「嵯峨日記」出立前の芭蕉 (1691) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。 |
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日本の出来事 |
世界の出来事 |
1691年 |
幕府が、湯島に昌平坂学問所をつくり、林家を世襲の大学頭とする。 |
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元禄4年(1691)48歳 |
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1月 |
南を去り、伊賀に戻る。(6〜8日頃か。)以後3月末まで逗留。
正秀宛書簡を執筆。
智月宛書簡を執筆。
藤堂修理長定(橋木)屋敷で句会あり。
伊陽山中初春
やまざとは まんざい遅し 梅花
卓袋宅の月待ちに招かれて句あり。
月待や 梅かたげ行 小山伏 |
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2月 |
両3名を誘って奈良の薪能見物。伊賀に戻る。
怒誰宛書簡を執筆。
珍夕(珍碩)宛書簡執筆。
愚句
不性さや 抱き起さるる 春の雨
又ここもと門人の句に
庭興
梅が香や 砂利敷き流す 谷の奥
今おもふ所に聊か叶ひ候へば書き
付け進じ候
二月廿二日 芭蕉
珍夕様 |
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3月 |
去来宛書簡を執筆。
万乎別墅桜見の会で俳諧一折興行。
年々や 桜を肥やす 花の塵
伊賀滞在中の俳事
尾張の人から酒・木曾の独活・茶を贈られて門 人らに披露の
折、俳諧あり
のミあけて 花生にせん 二升樽
赤坂の実家の庵で来訪の人俳諧一折。
山吹や 笠に指べき 枝の形り |
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「嵯峨日記」 |
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元禄4年(1691)48歳 |
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4月18日 |
嵯峨野の落柿舎に入る。 |
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19日 |
臨川寺に詣でる。 |
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20日 |
去来、凡兆の妻くる。 |
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24日 |
堅田より本福寺の住職千那くる。 |
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25日 |
千那帰る。乙州、丈草くる。 |
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5月2日 |
曾良が訪れる。 |
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5日 |
落柿舎をあとにする。 |
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6月25日〜9月28日 |
大津無名庵滞在。 |
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9月28日 |
江戸へ発つ。 |
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