寺窓週記 2006年度   2009年度 2008年度 2007年度
2006年12月20日(水)
時代のキーワードは「命」

 今年も余すところ、あと10日となってまいりました。
 
 ご承知の方も多いと思いますが、先日、日本漢字能力検定協会主催の恒例の「今年の漢字」の発表が、京都;清水寺で行われました。1位は「命」で応募総数約9万票の1割近くを占めたそうです。そして、2位は「悠」、3位が「生」であったことからすれば、日本社会はファーストフードに代表されるような、一時のスピード時代から今や、個々の命をとらえ直したり、ゆったりした時の流れを望む時代に確実に移りつつあると言えるのではないでしょうか。

 「命」というものは、目には見えず実体がないようで、あり(逆に言った方がより正確なのかも知れませんが)、仏教に限らず、世界のあらゆる宗教のベースに不可欠の要素だと思います。その意味で力こそありませんが、少しずつながら私どもも本来の責務に関わる場面が増えてくるようにも思います。(「それはちょっと甘いよ」と言われそうですが・・・)

 5月連休あたりからお檀家のN氏の勧めとご協力に支えられてスターとした「徳永寺HP」ですが、当『寺窓週記』もおかげさまで早8ヶ月を経過するに至りました。取るに足らない内容の連続で誠にお恥ずかしい限りですが、新年からも続けてみたいと思っていますので何とぞよろしくお願い申し上げます。(ただ、回数の方は諸事情から月2回とさせていただきます。申し訳ございません。)

2006年12月9日(土)
映画「武士の一分」を観て

 先日、京都市内の映画館にて、話題作「武士の一分」を観てきました。およそのあらすじとしては、(木村拓哉が演じる)地方の下級武士が職務上の事故(殿様の食事の毒見役)から失明してしまうことをきっかけに起こる夫婦間の葛藤や愛情の推移が、決闘場面などを交えながら美しくまじめに描かれていました。

 やはり、山田洋次監督の作品らしく、例の「寅さん」シリーズ同様に、かつての日本の家庭にどこでも見られた、ほのぼのとした家族間の人情風景が全体を通じて観る者に伝わっていたと思います。

 寅さんの「それを言っちゃ、おしまいよ」の名セリフも聞かれなくなってすでに久しいですが、私たち現代の日本人が、一人の人間としてのプライドといったものをどこかに置き忘れて来てしまっているような場面が最近あまりにも多すぎなくはないでしょうか。
「一分」(いちぶん)という今では死語に近くなった言葉をあえてタイトル名に使った監督の意図もおそらくこのあたりにあるのでしょう。


 映画の中の妻役の女性にように、りりしくもやさしい心根をもった女性を見かける機会も同様に少なくなった昨今ですが、(それはともかくとして、ハイ)、期待した通りの楽しさがあり、かついろいろと考えさせられた映画でした。
 

2006年11月29日(水)
いよいよ、師走(しわす)

 早いもので、もう今年もあさってからは師走です。そして、何かにつけて気ぜわしい毎日がこれから始まります。都会のクリスマスソングはともかく、最近では田舎でも住宅のイリミネーション(照明)に凝るお宅を見かけるようになりました。もともと、師走とは法師(僧侶)が走るほど忙しい時期に入ったという意味から始まった言葉でした。

 もっともこれは、職業が今日のように多様化していない時代だったから、そう言えたのでしょうし、現代ではほとんどの人々がこの時期、忙しさを実感なさるのではないでしょうか?私が長年勤めていた教師社会でも師走は「業界用語」でした。成績処理に始まり、受験対策、生徒指導etc、本当にこの時期、職員室は毎日『師走』でした。そして、打ち上げの「忘年会」がとても楽しみでした。

 ところで、どうしてお坊さんが忙しいのか、おわかりですか?寺院にとって、本当に年末年始は忙しいのです。私の寺の場合ですと、大掃除に始まり、新年の年忌ふだの張替え、念仏講(大根焚き)、除夜の鐘、年始のご挨拶回りの諸準備等、数え上げたら切りがないほどです。お互い、風邪を引かずにがんばりましょう。おっと、最近では諸事情からこの言葉もなかなか使いにくくなりましたね。これも時代の傾向でしょうか?

2006年11月19日(日)
年年歳歳 花相い似たり、歳歳年年 人同じからず。

 ようやく伊賀の地にも紅葉前線が南下し始めました。そして、木枯らしの吹きすさぶ季節となりました。実際、ここ最近、当寺本堂で行われる諸行事には必ずストーブが数台必要です。そして、この1年もいよいよ締めの時期に入りました。

 境内のドウダンツツジは紅みが今一つですが、同じ彼らも、より山手では紅く染まりかけています。こうやって、植物達は冬籠りをし、来る年の準備に余念がありませんが、私たち人間は暖冬の中、身と心の両面でついつい怠ってしまうことになりがちです。
 
 そんな意味では、大陸からの「木枯らし」という北風は反面教師でもあります。

    「雪よりも 風の百日 伊賀盆地」  宮田正一(『角川賞』受賞作) 

 

2006年11月8日(水)
吉野路の星月夜

 昨日は、奈良県吉野周辺の浄土宗寺院2ヶ寺さまの十夜法要の席に招かれ法話を務めてまいりました。お話の内容はさておき、聴衆の皆さまに支えられ何とか責務を果たすことができた次第です。また、伊賀へ帰るには数時間を要する所なので、ご厚意から彼の地に泊めていただくことになりました。
 
 このあたりでは街のようなネオンなどなく
、露天の風呂からは山の稜線に皓皓(こうこう)と輝く星(写真には映っていませんが)や月がみごとな眺めでした。古来から私たち日本人にとって、月の光は仏さまの智慧と慈悲の世界の象徴(シンボル)でもあります。
 「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ」 
                                 法然上人

 日暮れ近くに到着したこともあり、ここが吉野川上流に位置する場所であることに夜が明けてようやく気づきました。(写真下)
 

2006年10月28日(土)
今年は柿は?

 今年は残念、裏の年でした。と言っても、これは私ども徳永寺の、柿の木の話です。いずれも百年以上前からある富有柿の一種です。

 昨年は鈴なりの年でしたが、今年はご覧のとおり、まったくと言ってよいほど寺周辺の柿はさっぱりです。天候や果ては虫の害に至るまで、私どもにはわからない天地の諸事情が影響しているのでしょうね。ひょっとしたら、定期的に訪れたサルの大群(?)も関係しているのかもしれません。でもきっとまた、来年は豊作の年を実現してくれることでしょう。

 昔はこの時期になると、柿泥棒に変身する子ども達があちこちに出没したものです。しかし、飽食の現代では誰も見向きもしなくなりました。私自身はと言えば、日本的な甘味を代表しているとも言える、柿のやんわりした甘さが最近恋しく思うようになったのですが・・・。

2006年10月19日(木)
秋冷の候となりました

 手紙などの時候の挨拶に、「秋冷の候」という語句を必要とする時節となりました。
 実際、私どもの田舎でも日中はともかく朝夕は肌寒くなってまいりました。


 まだ少し早いかもしれませんが、この一年を振り返ってみても人間社会がこんなに乱れきってきたのに、自然は(地球の公転をはじめ)何ときまじめなのでしょうか。このおかげで地球上のあらゆる生命の営みが成り立っていることを思うと、その正直さにはまったく頭が下がる思いです。

 浄土宗の各寺院では、このような自然の恵みや日ごろの阿弥陀如来の大慈悲に報恩感謝するお念仏を中心に、毎年「十夜法要」を行っています。旧暦の10月、したがって現代では11月の上〜中旬にかけての開催が多いかと思います。ちなみに当寺の「お十夜」は11月10日(金)午後8時開催で、例年お茶の接待を行い、参加される皆さんによるご回向があり、私もつたない法話をさせていただいております。

 一夜づつ 月夜は冴ゆる 十夜かな

2006年10月11日(水)
諸行無常 しょぎょうむじょう

 『一年なんてアッという間に過ぎていく。それじゃいけない。』

 このキャッチフレーズが、昨日たまたま所用で東京からの帰りに乗った新幹線の車内掲示板に出ていました。もっともその下には、みごとなまでの京都・曼殊院の紅葉風景の写真と共に、『ホーッ・・・京都の紅葉がゆっくりとため息をつかせてくれました。』との添え書きがあったのですが。JR東海さんもなかなかやるものです。

 ところで、仏教のいかなる教えにも音楽上の通奏低音のように流れている「諸行無常」という考えは、まさにこのとおりのことを意味しています。それは、この世のあらゆることが生じたり滅したりしてとどまることなく移り変わっているという哲理のことなのです。もちろん、一年どころか、今のこの一瞬もそうなのですが・・・。

 何とも悲しく、何とも楽しいことですが、これこそが仏教を超えて、私たちを包む大宇宙の真理なのでしょうね。

 かく言う私も、今日から50代後半の人生を歩むことになりました。本当にアッという間でした。もっとも、この事実も今朝ほど、遠方にいる娘からの電話で気づいた次第ですが・・・。

2006年9月28日(木)
ご先祖さま はじめまして

 先日の彼岸中のある朝のこと、境内の掃除をしていた時のことです。お墓参りを済ませ、帰宅されようとする(赤ちゃん連れの)若いご夫婦と偶然出会いました。

 すぐにはどなただったか判断できず軽く挨拶しただけでしたが、その直後「和尚さん、先日はありがとうございました。おかげさまで子どもができました。」と赤ん坊を私に向け笑顔で話しかけられことにまず驚きました。

 そのうち、こちらもだんだん記憶がよみがえり、昨年初めてのお子さんを流産されたAさんご夫妻でした。聞けば、その日朝4時過ぎに勤務地のW市を車で出発し、実家のご両親に会う前にまずご先祖様にご挨拶に来たとのことでした。

 また、その後もご自宅でお位牌(いはい)を通じて小さな命をおまつり続けていることにも感心しました。昨今、あちこちで親子間での凄惨な事件が相つぐだけに、朝から久しぶりに心温まるほほえましいニュースに接し、とても気分がよかったでした。

 最近、よく話題になる「命の大切さ」ということも、このような行為の積み重ねの中で、それぞれにとって確かなものとなるのではないでしょうか。

2006年9月21日(木)
秋彼岸を迎えて

 「暑さ寒さも彼岸まで・・・」と昔から言うように、確かに朝夕しのぎ易くなりました。

 春秋の両彼岸、徳永寺は「柘植善光寺」一色に変身しご回向の申込みや参拝で賑わいます。信州善光寺の「一光三尊阿弥陀如来」のご分身をお迎えした明治27年春から当山では両彼岸が盛大になりました。

 先日も善光寺堂の掃除中に、「常燈明 一、金五拾銭 近江八幡町 小林 某 」と書かれた古い御札が発見されましたが、鉄道のまだ無かった時代に、こんな遠くの方々からもお参りがあったようです。現在も常灯明のお札作りから彼岸準備が始まります。かれこれ、1世紀以上続く当山の伝統です。

 今でも、総代さん方に1週間出勤してもらい、私たち寺族と一緒に食事を共にして、朝から夕方までさまざまな仕事をしていただいていますが、今どき、こういう寺も珍しいのではないでしょうか。この間住職の私には、ご依頼のあった方々のご回向が日課となります。また、諸経費の管理はすべて総代側によって行われるのですが、この方式も信州善光寺を見習って始まったと考えられます。(先年、長野市の善光寺さんを参拝して気づいたことなのですが・・・。)

 特に、明日(22日)は昼・夜ともに布教師さん(今回は、亀山市の正福寺様)をお迎えしてのお説教の席があり、とても賑わいます。そして、あさっての中日法要・慰霊祭と続きます。若かった頃、彼岸と言えば私は膝が痛くて大変でしたが、今はだいぶ慣れました。これも、如来(にょらい)さまのおかげなのでしょうね。

2006年9月11日(月)
「蜂の巣」騒ぎ

 おかげさまで朝夕少しばかり秋らしくなってまいりました。

 昨年の今頃は、当山のいくつかの建物にハチの巣が数ヶ所つくられ一時大騒ぎをしました。特に、庫裏(くり 寺族の住居)の軒先に作られた一つは、無視している間に(約10日ほど)だんだん大きくなり終いには直径30センチぐらいにまでなってしまいました。しかも、彼らはかなり大型のハチで、いよいよこちらも身の危険を感じるようになりましたので駆除専門の方にお願いすることにしました。

 その巣は、建物の壁板のわずか1センチほどの節穴を中心に外向きに築かれており、さらにその穴の内側にも大きな巣が作られていたのには本当に驚きました。業者さんの話では、「もう数日放って置くと大変なことになっていたでしょう。」ということでした。

 それ以上に、私が驚いたのは内側の巣の見事さでした。10数層におよぶ内部は、さながら見事なマンションのようでした。かれらがいつどのようにしてこんな綿密な作業を繰り返していたのか・・・・・とその時とても感心したものです。

 年が明けるとわが人間社会では、例の「偽造マンション」の事件が発生しそれらは今も未解決ですが、これに対し、彼らの巣づくりにはどこにも不正など認められほどの完璧さでした。今もっていろいろ考えさせられるところ大です。

2006年8月28日(月)
徳永寺 夏期講座開催
 今年の「夏期講座」は、徳永寺のお隣さんでもある柘植接骨院の西口院長先生に「歩行による健康法」をテーマに約1時間の講演をしていただきました。長寿社会の反映でしょうか、骨や筋肉に悩みをもつ方が多く当日も大変な盛況ぶりでした。(90名参加)

 特に姿勢の歪みは、骨というより筋肉の衰えが原因というケースがたいへん多いそうです。講演の中では、筋力を高めるために家庭でもかんたんにできるトレーニング法をいくつか教えていただきました。
 また、姿勢をよくするためには、両足の親指に力を入れて歩くことがとても大切であることを力説されておられました。

 講演内容が要点を絞った簡潔さでわかり易く、実演を交えてのお話しぶりにみなさん方が納得して聞いておられたのが特に印象に残りました。 終わりにあたり、トレーニング法をかんたんに図示したプリント(A4 1枚)を全員が頂きましたが、コピーをご希望の方はメールでご連絡ください。近日中にご郵送させていただきます。
2006年8月18日(金)
慌しかったお盆が過ぎて

 今年もお盆(盂蘭)が過ぎました。何と言ってもお盆は懐かしいご先祖の精霊をお迎えする古来からの伝統行事です。お釈迦さま時代のインドではウランバナ(これを中国人が音訳して、うらぼん)と言ったそうですが、2500年経った現在でも、このような祖先を偲ぶ風習が続いていることはとても意味深いことだと思います。

 私自身は、13〜14日の両日に檀家さんのお仏壇を訪問し、お盆に由来するお経(棚経)を読ませていただきます。写真はその際の代表的な精霊棚の様子ですが、サトイモや柿の葉に七種の野菜などが盛り付けられているのにお気づきでしょうか?お飾りの方法はともかくとして、何と平和で心温まる風景かとその度に思います。そして、このような「良き風習」がいつまでも続くことを心から願う一人です。

 お盆の棚まいりを通じて、僧侶としての私が有り難いことと感じ、時に冥利(みょうり)に尽きる思いになるのは、ご家族の皆さん方がそろってお参りなさっている姿に期せずして接した時です。


2006年8月8日(火)
施餓鬼法要を終えて

 前回ご説明しました「施餓鬼法要」を、この5日に組寺院の皆様のご協力の下、おかげさまで無事勤め上げることができました。
 法要当日の具体的な場面は、「行事予定」の中の施餓鬼法要の欄にスナップ写真で報告してありますので、よろしければご覧ください。

2006年7月28日(金)
お施餓鬼近づく

 1年で寺が一番忙しい時期が近づいています。当山では8月5日に毎年施餓鬼法要を行います。当日は仕事を休まれ、家族ぐるみで参加される方が殆どで、年間を通じた諸行事の中で最も参加者が多く何かと大変です。数年前、日曜日と重なった年はのべ1,000人(?)近くの参詣者が見られたそうです。私個人も近くのお寺さんのお施餓鬼に参加しなければならず、お盆過ぎまでスケジュールはびっしりです。

 施餓鬼会(せがきえ)は、誰からも供養してもらえない餓鬼や無縁仏に飲食を施し、供養することを第一の目的とします。そして、その功徳(くどく)を先祖代々の諸霊位にふりむけ、その方々が極楽浄土で一層やすらかに暮らされるよう念じ、さらには皆さんの福徳延寿を願う伝統ある仏教行事です。この意味で施餓鬼会は、すべての人を救わずにはおかないという、阿弥陀さまの大慈悲によっているとも言えます。

 法要は朝から夕方まで(途中、昼休みあり)続きますが、それぞれがご自分の塔婆回向(とうばえこう)<焼香や水向けのお作法がある>の時を待つ間、境内のあちらこちらで久しぶりの再会による同窓会の花が咲いています。(その間、導師である私は、善行を積まれた方々のお名前をひたすら読み上げているのですが・・・・・)

 ところで、最近当山には毎日キセキレイがつがいでやって来ます。私が早朝、本堂で勤行し始めると必ず頭上で(と言っても屋根の上ですが)チーチーと一緒に始めます。山門の鯱の上に止まっている写真が小さくて申し訳ございませんが(とにかく素早いので)、近くで見るととても美しくかわいいです。今は旅ガラスたちが遠出しているからなのでしょうが、どうもこの山寺を気に入ってくれているようです。



2006年7月18日(火)
ペットブームに思う

 今年は犬年だからなのでしょうか。先日、関西系のテレビニュースで海水浴場の一定の海域を飼い犬たちと飼い主のために有料で開放している風景が紹介されていました。観られた方もあったのではないでしょうか。世の中、ついにここまで・・・・と思ったのが私の実感でした。街を歩いていると時折金髪などカラフルに毛を染めた犬に出合うこともあります。
 確かに飼い犬ほど従順で人の気持ちに共感(?)してくれる動物は、他に見あたらないのではないでしょうか。檀家さんの家を訪ねた時など、犬が私を出迎えてくれることも最近はままあります。(歓迎されることも、撃退されることもあるのですが・・・・・・)
 そして、そういう際の彼ら(彼女?)の顔の表情には、もうまったく、家族の一員としての堂々とした自信さえ伺えます。


 彼らと私たち人間との付き合いは数千年に及ぶようですが、最近の飼い方にはどうも現代の諸事情が色濃く反映されているように思えてなりません。それと言うのも、私たちのストレスやイライラが年々高まったり、人間どうし共感し合う場が少なくなったことで、結果として暮らしの中で彼らとの境界線が見えにくくなっているのではないでしょうか。かく言う私自身、犬好きでして子供の頃はずうーと犬を飼っていました。
 昔むかしのある日のこと、私が「犬にご飯をあげる」と言ったことで、祖母にえらくたしなめられたことを今になって思い出しました。もう40年以上も昔のことですが、時代がすっかり変わってしまいました。

 お釈迦さまの宗教“仏教”には、私ども人間だけでなくそれ以外の動植物も含めて、生きとし生ける物(衆生 しゅじょう)として等しく位置づける大きな特徴があります。しかしその一方で、私たちが人間という生き物だからこそ、恥ずかしさを自覚できたり、(目には見えないけれど)崇高なものを求め続けることができるなどの違いがあることから、彼らとの間に厳しく一線を引き、人間だけに可能な「宗教心」というものに期待されたのでした。

   

2006年7月8日(土)
最近うれしかったこと

 例のミサイル問題で騒然としている昨今ですが、早いもので今年も後半に入りました。
 昨晩は七夕でしたが、この星祭りも、あいにくの梅雨空で銀河星雲「天の川」はまったく見えず残念でした。もともと日本の伝統行事の多くは旧暦(太陰暦)を前提に設定されているので、実際の気候と各行事に今では相当なズレが生じてしまっています。西日本の各地でお盆を七月から八月に移したように、そして仙台の七夕祭りのように、この行事も八月上旬に移した方が天の川も見えやすく季節感が出てよいのかもしれませんね。

 最近うれしかったことが2つ続きました。一つは、遠方のK市に住むAさんが(数年来、脳内の重い病気が続いていたのですが)先日一人電車で柘植の寺までお見えになり、お母さんの二十三回忌を無事勤められました。それほどまでに回復なされたことが、住職の私には何よりうれしかったでした。また、その日、Aさんの姉妹二人もお墓参りに来られており、三人が偶然お墓の前で合流できたのです。世の中、不思議なことがあるものです。

 もう一つは個人的なことで恐縮ですが,先日京都へ出る途中、ついうっかり車のキーを電車の中で落としてしまいました。ダメもとと思いつつ、Aさんの法事が終わってから京都駅にある『落し物センター』へ連絡をしたところ、夕方になって「これではないでしょうか?」との確認の電話が入ったのです。これまた、とてもうれしいことでした。JRさんに感謝したことはもちろんですが、いやなニュースばかりが目立つ近頃だけに、(外国ではこういう事例がひじょうに少ないそうですから)まだまだ日本という国も捨てたものではないなぁとつくづく思った一日でした。

2006年6月28日(水)
縁あって

 前々回、お釈迦さまの教え(仏教)の根幹でもある「縁起」についてつたない雑感を述べさせていただきました。
 さすがお釈迦さまです。縁起について、あるお経の中でたいへんわかり易い偈文(げもん)を通じて喩(たと)えられておられます。これなら科学的思考を重視する現代人も充分納得されると思いますので、今回はそれをそのままご紹介することにいたしました。
次の言葉から思い当たることはありませんか?

 
  雨が降るのも
  風が吹くのも
  花が咲くのも
  葉が散るのも
  みな縁によって生じ、縁によって滅びるのである。
             「勝鬘経」(しょうまんぎょう)より

ps 写真は寺の裏庭斜面に咲いたホタルブクロです。梅雨のため、私が草刈を休んでいる間に咲いていました。これも縁起なのでしょう。

2006年6月18日(日)
“法然上人二十五霊場巡拝の旅” 無事成満

 本当に梅雨の晴れ間の2日間でした。先週の月・火曜日、奈良・兵庫・京都にある法然上人最晩年ゆかりの諸寺院(計6ヶ寺)を檀家さんと共に巡拝してまいりました。メンバーは一昨年暮れに当山で、五重相伝(浄土宗寺院で約400年間伝統的に続いている、一週間に亘る聞法道場)を修められた方々で、今回が7回めの最終コースでした。行き先々のお寺ではまずご本尊さまを前に定例のお勤めを全員で行い、その後にご住職から丁重な法話を賜るのですが、このようにお堂の中に入らせていただいてお参りする巡拝の形態は、四国八十八ヵ所をはじめ国内にも霊場巡りの旅が数ある中、他には例がないことを後から関係者を通じて知りました。
 2年間で二十五ヶ所の全行程を無事成満することができ、最終日には総本山知恩院境内にある法然上人御廟(ごびょう)拝殿にて、みなさん一同に(もちろん私も含めてですが)感謝と感激の中でお念仏をお称えすることができました。

※今回の巡拝寺院は以下の御寺院でした。(写真は下線の寺院にて)
 @第十番  奈良市  法然寺 C第十四番 京都市 正林寺
 A第四番  尼崎市  如来院 D第十三番 〃清水寺(阿弥陀堂)
 B第五番  箕面市  勝尾寺 E第二十五番 〃 総本山知恩院
 

2006年6月8日(木)
おかげさまで   −縁起ということー

 せっかくの寺院コラム欄ですので、時にはやはり法話をお伝えしなければと思います。
しかしながら、昔から法話というのは人格を通じて聴(聞)いていただくことから始まるのが原則なのです。その点で言い足りないことや誤解が生じる心配もあるのですが、そこらあたりは何とぞご容赦ください。

 「縁起」と言えば、「今日は縁起がいい」とか「○○寺の縁起」などといった使われ方が一般なのですが、本来の意味はこれらとはかなり違って、実はこの言葉こそ、お釈迦様の教えの根幹を成すものなのです。

 仏教関係の辞書では、「この世のあらゆるものは、他者との依存関係により存在しており、それ自身で独立して存在しているものは何一つない」とあります。
 例えを家にとれば、柱や屋根だけでなく、畳・窓・廊下・玄関そして住人など数えたらきりがないほどの要素が集まって初めて「家」という存在は成り立ちます。それと同じく私たち自身も、環境や人々の世話によって育てられている食物から栄養を得、周囲からは計り知れないほどの知識や情報を、また多くの人々との関係や愛情などにより今日も生かせていただいているのが本当の姿だと言えるのではないでしょうか。またそのことは科学的な真理でもあり、私たちの、命あるものとしての限界もここに始まっているのです。


 日本には、昔から体調や仕事の具合を尋ねられた時、「おかげさまで・・・」と答える習慣があります。これなどは仏教の「縁起の理法」をたいへんわかりやすく、生きた教えとして日常会話の中で無意識に使っている一例かと思います。

 いよいよサッカーワールドカップが始まります。深夜のテレビ中継で、しばらくまた眠い朝が続くことでしょう。ところで、選手やボールの動き一つにより瞬時にゲームの攻防が入れ替わるこのスポーツは、縁起が常にゲーム上に現れるという点で、観る者にとても醍醐味があります。 というような理屈はさておき、日本チームに何とか1次リーグを突破してもらいたいものです。
           ジーコジャパンに幸あれ!

 

2006年5月28日(日)
一粒万倍(いちりゅう まんばい)

 降りしきる雨の中の徳永寺周囲です。柘植在住のお檀家の皆さまにとっては、見慣れた風景でしょうが・・・・・・。
門前の田には今年もまた、ていねいに田植えが為されました。

 苗が植えられたばかりの水田は、見る者に正月とは別の意味での一年のスタートを感じさせる趣があります。農耕民族の子孫として、私たち日本人の遺伝子には、この規則正しい「緑の原風景」が記憶されているのではないかと思う時がしばしばあります。

 モノが豊か過ぎて、使い捨て時代と言われる現代に生きる私どもには、「一粒万倍」などという格言が伝わりにくい世の中となりました。
 思えばお米ほど私どもの暮らしになじみ深い食物はありません。生まれてこの方、ほぼ毎日食しているというのに食べ飽きないというのが何とも不思議です。他の食品ではこうもいきません。一粒の小さな種子から秋のたわわに実った稲穂の姿を誰が想像できるでしょうか。

2006年5月18日(木)
国宝「法然上人絵伝」に接して

 先日、京都国立博物館にて「大絵巻展」と題する特別展の催しがありましたので行ってまいりました。この展覧会の目玉は、有名な「源氏物語」と「鳥獣戯画」の2点なのですが、それ以外にも美術価値の高い多くの作品の中に、仏教各宗の祖師方の絵伝が展示されていました。
 私が最も感動したのは、当然かも知れませんが、「国宝 法然上人絵伝」でした。製作依頼主が時の上皇であったとは言え、四十八巻という膨大なスケールや気品ある内容という点で、やはり別格の作品でした。もっとも、今回展示されているのはこのうちの二巻です。
 印刷物ではこれまで何度も拝見しているのですが、偶然とはいえ、初めて本物に接することができたという感激や私が最も尊敬しているお方の伝記ということ等が重なったのでしょうか、本当に心揺さぶられ望外の幸せを得たひと時でした。

      ※「法然上人絵伝」について
       その他の名称
に「法然上人行状絵図」「勅修御伝」「四十八巻伝」等がある。
       全編は232枚の絵と詞書を交互に組み合わせた絵詞伝で全長548メートル、
       現存の絵巻物としては日本最大のもの.。正本は総本山知恩院に副本は奈良
       当麻寺奥の院にあり、いずれも国宝に指定されている。14世紀初期に完成。

2006年5月8日(月)
連休終わって

 思い返せば、今年もあっという間の5月連休でした。
 とかく世間で話題になりやすい「海外旅行」などとは縁遠い私の場合、法事と境内周囲の草刈で精一杯の連休でした。
 そんな中で、ひと際、目を引いたのが少し前に駐車場付近に植えたドウダンツツジの美しさでした。
 漢字では季語などで、ドウダンを「満天星」とも書くそうです。低木ながら春に若葉と共に、白い壺型の鈴のような小花がたくさん下向きに咲きそろう姿は確かに夜空に輝く無数の星たちのようでもあります。今年は近くの赤いサツキもよく咲き、そのコントラストが絶妙です。
 
  「雲ひくし 満天星に雨よ ほそく降れ」 水原秋桜子

2006年5月1日(月)
寺窓週記を始めるにあたり

 寺の裏山もようやく新緑が鮮やかな時節となりました。
とは言っても、柘植の地は朝夕まだ肌寒く、椿と牡丹が仲良く共演しています。
 情報社会の到来が指摘されてすでに久しいですが、遅ればせながら当山でもいわゆるホームページを立ち上げることになりました。
 諸案内に限らず、この小コーナーを通じて日頃の思いや社会のことで、住職jとして感じたままを週一回程度を目標に記させていただきたいと思います。
 どうかよろしくご高覧のほどお願い申し上げます。   合掌