2008年11月26日(水) |
家族こそ、ー最後の「よるべ」ーではないでしょうか! |
愚痴をこぼすようで申し訳ございませんが、最近余りにも自分勝手な事件が多過ぎると思いませんか?秋葉原の事件もそうでしたが、最近起きた例の厚生省事務次官家殺害事件についても、今の段階でマスコミ情報だけで判断するのは危険かも知れませんが、どう見ても働き盛りの青年・熟年世代の短絡的な行動に起因している事件であることは確かなようです。
過日、大阪大学名誉教授加地伸行先生(儒教学)の講演録を拝読する機会を得ました。その中で加地先生は、「この百年ほど前まで家族単位で考え行動することが普通であった日本人社会に、明治時代になり欧米から民主主義の前提となる『個人主義』という考え方が輸入されたものの、それが本格的に私たちの暮しの隅々にまで浸透し始めたのは昭和20年以降のいわゆる戦後社会の約60年間であった。個人主義というものはそれ自体りっぱな思想ではあるが、そのままでは自分勝手な社会を作ってしまう危険性を含んでおり、そのために欧米人の間ではキリスト教の神という『絶対的な存在』が各人の価値判断に一定のブレーキの役目をしてきたが、このような絶対的な神などという価値判断などがとても無理な日本社会においては、『家族』や『世間』という存在がこの代役を果たしてきた。・・・・・」要約すれば、ほぼこんな内容であったと思います。
確かに、それらが戦後社会の価値観や経済中心の考え方の中で形骸化されてきたことが今になって私たちに大きなツケとして回ってきているように思うことがたびたびです。経済第一優先の現代の日本社会において、不幸なことに家族や世間といったものから孤立をやむなくされた一部の若者たちにとっては、個人主義はいつでも自分中心の利己主義に変身してしまう危険性があるように思えてなりません。
この意味で、映画「寅さん」の中のさまざまな人情味あふれる世界、あれこそ私たち日本人の原風景だったのではないでしょうか。今さら時代の歯車を戻すことはできないとしても、未来に向けて日本人本来の家族の在り方を、私たち一人ひとりが日常生活のどこかで求める努力が求められているのではないでしょうか?私どもの寺院という存在も、それらのために何らかのお役に立たなければならないと今は思っています。
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2008年11月8日(土) |
「十夜法要」「五重相伝」各地で続く |
各地の浄土宗寺院では、秋の恒例の行事である「十夜法要」が始まっています。約500年前から続くこの伝統行事は、十日間に亘って阿弥陀仏への報恩・感謝のお念仏を称え、法要を勤めるのが本来なのですが、何かと忙しい現代にあっては、当山のように一日の法要をもって勤める寺院が多くなりました。
右の写真はどこかわかりますか?瀬戸内海に浮かぶ島(広島県内)なのですが、この地の浄土宗のお寺さまから先月十夜法要(午前・午後)でのお説教(説経)を依頼されました。その関係で島の玄関口とりっぱなご本堂を、写真に収めてまいりました。法話の中身はさておき、とても静かで風光明媚な環境が印象的でしたが、それ以上に法然上人のお念仏が今もしっかりと根づいていることに感激した次第です。
その一方で、かつては『ミカンと造船』で相当うるおっていたと思われるこの島にも、今日の経済不況や食生活の変化がそのまま反映している現況にいろいろと考えさせられた2日間でした。ところで、自坊「徳永寺」の十夜法要は、一昨日6日に多くの参拝者と共に勤め上げることができました。これで今年の大きな寺行事もつつがなく終えることができ、ホッと一息しているところです。
十夜法要と同じ頃に始まった浄土宗の伝統行事に『五重相伝』があります。5日ないし7日に亘って浄土宗信仰の核心にふれる道場なのですが、他の伝統仏教教団が羨むほどに長い年月を通して確立された行事です。約百名ほどの檀信徒が白装束をまとい、本堂で熱心に法話を聴聞しお念仏を称えるお姿は尊く感動的でもあります。最近の当山では昭和55年、平成2年、15年に厳修(ごんしゅう)しております。
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2008年10月6日(月) |
もう3ヶ月、まだ3ヶ月 |
平成20年も早いもので、残りあと3ヶ月となってまいりました。私の場合、この10月という月はいつもながら行事に追われ、とても大変忙しい月となっています。
ところで、“もう3ヶ月なのか、まだ3ヶ月なのか”は、本当にそれぞれ方のその時々の忙しさはもちろんの事、体調や心境次第なのでしょう。
私ごとで恐縮ですが、私は10月生まれですが、気が付いたら終わっていたというの最近の傾向です。もともと、私どもがまだ小さかった昭和30年代は誕生日ということで周囲からお祝いをしてもらうことなどあまり多くなく、何となく知らず知らずのうちにその日が過ぎていたものです。この意味では、今の子どもたちはとても羨ましいほどに大切に扱われているのではないでしょうか?まさに個性重視の時代そのものですね。
もちろん、時代がそのように変わったことはとても良いことに違いないのですが、皮肉なことに、一人ひとりとしては大事にされなかった分、昔の子どもたちの方が総じて打たれ強い所があったように思います。団塊世代の単なるノスタルジィーかも知れませんが・・・・・。
話変わって、わが伊賀の地もブドウ・ナシ・栗・柿・・・等々、皆さまの所もそうでしょうが、わが伊賀の地も秋の味覚に恵まれる時節に入っています。栗は、イガグリと呼ぶように、『伊賀』の地名の由来になったとも言われています。また、先日思ったのですが、最近甘い種類の梨が多く出回っている中で、久しぶりに出合った二十世紀ナシのみずみずしい酸味がとても懐かしかったでした。昔の味も決して捨てたものではありません。
今年もあと3ヶ月、やっぱり頑張りましょう!
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2008年9月19日(金) |
台風13号接近と共に秋彼岸を迎える |
今年の夏は、例年と違って天候不順が続きましたが、そんな中で「今年は台風が来ないなぁ」という声をよく耳にしましたが、本格的な台風は今回が初めてではないでしょうか。一昨年は強台風だったので、本堂正面の障子戸(計約20メートル幅)を5,6枚の大きなブルーシートでおおったのが思い出されます。今回の13号は雨こそ相当でしたが、九州上陸後は南方にそれたのでやれやれでした。
いよいよ明日、20日(土)から一週間、秋彼岸が始まります。17日あたりからぼつぼつと檀家さん方が回向(えこう)の申込みに見えられ、当寺周囲も少しずつ彼岸モード一色に変わりつつあります。昨日午前中は小雨降りしきる中、総代さんたちによって山門前の奉仕作業(草刈)が行われ、おかげ様で寺観全体、たいへん美しくなりました。
90年ぶりの「米騒動」でニュースがもちきりです。1918年に起きた米騒動の際、キーワードは「シベリア出兵、売り惜しみ、恐慌」でしたが、今回の米騒動はさしずめ、「事故米、不正転売、農林省」といったところではないでしょうか。値上がりという点では共通していますが、水や酒と共に日本人にとっては神聖であるべきはずの「米」がこのように扱われている点は大きな違いです。私なども、「米を大切に扱わなかったら目がつぶれる」と言われて育った世代ですから、この点は隔世の感がします。
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2008年8月31日(日) |
8月が終り、ようやく一息です。 |
お寺にとって(もちろん私にとっても)最も忙しい8月も今日で終りです。12月のことを昔から師走と言います。語源は、法師(ほっし、僧侶のこと)が寺の掃除などで走るほど忙しい月ということから付いたそうですが、この意味なら、やはり8月の方が師走だなぁと思ったりしています。そんな訳で今月の当コラムは休んでしまい申し訳ございませんでした。しかし、よく考えてみれば、歳を取って仕事が遅くなっただけなのかもしれません。人間は都合よく言い訳をするものですから、ハイ。
さて、写真上は8月5日当山の施餓鬼法要の頃満開に咲いた『「百日紅 さるすべり」です。昨年はほとんど咲かなかったのに今年はどういう訳か、満開でした。空洞になった幹にコンクリートを詰め込み雨風を防ぎ下から支え木をして何とか持ちこたえている老木ですのに、生き物の「生命力」って本当にすごいものです。
下は、24日の地蔵盆の日にお供えいただいた『蓮 はす』です。薄紅色をはじめ本当に美しく咲くこの花は、泥まみれの田や池の中でこそ育ち、その一方で花びらだけでなく葉や茎にも泥の汚れをいっさい付けていません。その事実こそが、お釈迦さまのみ教えのシンボルとしての特長を端的に表わしているのですよ・・・と地蔵盆の法話の際に今年もお話させていただきました。
サルスベリもハスも今はもう初秋で共に枯れてしまい跡形もありません。9月に入るとお寺はまた秋彼岸の準備に入りまた何かと大変ですが、まずはこの8月にたくさんの方々にお越しいただき、共にしっかりとお参りができたことを仏さまに感謝申し上げたいと存じます。
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2008年7月20日(日) |
朝参り会、盆前大そうじ終わる |
夏本番を迎えていますが、お変わりございませんか?ここ伊賀地方も連日、30度を超す暑さが続いています。しかし、寺院というのは有り難いことに、通風性があり都会のように周囲にエアコンの熱気もなく(その分、冬は寒いのですが)、特に朝夕は涼しい風が吹いているような状態で助かっています。
さて、先週の土曜日早朝6時過ぎから恒例の朝参り会を実施いたしました。ご本尊さまだけを照らしての別時念仏、それから私の拙い法話を約40分も聴いていただきました。写真上はその様子であり、有り難いことにお忙しい中、約50名の善男善女にお参りいただきました。何となく女性が多そうですが、男性も多く参加してくれました。そして、その後はみんなで楽しく(徳永寺自慢の?)朝がゆを頂き、散会となりました。この仏縁がそれぞれのまた新しい幸せにつながってもらえることを期待しています。
写真下は、昨日早朝に実施していただきました、年1回の当山華頂婦人会会員による総会後の大そうじの様子です。私ども寺族だけではとても手に負えない所まできれいにしていただき、おかげさまで見違えるほど本堂や境内が美しくなりました。所要時間は約1時間でしたが、私1人だったら約50時間に相当するお掃除をやっていただいた訳ですから、これまたとても有り難かったでした。これで今年もお施餓鬼やお盆を迎えられます。
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2008年7月2日(水) |
2008年も後半に入りました。 |
ガソリン高騰や残虐な事件に象徴されるように、世の中のムードは今一つですがそんな中、今年も昨日から下半期となりました。本当に月日の経つのは早いものです。歳を取れば取るほどそう実感します。
この半年間、わが徳永寺では@本堂下陣(げじん)の天井に写真のような大きな照明灯(正式には八葉天蓋、はちようてんがいと言う)を取り付け、また本堂の裏座敷を講師控え室として使用できるように改修いたしました。いずれも「永代祀堂施餓鬼基金」として寄進されたものを長年積み立てし、今回利用させていただいたものです。一方は檀信徒用に他方は講師さん等へ活用させていただけるものと思っております。またこの場を借りて、関係者各位に御礼申し上げる次第です。
さてこれからの半年間は、平成11年春に学校を退職して以後、総本山知恩院で私が運営の責任者を務めていた「サラナ親子教室」がおかげさまで開設10周年を迎えることになり、いくつかの記念行事の企画運営の仕事が待っています。この間、全国に10数ヶ所で教室(分校)が展開され、知恩院教室の会員も修了生を含めると約150組に達するなど、振り返れば私なりに充実できた年月だったように思います。(詳しくは知恩院のHPをご参照ください)こんなふうで今秋も忙しくなりそうで、下半期もなかなか個人的な時間が取れないようです。ハイ・・・
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2008年6月17日(火) |
「み仏の光」が当たらなくなった日本社会 |
前回は、「殺人列島」などというショッキングな言葉をあえて使いましたが、それから1週間後、またしてもおぞましい事件が東京・秋葉原で起きてしまいました。本当に日本社会は今狂っているのではないかと思わざを得ないほどの衝撃的な事件です。
「これって、いったい何なのでしょう?」とか「日本人って、どうなってしまったんでしょう?」
私の周囲でもそうですが、日本中のあちこちでこの種のやり取りがあったのではないでしょうか? 私自身は過熱した報道には辟易するタイプなので、この事件に関しての評論家諸氏の意見や犯人の成育過程などの報道にはほとんど興味・関心を持てませんでした。
たとえ一部の若者の犯行であるとしても、携帯などのバーチャルな(動画上の)画面だけしか信頼できず、自意識過剰な反面、人間としての情感が極度に欠落して孤立している彼らの様子を見るたびに、私たちの社会は(教育や宗教も含めて)これまで何をしてきたのだろうか?という自責の思いがします。
大層なことを言うつもりはございませんが、やはりこの百年の日本社会は科学の異常な発展・繁栄の一方で、科学が本質としている合理的な思考(そのためには数量化できることを前提とする)では扱いきれない「感情((情緒・情操)や判断力、人生観、欲望、怠惰、イマジネーション(想像力)など」といった人格形成上の多くの要素がさまざまな分野で軽視され続けられてきた反動が今になって現れているように思えてなりません。これまではたとえそのような傾向があっても、それらを地域や家庭がそのカバーをしてきたのでしょうが。もう支えきれなくなってきているというのが今の日本の現状なのではないでしょうか?
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2008年6月2日(月) |
「いのちの尊さ」のスローガンが、虚しく「殺人列島」に響いています。 |
いきなり、こんなテーマで情けないことですが、本当に今の日本は「殺人列島」という言葉が当てはまるような国になってしまいました。先日の東京・江東区の事件などでは、殺害した身体を切り刻んで下水道に流すなど、特殊な猟奇殺人はともかくとして、こんな事件は世界的にも類例が無いのではないでしょうか。いつに間に日本は、品格どころかこんなに程度の低い国になってしまったのでしょうか?
被害に合われた遺族の方々には誠に申し訳ないことですが、ここ数年の間に起こった同じような事件でさえ、記憶の彼方に遠ざかってしまっているほど殺人事件が頻発しています。そして、その度に学校やマスコミ等で声高に叫ばれる「いのちの尊さ」というスローガンさえもが今ではもうすっかり空洞化しているのが現状です。
昔から日本人は「いのちの尊さ」なんて言いませんでした。むしろ生きとし生ける命を連日数限りなく傷つけ合わなければ生きていけない自分たちを反省し、謙虚さを忘れず神仏に感謝する行為がふだんの暮らしの中で習慣化されていました。そして、その結果として個々の命を大切にしてきたように思われるのです。約500年前に来日したキリスト教の宣教師フランシスコ=ザビエルは、当時の日本人に各地で接し、彼らのもっていた心の豊かさや正直さに触れ、「とても貧しいながら、日本人のもつ美徳に驚きと尊敬の気持ちを持った」とローマ本国への手紙の中で報告しています。このような心情を一般に「宗教情操」と呼ぶのですが、殺人事件の被疑者の場合など、悲しいことにそれぞれの成育過程においてこのような感性を体験する場があまりにも少なかったと思わざるを得ません。
このような状況を憂慮して、一部の政治家やお役人がこの種の「宗教情操」を学校教育の現場でも培うべきと企図しているようですが、私はあまり効果がある事とは思えません。それと言うのも、このような情感は家庭の中でしか培えないものだからです。これから先何十年かかってでも、日本の家庭はこれまで祖先が営々とつなげてきたこれらの伝統をもう一度復活させなくてはならないと思うのですが、皆さま方はいかが思われますか?
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2008年5月17日(土) |
チェコ人親子の訪問を受けて |
去る13日(火)、当山に珍しく外国の方が親子で突然見えられました。チェコのご出身の方で、お母さんはかつて東京の国際キリスト教大学(ICU)で学び日本人男性と結婚された後、世界を駆け巡る仕事をされているご主人とは別所帯のまま、現在プラハで日本食レストランを開かれているそうです。
右の写真で、私の背後に立っている長身の青年は彼女の次男であり、半年前に来日し、現在は日本の寿司屋さんで見習い中とのこと。この背丈で例の高下駄を履いた姿はどんなに見えるのか想像が難しかったでした。
彼女には4人のお子さんがいるそうですが、日本語ができない二人の子ども(現在アメリカ在住)たちのことを考え年1回の家族としての話し合いは英語でやるそうです。この家族間のアイデンティ(心の中のある種の落ち着き)はいったいどうなっているのだろうか?いささか興味がありましたが、何の心配もないとのことでした。
彼女は日本語がペラペラで、しかも茶道や絵画などの日本文化にもこちらが舌を巻くほどの教養深い淑女でした。今回は、職人気質の理解に苦しむ息子さんの心労を心配されて来日したそうですから、子を思う母親の気持ちはどこの国も同じだなぁと改めて思いました。そして、日本的な師弟教育の特質について、お茶の傍ら、いっとき話の花が咲き、おかげさまでとても楽しい半日を体験できました。
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2008年5月2日(金) |
「今年はこんなに元気です。」 |
寺の駐車場付近の小ぶりのツツジが今年はとても色あざやかに咲いています。
隣のドウダンツツジも星くずのような白い花をそれなりにたくさん咲かせているのですが、赤い花たちの前には圧倒されるばかりです。私たち人間社会でもこれとよく似た光景に出合うこともあって、美しさの一方でどこか面白さを感じます。
下の写真を見ればお分かりのように、もう緑の葉っぱが見えないくらいの勢いなのです。あまり元気がなかったので昨年暮れにビールやお酒の残りを肥料にやったせいかも知れません。
でも、植物の研究家によれば、彼らはいかに虫たちをおびき寄せる(彼らに花粉を運んでもらう)ために、豊かな色を付ける努力をしているとのこと。これまた、私どもの身近にある話のようで面白いですね。実際、この日も花の奥深くにはちゃんと蜜蜂が活躍していました。
いずれにしても、去年は弱っていても年が変わればこんなに元気になれるというところに私たちも学べることが多いように思うのですが・・・。
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2008年4月17日(木) |
山笑う季節となりました。 |
今年の桜もいよいよ見納めです。
写真上は、本堂の裏山にひっそり咲き残っている桜であり、周囲の木々にはたくさんの新芽が育っています。下は当寺の東隣に位置する柘植小学校校庭の桜です。いずれも昨日・今日の春の雨と風で散ってしまうことでしょうが・・・。
それにしても、日本人社会ではどうして桜ばかりがこんなにモテモテなんでしょうか?他の木々たちがきっとうらやんでいることでしょう。待ち望む中に華々しく咲いてパッと散っていく姿が日本人特有の美学とどこかで重なっているようです。
先日総代さんにモミジが多い寺山の斜面に5,6本の桜を新しく植えていただきました。大きくなって花を咲かす時期が今から楽しみです。
最近ヒットしている、竹内まりやさんの「人生の扉」という素敵な曲の歌詞に『満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう・・・・・』とありました。この歌そのものは決して感傷的な気分に浸ることなく、その後半はいくつになっても人生の展開を楽しむ内容になっているのですが、この種の心境の一端をを共感できる年頃に私もなってまいりました。
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2008年4月3日(木) |
法然上人御廟が新しく現代によみがえる |
あちらこちらの主要都市で桜の開花が聞かれるこの頃ですが、私どもの柘植ではまだ梅の花の満開を楽しんでいる状態です。
さて、去る3月31日に総本山知恩院では法然上人御廟(ごびょう)の修復落慶記念法要が盛大に行われました。総本山知恩院では来る平成23年の法然上人八百年大遠忌に向けて着々と諸堂の修理に取り組んでいるのですが、今回は1年がかりで修理を行っていた御廟(法然上人のお墓)が新しくよみがえったことを記念しての(写真下)法要でした。
私自身、ここ10年近く非常勤ながら知恩院のサラナ親子教室という部門ご奉仕させていただいているのですが、その関係者(稚児行列を行う)だけでも約200名ほどの方々のご参加が得るなど大変な賑わいでした。これから3年後の大遠忌に向けて総本山が一層発展してもらえること、そして、約八百年前の日本仏教にコペルニクス的大転回をもたらしてくれた法然上人の教えが一層広まることを願うばかりです。
なお、檀信徒の皆様には大遠忌のために多大なご芳志を賜ったことをこの場を借りて改めて御礼申し上げます。全国の檀信徒によるご寄進があって今回の修復等もできている訳でございます。
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2008年3月16日(日) |
いよいよ春が始まります。 |
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、ようやく温かくなってまいりました。水温む季節です。写真上の光景のように、今年の冬は本当に寒かったでしたね。
そして、いよいよ明日から春彼岸が始まります。今日はその準備で大変でした。今どき、7日間も彼岸のお勤めをしている寺も珍しいようですが、これも長年檀家さんに支えられてやってこられた伝統です。悪しき伝統は改革しなければなりませんが、良き伝統はいつまでも守りたいものです。
写真下の松にご注目ください。本年最初(1月3日)のページには、この場所にあったアカマツが立派なテーブルに変身したことを綴りましたが、今度はその同じ所にこれまで境内の片隅にあったクロマツを総代さん達によって去る12日に移植していただきました。鐘楼堂の隣にあった黒松なのですが、これでいよいよふさわしい場所に移って来たとも言えます。葉振りがとても立派であり、先の老赤松は寄る年波を思って、自ら席を彼に譲ったのかも知れませんね。
PS 「徳永寺HP」をご覧いただいている皆さんへ
こんなありきたりの内容で申し訳ないといつも思っているのですが、寺院を預かる者の責務としてもうしばらく続けさせていただくつもりです。恥ずかしい気持ちの一方で改めて感謝申し上げます。
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2008年3月3日(月) |
仏の心ー四無量心ー |
早いものでもう新年も三月となり、今日は「おひなさん」です。例によって私も夕飯にちらし寿司をいただきました。(少々のお酒と共に・・・・・・)
さて、大乗仏教の根幹となっている教えに「慈・悲・喜・捨」を説く四無量心があります。これはその結果としては「広き心」ということにつながるのでしょうが、私どものような凡夫(平凡な人間)にはその実行がとても難しいことなのです。例えば昨年賑わした「偽」という漢字に象徴されるようなさまざまな事件のほとんどは、これとは反対に事業者一人ひとりの「狭き心」に起因しているとも言えるのではないでしょうか。
「慈」とは、人さまに楽しみを与える心。楽しみとは物質的なものに限らず、ちょっとした 微笑でさえも含まれるほどに実に広範囲でもあります。これを「与楽」とも言います。
「悲」とは、人さまの苦しみを和らげてあげる心。例えば、病気で苦しんでいる人々に「大丈夫だよ」と優しいことばをかけてあげることなどが当てはまります。「抜苦」とも言います。
「喜」とは、人さまの幸せを喜び合う心。これが意外と難しく、日頃の私どもの心はこれと反対 の「ねたみ心」に支配されることが多いのではないでしょうか。
「捨」とは、好き嫌いによって差別しないことであります。 参考文献(岩波;仏教辞典)
いかがでしょうか?どれもこれも簡単なようで難しく、難しいようで何とかやれそうにも思えませんか?我利我利のせちがない話題が絶えない昨今ですが、少しでもご自身の心をこの「四無量心」に自分を近づけてみようではありませんか?もちろん、そう言う私自身も含めてですが・・・。たとえ一瞬ではあっても、いつの間にか「広き心」になっているかも知れませんよ。
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2008年2月21日(木) |
涅槃会(ネハンエ)を終えて |
春とは名ばかりという言葉そのもの、いつもとは少し感じの違う当地の2月中旬でした。
そして、本日は5日遅れの当山「涅槃会」を寿楽会主催の「物故者法要」と共に開催いたしましたところ、たくさんの檀信徒の方々が参拝に来られ、先月下旬の毘沙門天(ビシャモンテン)初寅祭の時と同様に賑わいました。当寺では、約140年前の慶応2年作製の涅槃図を本堂に掲げ、お釈迦様の最後をみんなで偲びます。
今から約2500年前、インドのクシナガラの地で80歳でこの世の命を全うし大いなる悟りの世界に入られたお釈迦様、満月の夜、その周囲には入滅を悲しむ仏弟子や菩薩・諸王・信者それに多くの動物までもが集まり、最後の別れを惜しんでいます。そして天上からは母上のマーヤ夫人がその情景を眺めています。また、沙羅双樹の木々は悲しみで葉が白色に変わっています。
中央に北向きに横たわるお釈迦さまは金色に輝き、そのお顔は安らかに微笑んでいるようにも見えます。厳粛な中にもどこか微笑ましささえ感じる光景だといつもこの絵図に接するたびに思います。当日、涅槃会法要の後半はお釈迦様の説法の一つである「四無量心」について、現代社会の様相と」比較してお話したのですが、それについては次回に一部を報告します。
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2008年2月3日(日) |
白一色で始まった今年の節分 |
節分の朝、柘植周辺はあたり一面雪景色でした。日ごろあまり掃除が行き届いていない境内もこの日ばかりは美しく見えます。そのうち、今日は日曜日なので法事のお参りがあることに気づき、さっそく参道や境内の雪掻きを始めました。数年前、もっと大雪だった時はこれがきっかけでしばらく腰を痛めたものです。それで今回は無理をせず充分余裕を保ちながらの作業に徹したのでした。
節分とは、本来年4回あるそうで、24節気のうちの立春・立夏・立秋・立冬の前日がそれに当たるとのこと。つまり2月4日立春前の節分ばかりが有名になったようですね。
この日、鬼を豆で払うと、いよいよ春を迎えることになります。ある人から聞いた話ですが、鬼が一番嫌う色は白なのだそうですから、今年の節分は当地では「鬼払い」に打って付けの日和だったようです。2月20日(水)当山では本日より5日遅れてお釈迦さまの入滅を記して「涅槃会」(ねはんえ)を開催します。本堂には幕末以来の涅槃図を掲げます。そして、法要・法話を通じて偉大なお釈迦さまを偲ぶことになっています。
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2008年1月17日(木) |
あれから早13年が・・・・・ |
昨日、今日と新聞やテレビのトップニュースはやはり阪神大震災関連です。
あの日の前日、つまり1995年の1月16日午後、私は神戸市内のホテルで行われた教員時代の教え子の結婚式披露宴にスピーチを頼まれ出席していました。その後、もしそのまま神戸市内に宿泊していたら間違いなく大変な事態に巻き込まれていたはずです。
翌朝、家で強く長い揺れを感じ起きましたが、震源地から遠い伊賀のこと、大した被害も受けませんでした。しかし、昼前後から伝わる崩壊や火災のニュースにはただ唖然とするばかりで、その後になって新婚の二人が無事だとわかりホッとしましたが、新郎の淡路島の実家は大きな被害を受けていました。
そのうち、東灘区にある親戚の寺院がどうなっているか気になり始めました。こちらは庫裏(住居のこと)が全壊で2階に寝ていた寺族は天井ごと1階に落ちましたが命には別状ありませんでした。2週間後、リュックにミネラルウオーターを何本も詰め込んで見舞いに訪ねたところ、鉄骨造りのため無事であった本堂は家を失った被災者でいっぱいでした。
仏教の考え方の基底にある「無常」というものは、地球や私自身を含め、命あるものに分け隔てなく一貫して流れているものと、頭ではわかっているつもりでもその場になると面食らうばかりです。これをこそ煩悩というのでしょうが・・・・・。あれから13年、被災者であった若者たちが力強く生きようとなされている姿に(もちろん、そうでない方もまだいらっしゃるのでしょうが)接するたびに、逆にこちらの方が元気づけられることがあります。
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2008年1月3日(木) |
赤松が生まれ変わりました。 |
新年明けまして おめでとうございます!
2008年が始まりました。昭和から平成という年号に代わって早20年かと思うとお互い感慨深いものがありますね。日頃はお忙しい中、田舎和尚のつぶやきのページを開けていただきありがとうございます。
さて、昨年の本日「年始初め」のページに報告いたしました長年当寺の庫裏(くり)玄関前にあった「赤松」がこんなに立派な長テーブルとなって甦りました。お檀家のMさんのご厚意で和歌山県新宮市の家具メーカーさんのお世話になっていたのですが、この暮れに完成し搬入していただきました。外台所用の調理台として製作してもらいましたが、実際に眺めて見ると室内用に使うべきか・・・と迷うくらいにすばらしい出来栄えです。これで昨年のアカマツの無念さもすっかり晴れ、幾久しく当寺の什物(じゅうもつ)として活躍してくれることでしょう。
人間もこんなふうに生まれ変われるとよいのですが、そのためには「しっかりまともに生きる」ための相当な努力が必要なのでしょうね。「偽」に明け暮れた昨年でしたが、今年こそ時代が甦ってほしいです。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
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