芭蕉と伊賀 -芭蕉生誕360年-
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芭蕉の足跡 奥の細道
奥の細道
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「奥の細道」(1689〜1690) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。

  日本の出来事 世界の出来事
1689年
イギリスで権利章典が発布。
イギリスがオランダからウィリアムをむかえ王とする。
清とロシアとのあいだでネルチンスク条約が締結される。
1690年 ケンペルが商館長付き医官として長崎に到着。 イギリス、ジョン=ロックの「人間悟性論」「政治二論」出版。
元禄2年(1689)46歳
3月27日  深川から船で東北の旅へ出立。
 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
4月1日  日光東照宮参拝。
 あらたふと 青葉若葉の 日の光
8日  14日間の滞在を終えて黒羽から那須へ向かう。
 夏山に 足駄を拝む 首途哉
 田一枚 植ゑて立ち去る 柳哉
4月20日  白河関を越える。
5月4日  仙台へ入る。
5月9日  塩竃から船で松島へ上陸。端厳寺などを参拝。
5月13日  一関から平泉を往復。
 夏草や 兵どもが 夢の跡
 五月雨の 降り残してや 光堂
5月17日〜26日  尾花沢滞在。この間、立石寺などに参拝。
 蚤虱 馬の尿する 枕もと
 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
6月3日  新庄から最上川を船で下り、羽黒山へ。
 五月雨を 集めて早し 最上川
 涼しさや ほの三日月の 羽黒山
6月6日  月山・湯殿山へ。
 雲の峰 幾つ崩れて 月の山
6月13日  酒田。
  暑き日を 海に入れたり 最上川
6月16日  象潟。
 象潟や 雨に西施が ねぶの花
6月28日  村上に入り、以下新潟、弥彦、出雲埼、親不知と日本海沿いを西へ。
 荒海や 佐渡に横たふ 天の河
7月15日〜23日  金沢滞在。
7月27日〜8月4日  山中温泉滞在。
8月14日  敦賀着。
8月21日  大垣入り。
9月6日  約140日の長旅を終え、船で桑名へ。
 曾良・路通同道で大垣出船。伊勢へ向けて揖斐川を下る。
 越人、船乗場まで見送る。
   伊勢長島に至り、大智院(住持は曾良の叔父秀精法師)に泊まる。
 七左・玄忠・由軒ら来訪、芭蕉と逢う。
7日  伊勢長島、大智院に逗留。七左・八郎左・正焉・新内ら来訪。
 木因も来る。七左とは俳諧あり。夜、八郎左へいく。
8日  雨のため発足延期。七吟歌仙あり。
 (連衆・路通・蘭夕・白之・残夜・芭蕉・曾良・木因)
   大智院滞在中、発句あり、色紙に揮毫する。伊勢の国長島、
 大智院に信宿す
 うきわれを さびしがらせよ 秋の寺
9日〜15日  長島出船。桑名下船。津着。

 久居・長禅寺(超善寺)に一宿。
 卓袋宛書簡を書く。参宮後、同行者一両名(曾良・路通)と伊賀
 帰郷の予定を告げる。また、藤堂探丸から帰郷中は同家下屋敷を
 宿所にせよと申し出のあった件は遠慮したい旨も伝える。
 山岸重左衛門(半残)宛書簡(日付欠)を書いたのも同日のことと
 推定される。
 久居発、山田着。堤世古(現伊勢市宮川町)に一宿。

 西河原の島崎味右衛門(又玄)方へ宿所を移す。滞在の間、その妻女
 に「明智が妻」句文を贈る。
 月さびよ 明智が妻の 咄しせん

 この日、松葉七太夫方で大々神楽を拝す。この折、江戸才丸・
 京信徳らと出合う。曾良・路通のほか、卓袋・杜国・李下らの門人も
 同席したと思われる。

 内宮参拝。夜、遷宮式あり、奉拝。句あり。内宮は事納まりて、外宮の
 遷宮拝み侍りて
 尊さに 皆おしあひぬ 御遷宮

 曾良、病気のため長島へ帰る。見送りの為、路通と共に中ノ郷まで行く。
 木因宛に書簡執筆。遷宮奉 拝のこと、神楽拝に才丸、信徳や門人ら
 と寄り合ったことを記す。

 二見浦見物。その前後、杜国は帰国、卓袋・路通は伊賀へ先発。
 李下のみ同行。
22日〜下旬  杉風宛書簡執筆。在伊勢筆か。大垣出発時の送留別吟、
 二見見物のことなど報ず。  

 二見
 硯かと 拾ふやくぼき 石の露

 先此の如くに候。以上
 9月12日 伊勢滞在中の発句伊勢の国、中村といふ所にて
 秋の風 伊勢の墓原 猶すごし
 守栄院
 門に入れば そてつに蘭の にほひ哉
 画賛
 枝ぶりの 日に日に替る 芙蓉かな

  李下を伴い、久居の知人を訪ねて二、三泊後、伊賀に帰郷。
10月7日  曾良、長島より伊賀上野着。芭蕉この日は他出中。
10月8日  昼間帰宅し、曾良と逢う。「手習ノ師匠ノ浪人」宅で夜会あり。
10月9日  小川次郎兵衛(風麦)邸で俳諧あり。
10月10日  曾良、上野を発ち、江戸へ向かう。芭蕉・路通は四,五町見送る。
11月1日〜中旬  友田良品宅で六吟歌仙興行。元禄二年霜月朔日、於良品亭、
 俳諧歌仙
 いざ子供 走りありかむ 玉霰

 山岸半残宅。山岸半残宅の十五吟五十韻に一座。
 半残宅で、明日土芳草庵会の下相談をし、その会席の献立
 などを決める。
11月22日  土芳の蓑虫庵で九吟五十韻興行。配力亭夜会。表六句あり。路通も
 一座。
 人々を しぐれよやどは  寒くとも

 半残主催、道心者一入の庵で一折あり。
 冬庭や 月もいとなる むしの吟

 平仲宅の吟
 屏風には 山を描きて 冬籠り

 その他の吟
 伊賀の山家に子供と遊びて
 初雪に 兎の皮の 髭作れ
 画賛
 茸がりや あぶない事に 夕時雨
 路通と同道で奈良へでる。
12月末〜1月2日  大津無名庵で越年
元禄3年(1690)47歳 ページトップへ
1月3日  膳所を去り、伊賀に帰る。敦賀以来行を共にした路通は膳所
 に泊まる。
1月4日〜1月5日  夜、藤堂探丸方から招きを受ける。
 藤堂家の家令役式之・槐市連名宛に書簡を書く。昨夜の招きに謝し、
 風邪の為明日伺候の旨を伝える。なお両人の歳旦の風評をも報す。
1月17日  万菊丸(杜国)宛書簡を執筆。杜国の無音を憂慮して様子を尋ね、
 二月中の伊賀来遊を促す。また去冬以来の動静や近作をも報ずる。

 歳旦、京ちかき心
 こもをきて たれ人ゐます 花のはる
 冬
 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
 山中の子供と遊ぶ
 初雪に 兎の皮の  髭つくれ
 南部
 雪悲し いつ大仏の 瓦ふき
 京にて鉢たたき聞きて
 長嘯の 墓もめぐるか はち敲
 歳薄
 何に此  師走の市に  ゆくからす
2月6日  西島百歳邸で九吟歌仙興行。
 うぐひすの 笠おとしたる 椿哉
3月2日  小川風麦邸で八吟四十句興行。
 元禄三年三月二日 俳諧之連歌
 木のもとに 汁も鱠も 桜かな
上旬  実家にあって、発句の草案とその改案などをしたためる。
 いもだねや 花の盛に 売ありく
 種芋や 花の盛りに  売りありく
 唐辛子  思ひこなさじ 物の種
 此たねと おもひこなさじ とうがらし
 春雨や ふた葉にもゆる 茄子種

 四吟歌仙興行
 午の年、伊賀の山中、春興
 種芋や 花の盛りに 売り歩く
3月11日  上野東郊荒木村の白髭神社で、木白(苔蘇)主催の俳諧一折興行。
 畑打 音やあらしの さくら麻
   今期伊賀滞在中の俳誌
 柳挿す北の垣根の雪掃きて
 藤堂修理(橋木子)邸で俳諧興行。
 土手の松 花や木深き 殿造り

 百歳邸歌仙会で発句勤める。ただし支障のため五句で終わる。
 こまか成 雨や二葉の なすびだね

 発句
 似あはしや 豆の粉めしに さくら狩り

 乍木亭にて
 てふの羽の 幾度越る 塀のやね

 膳所に行く人に
 獺の 祭見て来よ 瀬田のおく
下旬  伊賀より膳所に出る。
3月中旬〜4月5日  大津にて主に無名庵に滞在。
4月6日〜7月22日  幻住庵滞在「幻住庵記」執筆。
7月23日〜9月12日  大津無名庵に滞在。
8月15日  月見排席をもつ。
9月13日〜25日  堅田・本福寺。
27日  京都へ。
28日  無名庵に帰庵。
30日〜10月  無名庵を発ち、旧里の道すがら
 しぐるるや 田の新株の 黒むほど
 伊賀上野に帰郷。

 伊賀上野在中。松本氷固宅で歌仙一折あり、発句を勤める。
 きりぎりす わすれ音になく こたつ哉

 
嵐蘭宛返信を執筆。嵐蘭稿「焼蚊辞」の難点を指摘。
 去来編集予定「猿蓑文集」に推薦の内意を伝える。
12月末  大津の乙州宅で越年。
※参考、「芭蕉を歩く東海道・中山道」、「芭蕉翁記念館ホームページ: 松尾芭蕉(三重での行動)」
 
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