参加型学習の基本B
A 人はありのままの自分が受け入れられた時に、はじめて変わることができる。
カール・ロジャース(1902〜1997)
来談者中心療法を創始した臨床心理学者。プロテスタントの宗教的に厳格な家庭に生まれる。学生時代父の農園を継ぐため、ウィスコンシン大学で農学を専攻するが、進路を変更、牧師になることを目指し、史学に専攻を変える。ウィスコンシン大学を卒業した2ヵ月後に、妻ヘレンと結婚。ユニオン神学校に入学するが、牧師を目指す道に疑問を感じ、コロンビア大学教育学部に転校、臨床心理学を学ぶ。卒業後、ロチェスター児童虐待防止協会で 12年間、臨床に携わる。その中で、従来のカウンセリング理論に疑問を覚 え、自らの理論的枠組みを形成しはじめる。オハイオ州立大学、シカゴ大学、ウィスコンシン大学で教授職を得て、教育と研究に従事し、来談者中心療法を提唱。西部行動科学研究所に移籍後、人間研究センターを設立し、精力的にエンカウンターグループの実践、研究に携わる。さらに、各国の紛争域でエンカウンターグループを実施し、世界平和に力を注ぐ。晩年にはその績を認められ、ノーベル平和賞候補にノミネートされるが、ノミネートの知らせを受ける前に病死。
【参考:フリー百科事典『ウィキペディア』】
B 人は生まれによって覚者(ブラーマン)となるのではない。人はその業(カルマ=行い)によっ て覚者となるのである。
アンベードカル(1891〜1956)
アウトカースト出身、幼少期からあらゆる差別を受けて育つ。様々な困難を乗り越え、アメリカ、イギリスの大学で法律学や経済学を学ぶ。博士号を取り弁護士を経て大学教授となり、1930年インド統治法会議に被差別階級代表として出席し、選挙権を要求する。
1937年ボンベイ州議員、1942年労働大臣、1946年憲法制定議会議員に選出される。1949年独立インド初代法務大臣となりインド憲法草案作成委員会議長に就任する。インド憲法第17条で「不可触民制」 廃止され、法的にはカースト制に基づくあらゆる差別は禁止されることとなった。「ヒンドゥー教を受け入れることは、私の自尊心が許さない。諸君を人間扱いせず、諸君に水を飲まさず、寺院へ入ることを許さぬ宗教は、宗教の名に値しない。」「あなたが学んだことすべてを共有しなさい」という言葉が遺されている。 【参考:解放出版社「アンベードカル物語」】