芭蕉と伊賀 -芭蕉生誕360年-
  芭蕉翁記念館 参考文献 サイトマップ 問い合わせ
ホーム 芭蕉の故郷「伊賀上野」 芭蕉作品集 芭蕉の足跡 伊賀上野芭蕉史跡ガイド 芭蕉祭の紹介
芭蕉を偲んで
伊賀上野周辺の史跡
芭蕉翁生家(赤坂町)
釣月軒(赤坂町)
上野天神宮(東町)
蓑虫庵(西日南町)
様々園(玄蕃町)
故郷塚(農人町)
俳聖殿
伊賀上野周辺の句碑
市街地
ふるさと芭蕉の森公園
くれは水辺公園
下友生橋欄干
その他
芭蕉が歩いた伊賀の街道
大和街道
伊賀街道
初瀬街道
伊賀上野芭蕉史跡ガイド
HOME > 伊賀上野芭蕉史跡ガイド > その他
伊賀上野周辺の句碑
その他
>>地図はこちら
20. 畠うつ 音やあらしの さくら麻
句碑20
【上野市荒木 周知荒木神社】
元禄三年(1690)春の作。季語は「畠うつ」。芭蕉が荒木の白髪神社にて詣でたときの吟。昭和三十二年(1957)、須賀荒木神社(白髪神社)奉賛会により建碑。書は芭蕉研究家でアララギ派歌人、菊山当年男。
(句意)桜麻の種下しを前に、農夫たちの盛んに畑土を打ち返す音が、まるで桜を散らす春の嵐のように荒々しいことよ。
21. 月ぞしるべ こなたへ入ぜ 旅の宿
句碑21
【上野市三田 JR伊賀上野駅前】
寛文三年(1663)秋の作。季語は「月」。芭蕉の初期に属する句。昭和五十六年(1981)十二月二十三日、上野市観光協会建碑。書・匠案は地元の画家、濱邊萬吉。
(句意)月の光を道しるべに、さあ、こちらへ入って旅の宿をお取りなされよ。旅のお人よ。
22. しぐるるや 田のあらかぶの 黒む程
句碑22
【上野市西高倉 番屋の辻】
元禄三年(1690)冬の作。季語は「時雨」。伊賀上野の実家へ帰る道中の吟。昭和四十二年(1967)十月、西倉老人会建碑。書は杉森千柿。
(句意)山道沿いの田圃に点々と居並ぶまだ新しい稲の刈り株が、折しも回り来たった潔い時雨にぬれて、みるみる黒ずんだ濡れ色に変ってゆく。
23. 蛇くふと きけば恐ろし 雉の声
句碑23
【上野市西山 新居小学校文教場跡】
元禄三年(1690)春の作。季語は「雉」。昭和四十二年(1967)十月十二日、西山老人クラブ建碑。書は重倉亀太郎。
(句意)古歌に「妻呼ぶ雉子」、「子を思ふ雉子」、「貌佳鳥」などと優しく詠まれた雉子だが、蛇を食うなどと菊と、あのほろろと鳴く声も恐ろしく聞こえる。
24. 高水に 星も旅寝や 岩の上
句碑24
【上野市岩倉 岩倉峡】
元禄六年(1693)秋の作。季語は「星合」。星合とは七夕の夜、牽牛・織女の二星が合うこと。昭和六十三年(1988)十月十二日、岩倉峡保勝会建碑。書は芭蕉真跡を模刻。
(句意)せっかくの七夕がこの荒れ模様だ。天の川もきっと大水が出てあの鵲の橋を押し流し、織姫も渡るに渡れず、小野小町よろしく川原の冷たい岩の上でひとり寂しく旅寝しているだろうよ。
25. 五月雨も 瀬ぶみ尋ねぬ 見馴川
句碑25
【上野市西高倉 岩倉峡ふれあい公園】
寛文一〇年(1670)夏の作。季語は「五月雨」。平成六年(1994)八月十九日、岩倉峡保勝会建碑。書は芭蕉翁記念館長、山本茂貴。
(句意)川の増水で分らなくなった瀬を探ろうと、脚を踏み入れて瀬踏みしているわい。ふだん見馴れて知ってるはずの見馴河なのに。
ページトップへ
26. 春なれや 名もなき山の 薄霞
句碑26
【上野市三軒家 旧奈良街道】
貞亨二年(1685)春の作。季語は「春」。伊賀上野から奈良街道を西へ笠置、加茂の辺りから奈良に出るときの吟。昭和五十八年(1983)三月、地元の俳人、馬宿一木(末吉)建碑。書は芭蕉翁記念館長、山本茂貴の臨写。
(句意)ああ、もう春なのかなあ。こんな名もない平凡な山々にもうっすらと霞がたなびいている。
27. うぐひすの 笠おとしたる 椿哉
句碑27
【上野市長田 金刀比羅神社】
元禄三年(1690)春の作。季語は「うぐいす、椿」。平成六年(1994)二月六日、金刀比羅神社奉賛会により建碑。書は芭蕉翁記念館長、山本茂貴。
(句意)庭先でしきりに鶯が囀っている。そのさなか、鶯が美しい花笠を落としたとでもいうふうに、椿の花がポトリと散り落ちたことよ。
28. やがて死ぬ けしきは見えず せみの声
句碑28
【上野市長田 西蓮寺】
元禄三年(1690)夏の作。季語は「せみ」。昭和五一年(1976)七月十一日、十河泰雄・別所法山・前田俊雄。萩野進一の建碑。書は服部土芳(芭蕉の門人)の真跡草稿の模刻。
(句意)間もなく死ぬ様子などみじんも見えず、蝉は根限り、ただひたすらに鳴きしきっている。
29. 一里は 皆花守の 子孫かや
句碑29
【上野市予野 花垣神社鳥居脇】
元禄三年(1690)春の作。季語は「花守」。昔懐かしい花垣の庄にて、挨拶の意を込めて作った即興の句。天保六年(1835)二月、川口右文(川口竹人(30参照)の子孫)による芭蕉真跡の模刻と推定。
(句意)王朝の昔、この花垣の庄では、花七日の間花守がついたと伝えるが、今この地に住んでいる里人たちは、みなその花守の子孫なのであろうか。
30. 香に匂へ うに掘る岡の 梅の花
句碑30
【上野市菖蒲池 市場寺】
貞亨五年(1688)春の作。季語は「梅」。伊賀は古琵琶湖層群と呼ばれる地質の属し、うに(亜炭)の埋蔵地帯。うには伊賀地方の方言。昭和三十九年(1964)六月十六日、古山北老人クラ建碑。書は、上野市長、豊岡益人。藤堂元甫の家臣で史学者の川口竹人(『三国地志』の編集纂・芭蕉伝記『蕉翁全伝』の著者)の句が併刻されている。
(句意)泥炭を堀り起した殺風景な岡の上にも、梅は美しく咲いている。梅の花よ、香ぐわしく匂って、泥炭のいやな臭いを和らげてくれよ。
 
31. 城跡や 何やらゆかし 菫草
句碑31
【上野市丸山 丸山上跡南道】
「山路きて何やらゆかし菫草」の上五を「城跡や」に変造したもので、厳密には芭蕉翁句碑とはいえない。もともとここには「夏草や兵どもが夢のあと」の句碑が建てられていたが、行方がわかならくなり新造した。その際、上五を誤認したともいわれている。道標としての性格が強い。
(句意)春の山路を辿って来て、ふと、道端にひっそりと咲く菫を見つけた。ああ、こんなところに菫がと、その可憐さにただ理屈もなく無性に心ひかれることよ。貞享2年3月、大和行脚につづく、京都から伏見をへて大津にいたる山路で詠む
 
32. 月ぞしるべ こなたへの入ぜ 旅の宿
【上野市西明寺 サンピア伊賀】
平成十一年(1999)四月一日、建碑。書は全日本教育書道院の会員。柴田仙舟。
(句意)月の光を道しるべに、さあ、こちらへ入って旅の宿をお取りなされよ。旅のお人よ。
 
※ なお、記載内容において、建立者及び書の揮毫者の敬称は省略させていただき、役職名は建立当時のものといたしました。
 
ページトップへ
芭蕉と伊賀