
「何やコイか。何しとったんや。そんな事より金持ってへんか?」
 実の弟でも姉ちゃんにとってはカモなのだろう。途端に笑顔を作って金をせびろうとした。
「ちょっとしか持ってない」
 本当は三万円持っていた。
「ええわ、貸してくれるか」
「貸してもええんやけど、聞きたいことがあるんや」
「何や」
 姉ちゃんの体から発するイライラが痛い程伝わってきた。
「早よ言え、うっとうしぃ」
「ピストルや」
「何やピストルって、チンコの事かいな」
「違う、ホンモンのピストルの事や、質屋を襲った時に姉ちゃんが持って行ったままやんか」
「ああ、あれ。途中で捨てたわ」
 そんな昔の事なんて知るかい、というような面倒くさそうな顔をした。
「早よ、金出せ」
 言葉遣いが完全にカツアゲになっていた。 俺は五千円を差し出した。
「何やこれ」
「金」
「アホか、金って言うたら一万円札の事を言うんじゃボケ」
 姉ちゃんの瞳から怒りの炎が吹き出した。ここで一万円札を出すと「何や、持ってるやないか」っていうことでケツの毛まで毟られてしまう。俺は下っ腹に力を入れて踏ん張った。
「こんだけしか無いんや」

 結局、ピストルを何処に捨てたか言ってくれれば、あと五千円を借りてくるという口実で俺は姉ちゃんからピストルの在処を聞き出した。
「うっとしいから公園の生け垣の中に放り込んだったわ」
 詳しく場所を聞いた俺は、姉ちゃんをその場に残して、残りの五千円を誰かに借りに行くフリをするために時間を潰した。
 五千円札二枚で一万円を渡した俺は、姉ちゃんから身体検査をされて隠し持っていた残りの二万円までもぎ取られた。やっぱり姉ちゃんは侮れない。キヨシも靴下の中に入れてあった二万円を取られてしまった。
 この能力をもっと他の事に利用すれば大成するのに、本当に残念な事だ。 

 公園に行った俺たちは姉ちゃんが言った生け垣に潜り込みピストルを探した。懐中電灯を持ってくればよかったのに、と後悔したのだが、下手に懐中電灯なんて持って公園をウロつくと覗きに間違われるかもしれないのでかえって好都合であったかもしれない。
 それにしてもヤブ蚊が一杯で痒くて仕方がない。こんな事なら献血に行った方が血液を有効利用できるというものだ。
 黒いマグナムを暗闇で探すなんて、砂漠で針を探すみたいなもんだ。限り無く不可能に近い。
「見〜つけた」
 キヨシが間の抜けた声をあげた。
「ホンマか」
 先程まで中腰で探し回っていたキヨシがスクッと立ち上がっていた。右手には公園の街灯で逆光にはなっているが、ピストルらしい物が握られていた。
「泥泥や」
 泥泥でもいい。現物が有りさえすれば何も言うことはない。
「行くぞ」
 こんな所で警察官に職務質問でもされたら一巻の終りである。俺はキヨシを促し、公園を後にした。
「ありゃ、銃口に泥が詰まってるわ」
 キヨシが言ったように銃口には泥が詰まっており、銃把はネジが緩んでいるのかカタカタと音がした。
 しかしこの程度なら素人の俺にでも何とかなる。
 キヨシと一緒に俺の部屋に戻ると、俺は綿棒で丁寧に銃口の泥を拭き取った。銃把のガタ付きはドライバーで簡単に修理できた。
 残っていた三発の銃弾を弾倉に入れると見た目は元の通りに戻ったようであった。しかし素人判断は危険である。本当に直ったかどうか試し撃ちをしてみたいが、弾丸が三発しかないのでそれも出来ない。取り敢えずこれで「ヨシ」とすることにした。
「で、コイちゃん、どうするの」
 又もやキヨシは次の計画を聞いてきた。
「タコオヤジに反省を促す」
 俺は、大昔の学生運動の志士のような言い方をした。時代掛かった言い方に、言った俺は照れくさくて仕方がなかったが、キヨシには何とも感じていないようだった。    「どうやってやんの」
 キヨシにそう言われると直ぐには返す言葉がない。
「この計画は水も漏らさない正確さが要求されるんや。少しでも曖昧な所を残したままやると失敗する。もう少し時間をくれ。完璧な計画を披露するから」
 何も考えていなかった俺はともかく時間稼ぎをすることにした。
「コイちゃんは昔から悪巧みが得意だったから任せるよ」
 キヨシの言い方は俺の気分をものすっごく害した。が、言い返す言葉がないので黙っていた。

 俺は昔から計画を立てるのが好きだ。テスト発表なんてあるとどんな勉強をするのかという計画を細かく立てていた。たいていはそれで疲れてしまい実行にまで及んだことはないが、ともかく俺は紙に計画を書くことが好きで好きでしかたがないのだ。
 次の日から、俺は原稿用紙を机に広げてタコオヤジ成敗計画を練った。慎重に事を運ばないとタコオヤジに儲け話を作ってやるだけである。願わくば、タコオヤジの全財産、もしくは社会人としての生活を奪い取ってやりたかった。

 三日後、俺はある思い付きを胸に図書館に向かった。名案を思い付いたのだ。
 閲覧室で分厚い本をパラパラとめくりながら、家から持ってきた原稿用紙をメモ代わりに書き込みを始めた。目指すお宝はたくさんあって目移りするくらいである。俺は計画の成功を確信した。
 図書館を出た俺は足取りも軽く電話ボックスに向かった。口笛を吹きたいぐらいだ。
 携帯電話を持たない俺は公衆電話愛好者なのだ。
 三回目のコールで相手は出た。思った通りだ。
「道山さん?」
「はい」
 電話の向こうで電話に出た相手は不審げな声を出した。
「京子さんは」
「…」
 何の返事もなかった。俺は電話に出た人物が『京子』本人であると確信した。
「お宅は?」
 名前を言わない俺に警戒心を強めたのか名前を尋ねてきた。
「中山鮒子の弟の鯉太郎です」
 予想通り、自己紹介をした途端に電話の向こうでコキンと空気が固まったような重苦しい沈黙が流れた。
「姉ちゃんに頼まれて」
 受話器から道山京子の心臓の音がバクバクと聞こえてきそうである。
 もちろん、姉ちゃんに頼まれたなんてまったくの嘘だ。しかしそう言えば、道山京子はどんな要求でも聞き入れるはずなのだ。

 五年前、道山京子はゴク普通の高校生であった。そんな京子の人生が、ある日姉ちゃんにジュースを買いに行かされてから大きく狂い始めた。
 姉ちゃんは一旦使えると思った人間は絶対に放しはしない。最初は使いっパシリ専門であったのだが、次第に姉ちゃんの要求が激しくなった。ガム・ジュースを買ってこい、から始まり、最後には電子レンジまで持ってこいと言われた。
 たまたまコンビニで買ったオニギリが冷たかったという理由。それだけである。
 姉ちゃんの恐ろしさが身に染みてわかっている道山京子は近所の電器屋で万引きをしたのだ。その時の道山京子の精神状態を考えると同情するしかないのだが、そんな大きな物がスポーツバッグに入るはずはない。店員に見付かり警察に引き渡されてしまったのだった。
 警察で数時間に渡る取り調べを受けたのだが、道山京子は姉ちゃんの名前を絶対に出さなかった。自分で罪を被ることにしたのだ。その行為は考え方によっては正解と言える。 しかし、ちょっと考え方を変えると警察で口を割らなかった忠誠心一杯のパシリとしてますます姉ちゃんに重宝されるだけなのである。
 次の日、道山京子はそのまま教護院に送られた。あっという間の出来事である。万引き程度でそんなに重い罪になるわけはない。姉ちゃんから離れるために自ら教護院を選んだのだ。
 その道山京子が二か月前に家に戻ってきた事を俺は世間の噂で知っていた。俺が知っているくらいだから地獄耳の姉ちゃんが知らないはずはないのだが、姉ちゃんにとって道山京子は何十人もいる中のパシリの一人なのでどうでもいい存在であったのだろう。
 姉ちゃんの名前を聞いた道山京子は明らかに精神が錯乱を起こし始めようとしていた。「ちょっと出て来てくれませんか」
 道山京子が断れるはずがない。消えるような声で「ハイ」とだけ言うと、後は俺が指定した待ち合わせの場所を黙って聞いていた。 半時間後、待ち合わせの喫茶店に行くと道山京子が真っ青な顔をして座っていた。五年前の道山京子とは別人のようになっていた。俺が知っている道山京子はポッチャリとした女の子であったが、目の前にいる女はガリガリに痩せていた。俺は自分の計画がますます成功に近付いているのを確信した。
 教護院から帰ってきた道山京子は家の中に閉じこもりっぱなしなので、誰もこの痩せた女が道山京子とは気付かないだろう。
「済みません、こんな所に呼び出して」
 姉ちゃんが一緒に来ることを予想していた道山京子であったが、その姿が無い事にホッとしたのか道山京子の頬にうっすらと血の気が戻ってきた。
「実はちょっとだけ頼まれて欲しい事がありまして」
 地図をテーブルの上に広げて俺は話を始めた。
「一緒に行ってくれるとありがたいんです。まさか断るなんて無茶はしないですよね」  夢遊病者のように立ち上がると、道山京子は黙って俺の後に付いてきた。地図を見せる事もなかったかな、と思ったが、そんな事はどうでもいい事であった。

 車で二時間程走ると、二車線の道路が一車線になり、やがて砂利道に変わった。目的の山寺はまだずっとその先にあった。
 道山京子と肩を並べて石段を上がる。額に汗が浮かび始めた。急な階段は運動不足の身にはこたえる。ふくらはぎの筋肉が痙攣を始め、息が上がり始めた時に小さな本堂に辿り着いた。
 本堂にはカギが掛かっていたが、木でできた扉が腐っていたのか、手袋をはめた手で力を入れると、あっけないくらい簡単に戸は開いた。
 図書館で見た仏像が目の前にあった。国宝級の仏像なのに、何と無警戒な安置をしてあるのかと、その無責任さに腹が立ってきた。 手袋をはめたままではあったが仏像を掴むと、持ってきたカバンに仏像を入れた。思ったよりも小さな仏像で拍子抜けするくらい軽かった。
 途中のディスカウント型式の靴屋で二人分の靴を買うと、履いていた靴は川に投げ捨てる。
 これで完全犯罪の出来上がりである。

「骨董品が大好きな男が手切金だと言ってくれました。いくらでもいいですから引き取ってもらえませんか。仏像なんて持ってるとバチが当たりそうでキモチが悪いんです」
 道山京子はタコオヤジを前にして俺が教えた通りの台詞を喋っていた。
「お幾らで引き取らせてもらえばいいですかね」
 タコオヤジは狡賢い表情で尋ねた。
「二十万、いえ、無理なら十五万でもいいんですけど」
 この台詞も俺の指示通りである。素人が高値を吹っ掛けると怪しまれるのだ。
 タコオヤジの顔がほころんだ。タコオヤジなら、この室町時代の仏像がどれくらいの価値があるかはおおよその見当は付く。仏像マニアに叩き売ったとしても数百万にはなる。「じゃあ、清水の舞台から飛び下りた気になって十三万円で買いましょう」
 そう言うと、タコオヤジはしわくちゃの一万円札を十三枚道山京子の前に並べた。
「お名前を記入してもらえますか」
 タコオヤジは大学ノートを道山京子の前に差し出した。
「えっ」
 道山京子は驚いた表情をした。これも俺の指示通りである。
「いえ、一応決まりなもんで」
 盗品なんかを掴まされる事もしょっちゅうあるので、質屋では必ずといっていいほど名前を聞く。しかし、タコオヤジは闇ルートで仏像を売りさばくだろうから盗品でも何でも構わないはずである。それでも小心者のタコオヤジの事だから念を入れて名前を聞いてくるくらいの予想はついた。
「絶対に人には言わないでくれますか」
「何か困ることでも」
 単純な男である。予想通り寸分違わぬ受け答えをした。
「私が二号という事が知れると困るもので」