去年の笑顔A
を吸うことはかえって面倒なことに気付いて、抜き出したタバコをパッケージに戻して、ポケットにしまいこんだ。
 それにしても午前中というのに耐えられない暑さである。
 大きなアーケードをくぐると、ずっと向こうに小さな白い塔が見える。でも、今の僕にとっては陳腐な建物が見えてきた程度の感覚でしかなかった。

 一年前の由佳はその感動に耐え切れず、直ぐにでも塔に走って行きたい素振りだったけれど、僕と佐帆は二人の娘が落ち着くように声をかけたのだった。
 たしかここで見知らぬ人に頼んで写真を撮ってもらったはずである。夏が終わってからちょうどこのアングルの写真がテレビの上に飾ってあったことを思い出した。
 写真の中の二人の娘の着ている服は全然違うのだけれども、ちょっと見た目には同じ服を着ているようにしか見えなかった。
 あの時は急に出来た人垣が何のためのものかもわからなくて、結局人の頭越しにパレードを見た。
 肩車をしてやった由紀は大喜びで、由佳が怒っていたのを思い出した。怒っているはずの由佳もいつの間にかパレードを食い入るように見ていた。
 ビデオの担当だった僕は子ども達の笑顔をビデオで写しながら、傍らで同じように幸せそうな笑顔の妻を見て長時間の連続運転の疲れが薄れていくのを感じていた。
 あの時は僕の心の中に家族中心の考え方や僕が家族の一員であることの安心感、そして夫であり父であることの責任感があった。
 でも、クリスマスの飾り付けが商店のウィンドウを飾り始めた頃に僕が起した事故が全てを変えてしまった。
 ウィンカーを出さずに車線を変えようとした僕に後ろから来た赤い車が接触してしまった。持っていた陶器の茶碗を落としたような乾いた音がして、僕は事故が起こったことを知った。あきらかに僕のミスである。気の荒い運転手であれば、血相を変えて飛び出して来たのであろうが、赤い車の運転手は車の外に出てこなかった。
 ひょっとして怪我でもしているんじゃないだろうかと、僕は自分の車を側道に止めて赤い車に近づいた。
 赤い小さな車は外国の車らしく、その小さな車体に真っ赤なイタリアンレッドはよく似合っていた。その車を見た時から僕が予想したようにドライバーは若い女の人だった。
「済みません、急に車線を変えてしまって、僕の不注意です。それより怪我はなかったですか」
 車の中の彼女は突然起こった事故に驚いて、大きな目をさらに大きく見開いて僕を見つめていた。その瞳はしっかりと僕を捕らえていた。瞳に捕まった僕は不謹慎ではあったが、状況を忘れて彼女に見とれてしまっていた。 僕の意識が彼女から引き離されたのはトラックのクラクションによってだった。道を大きく塞いだ形で止まったままの彼女の車が邪魔になり、車の移動を促すかのように短くではあるが、鳴らしたのだった。
 左側にある運転席のドアを開けて彼女を車から一端外に出し、僕がハンドルを握って彼女の車を移動させた。 
 一か所ずつ傷の入った車はポプラの木の下で妙にしっとりと落ち着いて見えた。
 近くにある公衆電話から警察に電話をした僕は、車を見渡せることのできる大きな窓のある喫茶店で、彼女と一緒に警察を待つことにした。
 最初は事故の処理と後始末、対物車輛の保険に関する面倒で複雑な内容の話を落ち着いた場所でするつもりで誘ったのだけれど、僕の車に掛けた保険を使うことで簡単に事故後処理ができるんではないかという予想から話は違う話題に変わっていった。
 大学を出たばかりの彼女は僕にとってドギマギするほど若く、そして魅力的で。一方、彼女にとって僕は世間のいろんなことをしっている安心できる先輩か兄のような存在であったのかもしれなかった。
 お互いのことを話し合っていた僕達は傍目には少し年齢の離れた恋人同士に映っていたと思う。そして時間がたつほど僕達は恋人同士のような感覚に陥ってしまっていた。
 話をするほどに、数年前に僕が悩んでいたことや、僕が人生の一大事のように考えていたことが、目の前にいる彼女にとってはその時の僕と同じように一大事で、僕の会話全てが彼女にとって関心のある内容であったようだ。そんな真剣なまなざしに見詰められ、僕は妹を思う兄のように親身になって彼女にアドバイスを与えていた。
 半時間ほどしてパトカーが事故現場に到着した時には僕は加害者と被害者という単純な感覚ではなかった。
 それから暫くは、大人であり、社会人であった僕達は兄妹のような関係を維持し続けることが出来ていた。でも、僕にとって魅力的すぎる彼女の存在は『妹みたいな』という存在だけで終わらせることはできなかった。  世間から見れば不倫という汚らしい言い方で簡単に処理される関係であったのかもしれない。でも僕は彼女との精神的な関係をそんなふうに簡単に、そして単純には考えたくなかった。でも、結果として僕は僕の家庭を僕の身勝手な行為によって修復不能なほど、こなごなに潰してしまっていたのだった。
 妻も愛していた、二人の娘も愛していた、このことは誰にでも誓えた。そして今もはっきりとそのように思っている。しかし、僕の行動に疑問を持った妻が大学時代の僕と妻の両方の友人である友達に頼み、彼が僕のオフィスにやって来た時に、僕はこのことで彼の疑問と彼の背後にいた妻の疑問を晴らすことはできなかった。つまり、僕は僕のことを僕の家族に何も弁明できなかったのだ。弁解することすら放棄してしまっていたのである。 節分の日に妻と娘は僕に一言の愚痴も言わずに出て行った。何も言わなかったことが僕に対しての彼女達の最大の行為であったことは残った僕が一番感じていた。せめて「あんたなんか最低よ」くらいの言葉を残してくれたら身勝手な僕にとってすっきりしたのかもしれない。