2007年12月5日(水) |
師走に入り・・・ |
いよいよ最終月の12月が始まって早数日が経ちました。年末近くになると、京都の古刹清水寺さんでは、恒例のイベント「この一年を象徴する漢字一字」が貫主さんによって背丈ほどもある巨大な筆で書かれ、全国的な話題になります。これは日本漢字検定協会が主催する行事で全国各地からの応募数によって選んでいるようですが、確か昨年は「命」一昨年は「愛」だったかと思います。
さて、今年は何という漢字がふさわしいでしょうか?今年の場合、やはり「偽」とか、「嘘」という字を選ぶ方が多いのではないでしょうか?実際,例の姉歯マンション偽装事件に始まりそれ以降今の自衛隊問題に至るまで、とにかくこれらの漢字が話題に事欠くことのなかった一年だったように思います。 (閑話休題)
「偽」に関わって、『賞味期限』などという言葉なども流行りましたが、これなど各食品に本当に必要な事なのかどうか今もって疑問に思っています。食品の期限などは本来人間一人ひとりの嗅覚や味覚によって判断すれば済むことであって、その意味で期限など各人まちまちであって当然かと思うのですが・・・。(人間の五感が衰えるはずです。)
先日のこと、JR京都駅のホームの売店で午後9時になって、お客さんの目の前で店員の方がたくさんのパンやサンドウィッチを一斉にゴミ箱に捨て始める光景を目の当たりにしましたが、何とももったいないと言うか、やりきれない気分がしました。これだけ食料や燃料の不足が地球規模で叫ばれている折、矛盾を感じない方がおかしいと思います。こんなくらいなら、売れ残った商品をいったん冷凍化して再び作り直し再販した伊勢の赤福さんの方がよっぽどましなように私には思えるのですが、皆さんはいかがお思いですか?ただし、日付の改ざん等はやはり許されないことなので堂々と『解凍食品』と銘打って販売すべきでしょうが。(それで売れる売れないはともかくとして・・・)
などと思ったりしたのですが、先日の新聞で、赤福さんが「もう冷凍はしない」と宣言したことを知りました。 残念でありもったいないことです。(三重県民そしてこれまで『解凍赤福もち』をおいしく頂いていた一人としては・・・)
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2007年11月23日(金) |
信州善光寺大本願に団体参拝して |
今週の19日(月)〜20日(火)に総勢43名にて信州善光寺様をお参りして来ました。去る6月20日の鷹司誓玉大本願尼宮上人による当寺ご巡錫の返礼を兼ねてのことでした。
前日からの寒気団の到来で雪混じりの悪天候が予想されましたが、幸いなことに両日とも初冬の好天に恵まれ有意義な参拝旅行となりました。初日は松代市の象山山麓の巨大な防空壕跡を見学し、戦争末期当時の日本の悲惨な状況を改めて追体験しました。
2日めの善光寺参拝では、午前中いっぱいをかけて、法要やご法話、お数珠頂戴の儀式や本堂の戒壇めぐりなど盛り沢山の行事を通して参加者一同大いに感激した次第です。
善光寺では、当寺は全国善光寺会の一員「柘植善光寺」として登録されているのですが、明治25年当時、伊賀の地から中仙道を徒歩にて善光寺の「一光三尊阿弥陀如来」の御分身を頂きに上がった、総代各位の熱意に改めて参加者一同感謝できた旅行となりました。
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2007年10月31日(水) |
仏像修理の現場を体験 |
数日前のこと、大津市内石山寺付近にある文化財修理所を訪問いたしました。実は前々から当寺の阿弥陀如来像の製作時期や様式の特色を知りたいと希望していたのですが、ちょうど京都市内でのある方々のお出会いをご縁としてそのご紹介で今回の実現となりました。
私自身はいわゆるお宝などというこだわりにはあまり興味ない方で、ただ毎朝お参りしているうちの阿弥陀さんの略歴や様式を確かめたいという願いからお訪ねしたのですが、今回はそれら以外にもいろいろと学ぶことができ、とても大きな収穫でした。仏門に属しているので、正直言って門外漢とは言えない立場なのですが、それに近いくらいこの分野での知識に乏しい私としましては、約1時間にわたった所長T先生のご説明は大変参考になりました。そしてその合間に、工房内に横たわる仏さまたちの静かなお姿に接し、今更ながらここは仏さまたちの病院だったんだなぁと思った次第です。そういえばこちらにお勤めの若い職員の皆さんもどことなく内科や外科の先生方たちに見えてくるのが不思議でした。個人情報の関係で今はそれらの様子を写真でご紹介できないのが残念です。
今朝の新聞には、「京都・山城地方、蟹満寺の1300年も経過する国宝"釈迦如来像”がいよいよ修理に!」と報道がありました。数百年、千年におよぶわが国の文化財がこういう方々に支えられてこそ私ども庶民の信仰の対象として長く続いてきたということを考えると本当に感慨深いものがあります。そして、日本文化がどんどんアメリカナイズされつつある今日、もう一度私どもの日本文化の伝統にしっかりとした誇りを持つべきだと今更ながら思った一日でした。
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2007年10月22日(月) |
第8回全国善光寺サミットに参加して |
先週の月〜火曜日、長野市の信州善光寺にて、善光寺如来をおまつりしている全国の寺院が一同に会しての「善光寺サミット」が開催されましたので私も約10年ぶりに参加してまいりました。
特に今回は、去る6月に鷹司誓玉台下のご巡錫いただいた御礼と来月20日(火)の当寺檀家による「大本願」団体参拝のお願いという目的もあり、慌しい日程の中にも充実した2日間でした。
1日めは、半田孝淳天台座主による「平和を語る」講演と、善光寺東海別院若奥様の林麻子氏による「絵解きー善光寺如来絵伝ー」を拝聴しましたが、いずれも聴きごたえのある内容ですごいなぁと感心した次第です。特に絵解きについては、私自身かねてより一度聴きたいと思っておりましたので、これだけでもサミットに参加した大きな収穫でした。なお、写真下は現在改修中の三門であり、明春に落慶式を行うとのことでした。
全国善光寺会のすばらしいところは、さまざまな宗派の寺院が集まって会を盛り立てているところですが、これからの日本仏教の進むべき方向を指し示しているようにも思えました。以上、報告まで。
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2007年10月3日(水) |
今年もあと3ヶ月 |
残暑の中で始まったこの秋ですが、10月という声を聞くと今年もいよいよ第4コーナーを回った感がします。と言っても何やかやで慌しい毎日です。
一昨日のこと、たまたまテレビで国会中継を流しており、新しい総理大臣の「所信表明演説」というのを見ていたら途中で寝てしまいました。よく国会議員が本会議中に居眠りしている場面が報じられていますが、あの調子なら無理もないことだなぁとつくづく思いました。
(閑話休題)
10月に入ると、テレビ番組などもこの時期を待っていたかのようにいろいろと編成替えをしています。もっとも、最近のテレビは食べるか笑うかなどのバラエティー番組や刑事ものなどばかりが中心のようです。歳を取ったせいか、スポーツの実況中継など以外あまり観たいという気持ちが起こらないのですが、皆さんはいかがでしょうか。
代わるといえば、私ども浄土宗のご門主(もんす)も新しく代わられました。今月11日(木)に総本山知恩院で晋山式が行われます。新しいご門主は、京都市内在住の坪井俊映上人で元仏教大学教授であり、仏教学ことに浄土宗学の大家であられる方です。御年92歳というご高齢ですが、かくしゃくとご講義なさるお姿はとても尊く、もうそれだけで頭が下がります。
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2007年9月15日(土) |
秋彼岸が近づいて |
先日は月(周回)衛星「かぐや」が打ち上げられ、無事成功したようです。阿部首相の体調不良による突然の辞任により国内全体に何となく沈みがちなムードが漂う中、(最終的な成果はわかりませんが)久しぶりに明るいニュースと言えるのではないでしょうか。
新聞によれば、1970年代にアメリカが打ち上げたアポロ以来の本格的な月探査だそうです。当時、高校を出たばかりの私などは、月面に降り立った飛行士の様子をテレビで見て感激したことを思い出します。1972年の「大坂万博」と言い、どうもあのあたりから私たち日本人の様子がどことなくおかしくなってきたのではないだろうかと、あれから30数年を経過したこの頃になって思うことが多いです。
話は変わりますが、かつて夜にネオンや街灯などが無かった時代、月の光(月影)は人々の暮らしに大きな存在でした。と同時に、月の明かりは人々にさまざまな想像力を呼び起こしたようです。また、まぶしい太陽光と違って、月の光を私たちは正視することができることで、その明かりを通して自分を内省したり、月影をみ仏の智慧や慈悲のシンボルとして先人たちは特別にあつかっていたようです。
現在、浄土宗宗歌になっている「月影」という歌は、法然上人の作られた短歌にメロディを付けたものです。そこでは、お念仏を称えることにより、私どもの心が仏さまの願い(本願)によって変えられていく確かさをを見事に伝えてくれています。
「月かげの至らぬ里はなけれども ながむる人の心にぞ住む」
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2007年9月3日(月) |
信じるということの難しさ |
猛暑の夏が終わりに近づき、寺の周囲にも少しは涼しさが感じられるようになりました。
先日、人ごみの中で時間待ちをしていたら、年配の男性2人の会話が聞こえてきました。一方の男性が「俺は死ぬまでがすべて、死んだ後のことなんてどうでもいい!・・・」というようなことを大声で話していました。もちろん詳しいご事情などわかりませんし、そうだろうなぁと察する気持ちもあるのですが、何となく聞いていて一抹の寂しさを感じました。またひょっとしてこの方は、死後どころか今の世の中にも信じられない気持ちでいっぱいなのではないかとも思いました。
また、もしこういう考えの方ばかりで日本中があふれかえったら、この先世の中はどうなるんだろうか?などと愚にも付かないことをその時ふと思いました。
実際、世の中というのは何やかや言いながらも、結局はお互い(自分で確信できないことを)共々に信じ合いながら暮らしているのではないでしょうか。例えて言えば、自分が今乗っている電車や飛行機は安全だと信じ、ピストルを持った警察官はまさか自分を撃たないだろうとこれまた信じているのです。その他賞味期限や材質表示などの企業活動を始め、親子や夫婦の関係などもう数え上げたら切りがないほどのことをそれぞれがそれぞれなりに信じ合うことでこの社会は成り立っているのではないでしょうか。
極端な話だと思われるかもしれませんが、私自身は信じるに値することの基準として、やはりそれが長年の風雪に耐え抜いて続いているかどうかで判断することが一番確かだと思っています。一例を上げれば、お釈迦さまの教えがそうだと思います。「至らない人間性をもった私たちを、そのままで必ず救い取ってやろう」という阿弥陀仏のご本願やそれに伴う「南無阿弥陀仏」のお名号などはインドに始まり、もうかれこれ2,500年もの間、人々に信じられ続いてきました。『だからこれほど確かなものはないのでは・・・』とお寺にお参りされる方々にお勧めしています。
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2007年8月16日(木) |
お盆あれこれ |
先日、意外と猛暑でないなどとのん気なことを言っていましたが、今日一番のビッグニュースは国内最高気温の74年ぶりの記録更新でした。やや高地にあるここ柘植あたりは33℃ぐらいだったかと思いますが、岐阜県の多治見市や埼玉県の熊谷市では40・9℃だったそうですから、当地の方々にとってはもう大変なことだったと思います。
話題変わって、今晩は「京都五山の送り火」つまり大文字等の山焼きのようすがテレビで実況中継されていました。この荘重で奥ゆかしい伝統行事がそれぞれの山すそにある地元の方々の篤い信仰心によって守られてきていることがよくわかりました。実際お盆行事に火は付き物ですが、先祖供養をベースに成り立っている私たち日本人の宗教観の原点がこのあたりにあるように改めて思いました。
私たちの柘植では、14日の夜に各家の門口で送り火をするしきたりが今も続いています。大文字ほどの観光性こそありませんが、何となく幻想的な光景でもあります。写真でご紹介できないのが残念です。それぞれのご家族にとっては先祖とのつながりを確かめ合うこれまた厳粛な行事だと思います。実は、昨夜たまたま通りを車で送迎されることがあってその際につくづくそう思った次第です。こういう行事をできる幸せをできる限り大切にしたいものです。
ところで、当山のお盆行事はこれで終わりではなく、24日の「地蔵盆」もって〆とします。そして、いよいよ今年ももう残り4ヶ月しかないことをお互いが実感します。
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2007年8月2日(木) |
柘植は、施餓鬼(せがき)のシーズンに入りました。 |
本日2日の万寿寺さん(山出区)を皮切りに、柘植地内の各寺院で「お施餓鬼法要」が始まります。ご先祖のために追善供養を行う伝統的な仏教行事です。このあたりでは、この日はお盆と同じく檀家の皆さんが帰省されたり仕事を休んで施餓鬼法要に参加され、境内各所で和やかな懇談の花が咲くなど、1年で最もお寺が賑わう日でもあります。ちなみに当山は毎年8月5日が開催日です。当日は朝5時過ぎに準備に入り台所などはお手伝いの人を含め7〜8人体制で行うのですが、すべてが終了する夜10時近くになると、もうみんなヘトヘトです。今年は日曜日であり、特に参拝者が多いように思います。どうか、良いお天気でありますように!
天気といえば、昔からこの施餓鬼時分になると猛暑になったものですが、今年などはそれほどでもありません。その代わりに夏台風がしきりに接近するなど、やはり生態系への影響などで地球環境が少しずつ変わりつつあるからなのでしょうか?接近すると言えば、今年もすでにいくつかの海水浴場にサメが現れているとのこと。これまた困ったものです。
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2007年7月17日(火) |
朝参り会、山の出合い、いずれもおかげさまの一言です。・・・・・ |
去る14日(土)早朝6時より当山で初めて行った朝参り会ですが、大したPRもしなかったのに、意外にも約50名もの参詣者があり驚きました。一堂に会してのお念仏、そして法然上人の「一紙小消息」についての私のつたない法話と約1時間余り、その後、手作りの朝がゆを食していただき散会。 お接待には知り合いのK嬢にも手伝ってもらい、主催者として大変でしたが何とかできました。二人の小学生を始め、参加された方々のご満足そうな様子がとても印象に残りました。とは言うものの、一番お喜びになられたのはやはり阿弥陀さまに違いありません。また、やってみたいという意欲が少し出てきました。
右の写真は何の変哲もない田舎風景ですが、昨日の山の出合い後(檀家の皆さんに行ってもらう山掃除のこと)にすっかり掃除されて美しくなった当寺の裏山の様子です。掃除前の写真と比べると雲泥の差が明らかなのですが、それは皆さまのご想像にお任せします。おかげさまでこれで、施餓鬼(8月5日)、お盆という夏バージョンの諸準備に当山も一気にスタートです。
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2007年7月1日(日) |
信州善光寺 鷹司台下ご巡錫終わる |
今年に入って、当山の最大行事でもあった信州善光寺大本願第121世尼宮上人のご巡錫(じゅんしゃく)を6月20日にがつつがなく終えることができ今はホッとしております。そして、今日からはもう7月です。
当日は、梅雨の中休みというか好天気の下、台下一行をお迎えすることができました。何といっても当山(柘植善光寺)へは明治27年以来、113年ぶりの尼宮上人のお越しであり、今年は年明けからこの日のための諸準備で何かと大変でした。また約160名の参詣者があり、総代さんやお手伝いの皆さん(計、約20名)方が成功に向け、和気藹々とした中にも、最大限努めておられたことが住職としてとても嬉しかったです。
詳しい様子は、当HP行事予定の欄の「法然上人八百年大遠忌記念法要」の所に写真でご報告してありますのでよろしければ一度開いてみてください。御年(女性には失礼かと思いますが)75歳だと伺っておりましたが、鷹司台下の清楚なお姿と優しくりりしいお声に法要の間、間近に接することができて感激の連続でした。お檀家の皆さんにとっても、当山住職としても約1世紀ぶりの巡り合わせということになり、良い思い出を作ることができました。昔から仏教の世界ではこういう有り難い巡り合わせの事を「勝縁」と呼ぶそうです。
そして、檀家の皆さんのとても晴れ晴れしい満足しきった様子を拝見し、大変だったけれど、やはりこの行事を企画させていただいてよかったとつくづく思いました。やはり、お寺というのは、人々が集まって・・・・・・・という点が大事なのでしょうね。次は、当山で初めて今月14日(土)朝6時に行う、「朝参り会」のイベント準備です。「お念仏と法話」を中心とした約1時間程度の催しにするつもりですが、だれでも自由に参加できることとし、終了後に朝がゆのご接待をさせていただく予定です。
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2007年6月16日(土) |
浄土宗宗祖 法然上人を仰いで |
今回は、お念仏(南無阿弥陀仏とお称えすることで、仏さまのお力で救われることを保証される仏教修行の一方法)の元祖、法然上人というお方について、少しばかりご紹介をさせていただきます。
「日本仏教は、法然に始まり法然に尽きる」と仰られる、さる高名な哲学者の方もおられますが、それほどまでに法然上人によって、仏教は私たちのような平均的な日本人にも身近なレベルに引き寄せられました。これにより日本仏教は180度転回しますが、この意味で、ヨーロッパ近代のルターに匹敵するほどに巨大な宗教改革者がわが国では法然上人であるという点は誰しも認めるところかと思います。
上人は美作の国(今の岡山県)の横領使(同、警察署長)の家に生まれ、わずか9歳にして父親を夜討ちで殺されてしまうのですが、「仇討ちを絶対に求めてはならない。その代わりに出家して私を弔え!」という父の遺言を守り修行の末、43歳の春、それまで5回も繰り返し読まれた約5千巻もの経典(シャカの教えで一切経ともいう)の中から、ついに本願念仏の『ひとすじの道』を発見されました。当時、天台宗の僧侶としての栄達も十分に保証されていた俊才法然上人があえて長期間にわたりこのような道を模索されたのは、すべての私たち民衆が仏さまに等しく救われることの実現のためにありました。
その法然上人の周りにようやく人々が集まり、お念仏の輪が広がっていった場所が、京都市東山区の現在の総本山知恩院の場所ですが、それは今から約八百年前、上人が60歳近くになってからのことでした。ちなみにこの写真に見られる知恩院の巨大な伽藍(いずれも国宝)がこの地に整備されたのは江戸時代に入ってからのことです。
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2007年6月3日(日) |
春が佳境に入っています |
もうすぐ善光寺尼宮上人をお迎えするということでその準備に当山の中も慌しくなってまいりました。しかし、何と言っても周囲の穏やかな春の景色が心を和ませてくれます。
裏庭の主役はサツキですが、今年もいよいよ開花の時期を迎えようとしています。かなり以前に明治時代の頃の庭の写真を見たことがありますが、当時すでにこれらのサツキが大きく写っているのに驚いたものです。したがって、彼らにとっても今回の善光寺尼宮上人とのお出会いは1世紀ぶりなのです。かつては脚立を使って刈っておりましたが、約20年ほど前に思い切って小ぶりに枝を切ってもらったことで剪定がたいへんやり易くなりました。
写真下は、収穫を待つばかりの麦畑と田植えを済ませたばかりの水田のコントラストが絶妙に感じたので撮ってまいりました。近年、近くの町に本格的なパン工房ができ「原材料ー地元産麦」をキャッチフレーズに売り出しているせいか、私どもの周囲でも麦畑が少しずつ増えてまいりました。もっとも、米の消費が減り、減反をやむなくされている背景もあるのでしょうが・・・。しかし、江戸時代の記録等を見ると近畿一帯で麦畑(うどんや味噌・しょうゆ造りなどに利用か?)が一面に広がっていたようですから、春景色という点では昔に戻っているのかも知れません。そう言えば、この時期の俳句の季語に、「春の麦」というのがあると知りました。
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2007年5月23日(水) |
信州善光寺大本願法主 当山ご巡教近づく |
来月20日(水)当山では、「法然上人八百年大遠忌お待ち受け法要」と題して、善光寺大本願の鷹司誓玉台下をお迎えして、檀信徒の皆さま方のお力添えにより、記念法要を開催する運びとなりました。
当山の善光寺堂は、「信州善光寺の一光三尊仏の御分身」を明治25年4月、時の住職法誉上人の代にお迎えしたことに始まります。ついで同27年11月信州善光寺から尼宮上人をお迎えして盛大な開眼法要が厳修されたと寺伝にありますから、今回のご巡教は当山にとって約1世紀ぶりの記念すべきイベントかと存じます。
特に今回は浄土宗宗務庁の開催依頼もあって実現したのですが、本日まであと1ヶ月を切り、お掃除やら会議やら、今はその準備等でバタバタの毎日です。勝縁とでも申しましょうか、とても光栄に感じると共に何とか無事に勤められるように精一杯努力したいと思っています。なお、当日は午前10〜11時が法要の時間帯となりますので、どうぞふるってご参詣ください。
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2007年5月1日(火) |
佐和隆光著「この国の未来へ」ー持続可能で豊かな社会ーを読んで 「ちくま新書」 |
新聞等で接する著者の論説には日頃、感心させられることが多いのですが、一般読者向きに「地球環境問題」を扱った新書が出たので、数日間の電車の中で読んでみました。
戦後半世紀ひたすら「追いつき追い越せ」の時代が過ぎ、バブルを経て、一面の豊かさの中に今多くの日本人が目標を見失いかけていますが、そもそも「ポスト工業化社会」に入った21世紀の多くの先進国に明確な理想像(ユートピア)などというものが成り立たないのだと著者は明快に説いてくれます。そして、これまであまりにも経済的な尺度のみでイメージしていた「豊かさ」についての再考をも私たちに求めていました。
結局のところ、著者によれば、「豊かさとは、「幸福」を実感することであり、その源泉には「参加」の意識やコミットメント(使命感)、シンパシー(他人への思いやり)が必要であり、これらを軸とした多次元空間内の最適点を、人それぞれが自らの「選好」に応じて見出す『豊かさ探し』が大切」なのだということらしいです。この点とても共感しました。
そして、氏が力説する「地球温暖化の防止」については、環境税の導入や肉食偏重の食習慣の軌道修正、石炭をはじめとする化石燃料との決別などは、今や国境を越えて取り組まなくてはならないほどに人類にとって緊急の課題であると訴えていました。そして具体的な提言としては、世界に先駆けて低燃費車ハイブリッドカーの開発に成功したトヨタが世界最大の自動車メーカーになり得たように、これらの課題解決に努力できた企業や国こそが時代に生き残ることができ、優位に立つことができるのだそうです。いやぁーいろいろと勉強になること、大でした。
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2007年4月15日(日) |
久々の強地震に驚きました |
後で知ったのですが、昼過ぎの0時19分だったとのことです。本日2つめの法事がその頃終わり、ちょうど本堂の後片付け(ロウソクの火消しなど)をしていた時でした。大きな音が鳴り始めたと感じた直後、時間にしてわずかのことでしたが、最近あまり体験していないくらいに強いタテの揺さぶりに襲われました。
本堂内で激しい揺れを身体全体に感じながら、「今度ばかりはやばいなぁ」と正直その時思いました。そして、庫裏(くり)へ急いで戻り、寺族共々外へ避難しかけた時、揺れが治まってくれた次第です。その後、寺の周囲を見回ったところ、墓地の石碑群も含めおかげさまで無事を確認できホッとしました。
震源地が約20キロ東方の亀山市と近かったので当然かもしれませんが(震度5強)、やはり地震は怖いものですね。また、「人生には、上り坂・下り坂とまさかの坂の3つの坂がある」と昔から言うそうですが、本当にそうだなぁと思いました。先日の能登の地震や阪神・淡路大震災ほどではなくても、やはり今平穏無事に生きていることの方が不思議なのだと(その時ばかりは)つくづく思いました。
このHPをご覧になっておられる遠方のお檀家の方々がいらっしゃれば、ご心配かと思いますので、伊賀地方については概ね無事であったことをご報告申し上げます。
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2007年4月1日(日) |
当山周辺の桜はただ今一分咲き |
今日の関東地方はあちこちで真夏日だったそうです。その一方、今朝の寺の本堂での法事では、計3台のストーブを焚いていました。「格差社会」という言葉が大流行の昨今ですが、温暖化とは言え、気温についてもこの日本列島内に相当な格差があるようです。
そんな訳で桜の開花についても、寺の周囲を散歩がてら確かめてみたのですが、まだ若いつぼみを閉じている枝先のほうが多かったでした。せっかくの写真日でしたが、一分・二分咲きといったところなので、残念だけど写真の方はあきらめました。
4月1日と言えば、一昔前までは「エイプリルフール」という言葉遊びが流行ったものです。しかし、最近はあまり話題になりません。それと言うのも、社会的地位のある人が平気でウソをついたり、信じられないような事件が次々と起こる中で、冗談のつもりで大ウソを言っても本当に信じられてしまう危険性が高くなってしまったからではないのかなぁ・・・と一人勝手に思ったりしています。『遊び心』のないことはとても残念なことですが。
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2007年3月23日(金) |
春彼岸を終えて |
前回、このコラムで春先の暖かさを予想したところ、物の見事に外れてしまいました。例の「お水取り」の頃より季節外れの寒波が訪れ、本当に肌寒い中での春彼岸でした。
18日から始まったお彼岸もいよいよ本日をもって終了となります。私どもの寺では、 中日の前日(20)、中日(21)の2日間が最もお参りも多く賑わいますが、私自身は毎朝の「常回向」(じょうえこう)を7日間に亘り、当山の善光寺堂で勤めることになっています。 明治25年4月に信州善光寺様より一光三尊仏の御分身をお迎えして以来(当時、中仙道を徒歩にて往復したそうですが・・・)、1世紀を超える当山(柘植善光寺)の伝統です。
先日も昭和7年当時の「回向帳」が見つかり、とても感激したしました。それは寺総代さん達が檀信徒の方々からの「御回向申込み」を受け付ける台帳なのですが、75年が経過した今でも、その形式をしっかり守り続けていることに思わず頭が下がりました。何と言っても、かつての住職や総代さん方が時の流れに応じてのさまざまな改革に努めてくれたからこそ、このような伝統が今日まで維持されているのだと改めて思った次第です。
そして、本年6月20日(水)には約1世紀ぶりに、信州善光寺から尼宮上人(鷹司誓玉台下)をお迎えし、組寺院のご協力の下に、「法然上人八百年大遠忌法要」を盛大に厳修(ごんしゅう)する予定になっています。よろしければご参詣ください。
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2007年3月4日(日) |
山門前の階段に「手すり」を設けました。 |
予想外の暖冬の結果、いつの間にか春が来てしまったという感じです。 昔は、高校入試と中学の卒業が集中するこの時期は冷え込みが復活し、思わぬ「春の雪」に悲鳴を上げていたものでした。そう言えば、奈良東大寺の「お水取り」も春先の「寒の行事」と呼ぶのがふさわしいですが、今年はどうも勝手が違うようです。
今週と来週は、徳永寺に関わる2つの地区でお年寄りを招きお祝いするパーティー「敬老会」が催されます。それぞれ約100戸ほどの戸数ですが、いずれも参加資格の下限を何歳に定めるのかでここ数年苦慮されるほど対象者が増えてきました。いろいろと難題は山積しているものの、やはり素直にお喜びしたいものです。もっとも一方で、小中学生の数は相当少なくなってきましたが。
そして、これも高齢社会を迎えた反映の一つなのでしょう。当山の山門前の階段にも「手すり」が架けられました。これは先日来、二人の女性にご寄進いただいたことにより実現したものですが、この機会にご報告いたします。考えてみれば、寺院ほど数百年来の伝統的な造りを維持している建物も珍しい訳で、これからこのような必要性がいろいろと出てくるのではないしょうか。
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2007年2月18日(日) |
たかが旗山、されど旗山、後悔先に立たず! |
写真の山は柘植の東部に位置する旗(はた)山です。そんなに高い山ではないのですが、かつて江戸時代に伊賀上野の米相場の価格を旗を振って知らせ合ったことからこの名前が付いたと言われています。もちろん、そのような役割は明治中期にこの地に今の関西本線が敷かれたり、電信電話が普及するまでのことでした。
元々この山は地元、上柘植村各区の共有林でしたが、蒸気機関車の火花による山火事が頻発したこと(今の時代からすれば一笑に付されるかも知れませんが・・・)もあって敬遠され、やがて昭和30年代に砕石業者に売却されて以降は年々切り崩される一方です。その結果、山すその地区の小川には小魚が見られなくなり、時にその濁りが度を超すこともあるとも聞きます。先日も土地の古老の方々と語り合う機会があり、やはり当時の売却を今になって後悔することしきりの様子でした。最近では土砂の搬送のために新しい道路も造られたりしているのですが、地元民にとってプラス面は少なく、むしろ山の変形に伴う気候の変化も含めて環境の悪化が気になるところです。と言っても今更、企業の自由な経済活動を妨害するわけにも行かず、善処を要望することぐらいしかできないのでしょうが・・・・・。
旗山を抜け加太峠を越えると、そこは(同じ三重県でも)伊勢の国です。かつて本能寺の変の折、徳川家康もこの峠を越えてようやく三河の国岡崎にたどり着いたのでした。
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2007年2月1日(木) |
福は内、鬼は外! |
「一月行き、2月逃げ、3月去る」と昔から言われるように、いつものことながら年初めの数ヶ月間はとにかく早いという感じです。皆さま方のようにある程度お歳を召された(?)方々は、少年少女時代とは違って特にこの点を実感なさることが多いのではないでしょうか。
さて、今年も節分が間近に迫ってまいりました。寒気や災厄、疾病など、さまざまな災いを擬人化させた鬼を登場させ、それを家族中で追い払うという日本古来のこの伝統行事には鬼や豆まきなどとてもユーモラスな仕掛けがあります。しかもそれが立春の前日に行われ、大人も子どもも心にある種の「けじめ感覚」を確かめ合うという意味で、とても意義深い行事だと私は思っています。
ところが最近、「このような内に善くて、都合の悪いものを自分たちの外に追いやるという発想は身勝手で差別的だから行事としてはやめるか改めるべき」などと主張される方も一部にいらっしゃるようです。どうも行事の趣旨を十分理解されておられないようであり、残念の一言です。そして、この論理に立てば、「福は内、福は外こそであるべき」だとか・・・。一見、もっともらしく思えて誠に結構なことですが、この種の発言は人権感覚を単に理屈や言葉の上だけでなぞっているだけのことように私には思えます。また、そのような思いつきだけで千年以上も続いた伝統行事の趣旨を変えてしまっていいものでしょうか。
もちろん、今世の中で連日話題になっている、某大臣の例の女性差別発言などはこの人権の時代にまったくの論外のことですが。
今日からプロ野球はキャンプイン、そしてあと3日すれば立春、いよいよ「春よ来い!」ですね。
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2007年1月16日(火) |
暖冬続くけれど・・・・・。 |
年始以来の暖冬が相変わらず続いています。私ども僧侶は、毎年正月2日に各檀家さんのお宅へ年始回りに行くのですが、先代住職と共にお伺いした頃、余りの寒さに手がかじかんでお渡し用の記念品がとても出しずらく困ったのが遠い昔の事のようです。
単に暖かい冬というだけなら何も気にしなくていいのでしょうが、交通機関の普及や情報網の発達で地球人としての関係性が年々に密になっている今日、環境破壊などマイナス面での影響がたいへん心配です。早い話、春になって雪解け水が大量に不足することぐらいは素人でも予想されます。また、それらが私たち人間ばかりではなく、動植物へ与える影響をも考えると本当に深刻な問題です。
話題変わって、当山では月末の第4土曜日の27日に厄年の人を中心に「毘沙門天初寅祭」(びしゃもんてん はつとらさい)が行われます。今年は団塊の世代が還暦(61歳)となり、対象者が男女で数十名もいらっしゃるのに、初老(42歳)の男性はわずかお一人だけとなりました。今あちこちで話題になっている日本の人口構成の矛盾点がこんな田舎にもそのまま出ていることに驚いています。
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2007年1月3日(水) |
2007(平成19)年始まる |
新年明けましておめでとうございます!
徳永寺の元旦は、今年は星月夜を仰いでの「除夜の鐘」がオープニングでした。マイナス1度と寒かったですが、北斗七星をはじめ星空の下、約百名の参加者と共にこの一年を懺悔(さんげ)反省し、新しい一年を迎えた瞬間は毎年の事ながら新鮮でした。
「除夜の鐘」といえば、最近、夫婦や家族で鐘を撞きに来られる方が増えてきました。家族内でのさまざまなトラブルが話題にのぼる昨今ですが、このような寺参りの様子は、とてもほほえましく平和な光景に映ります。やはり仏さまや神様への想いというのは、理屈を超えて家族を一つにする力があるのではないかと今更ながら思った次第です。
(閑話休題)
昨年末の28日、庫裏(くり)玄関前の松ノ木をやむなく伐りました。(もちろん、お性根抜きを済ませていただいた上で・・・)百数十年以前からあったと推測される赤松でしたが、当今の松喰い虫にはついに勝てませんでした。旧町内の寺院の松ではおそらく最後だったように思います。写真下のようにもう見る影もありませんが、この1年をかけてみんなで思案し、また新しい命を育ててみたいと思っています。
大晦日、元旦そして2日の年始回りを終え、ようやく「寺窓週記」を綴る気分となりました。どうかこの一年もよろしくお願い申し上げます。
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