「芭蕉最後の旅」(1694) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。 |
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日本の出来事 |
世界の出来事 |
1694年 |
江戸に十組問屋が成立。大阪に二十四組問屋が成立。 |
イングランド銀行が創立され、初の銀行券が発行される。 |
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元禄7年(1694)51歳 |
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5月11日 |
大津乙州宅、膳所曲翆宅滞在。その後、この日、二郎兵衛少年を伴い、
帰省の途に就く。曾良も途中までの予定で同行。 |
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26日〜28日 |
勢州長島に至り、曾良の叔父の住持する大智院に泊まる。
久兵衛方も訪れる。
久居に至り一宿。
伊賀上野に着く。 |
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閏5月4日 |
半残の訪問をうける。 |
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閏5月5日 |
氷固より到来品を得て礼状を執筆。 |
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閏5月10日 |
山田屋七郎右衛門(雪芝)宛書簡を執筆。 |
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閏5月11日 |
雪芝宅に招かれ、歌仙1巻興行。
涼しさや 直に野松の 枝の形 |
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閏5月16日 |
ニ郎兵衛同伴で伊賀上野を発ち湖南に向う。 |
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6月15日〜7月5日 |
大津無名庵滞在。 |
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7月中旬〜 |
伊賀上野に帰る。以降、9月8日まで滞在する。 |
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15日 |
実家で盆会を迎え、発句あり。
家はみな 杖にしら髪の 墓参
尼寿貞が身まかりけると聞きて
数ならぬ 身となおもひそ 玉祭り |
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22日 |
当日付の大津木節書簡受信。餞別一句を記し、秋冬中の
来遊を乞う。 |
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28日 |
猿雖亭で七吟歌仙興行。(連衆)猿雖、芭蕉、配力、望翠、土芳、
卓袋、苔蘇。
鶴の頭を上ぐる粟の穂 |
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中下旬 |
猿雖亭に土芳と一宿。
いなづまや 闇の方行 五位の声
藤堂玄虎邸に遊び、発句あり。これを立句に表六句からなる。
風色や しどろに植し 庭の秋
六吟歌仙成る。 餌畚ながらに見するさび鮎
雪芝と発句脇の応酬あり。 放す所に居らぬ松虫 |
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8月1日 |
当日付の堤久兵衛(利合)書簡受信。当日付の北枝書簡受信。
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3日 |
当日付の酒堂書簡受信 |
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7日 |
望翠亭夜会で芭蕉発句の歌仙あり。。 |
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9日 |
去来宛書簡を執筆。
猿雖亭で土芳を交えて三吟表六句を作る。
清水出る溝の小草に秋立ちて |
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14日 |
大津の智月より時候見舞ひとして南蛮酒一樽、麩、菓子など届く。 |
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15日 |
伊賀門人衆の出資で成った新庵で月見の会を主催、
門人多数を招く。
名月に 麓の霧や 田のくもり
名月の 花かと見へて 棉畠
今宵誰 よし野の月も 十六里 |
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20日 |
露川・素覧連名宛書簡を執筆。 |
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23日 |
この頃素牛来伊賀、猿雖亭で四吟俳諧興行。 |
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24日 |
八吟歌仙に一座。 |
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今秋伊賀滞在中の発句 冬瓜や たがひにかはる 顔の形
鶏頭や 雁の来る時 なほ赤し
新藁の 出初てはやき 時雨哉
顔に似ぬ ほつ句も出でよ はつ桜 |
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9月4日 |
九吟歌仙興行。
まつ茸や しらぬ木の葉 へばりつく
猿雖亭で七吟五十韻興行。
町の門迫はるる鹿の飛び越えて |
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5日 |
元説亭で俳諧一折あり。
行くあきや 手を広げたる 栗のいが |
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上旬 |
『続猿蓑』に入集のため、江戸沾圃の発句を立句に脇紀し
三吟歌仙を巻く。
日は寒けれど静かなる岡
支考と協議しつつ『続猿蓑』の編集を完了。 |
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6日 |
支考、素牛、実家の又右衛門、江戸から戻った二郎兵衛に
付き添われ、伊賀を出る。 |
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9月9日 |
大坂着。 |
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10月12日 |
大坂にて病没。 |
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