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■ 市街地 |
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1. さまざまの 事おもひ出す 桜哉 |
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【上野市丸之内 上野公園天守閣東】
貞享五年(1688)春の作。季語は「桜」。大正8年(1919)、「上野俳句会」の俳人らにより建碑。書は、浜松の俳人大蕪庵十湖とも上野町会議員の奥森春陽(安次郎)とも伝えられる。
(句意)この桜を眺めていますと、ご奉公していた昔の思い出がさまざま止めどもなく蘇って来ます。
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2. やまざとは まんざい遅し 梅花 |
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【上野市丸之内 上野公園東口】
元禄4年(1691)の初春、伊賀上野の生家に帰省中の作。季語は「梅」。昭和42年(1967)9月10日、財団法人芭蕉翁顕彰会と実業家町野七右衛門により、建碑。書の原型は、芭蕉真跡懐紙。
(句意)辺鄙な山里には万歳も遅い。正月も半ば過ぎて梅も花盛りを迎えた今頃、やっと来たことよ。 |
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3. 升かふて 分別かわる 月見かな |
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【上野市丸之内 上野市役所南】
元禄7年(1694)の秋の作。季語は「月見」。平成6年(1994)12月2日、伊賀地方の七金融機関により建碑。
(句意)今夜は十三夜の月見に赴く約束だったのに、途中、升市で名物の升を買ったら、急に世帯気が起きて了簡が変り、月見はやめて戻ってきたわい。 |
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4. 自然 注目従天謂道 従道謂自然矣 |
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【上野市丸之内 上野市役所前】
この碑は文学碑に属し、「自然」は芭蕉翁の俳諧理念・詩人としての精神をしめす語。芭蕉の筆跡は短冊・懐紙・書簡と主で、このような大字物は少ない。昭和54年(1979)5月6日、伊賀上野ライオンズクラブの建碑。撰文および匠案は、地元の画家、濱邊萬吉。芭蕉の真跡(元禄初期と推定)を模刻。
自然・・・(1)〔仏〕 ある事物や事態が、外部からの影響力によるのではなく、それが本来的に備えている性質によって、一定の状態や特性を生ずること。(2)万物は因果によって生じたのではなく、現在あるがままに存在しているものだとする考え。仏教の因果論を否定する無因論で、外道(げどう)の思想の一つ。(3)人為が加わらないこと。ひとりでにそうなること。ありのまま。 |
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5. きてもみよ 甚べが羽織 花ごろも |
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【上野市丸之内 だんじり会館】
寛文11年(1671)春の作。季語は「花ごろも」。
平成7年(1995)2月14日、(株)大金製作所の建碑。書は「貝おほひ」の文字を模刻。
(句意)甚兵衛さんよ。甚兵衛羽織が自慢らしいが、それを花見衣に着て花見に来て見よ。この花の見事さには我折ってしまうだろう。 |
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6. さまざまの 事おもひ出す 桜哉 |
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【上野市玄蕃町 様々園[非公開]】
旧主藤堂良忠(蝉吟)の遺子良長(深丸)の招きにより八景亭の花見に伺候した芭蕉は、蝉吟との交情の数々を心に秘め、この句を挨拶の句とした。それよりこの八景亭は様々園と称されるようになった。昭和5年(1930)、当時の邸の所有者、渡邊喜兵衛の建碑。書は芭蕉真跡の懐紙を模刻。
(句意)この桜を眺めていますと、ご奉公していた昔の思い出がさまざま止めどもなく蘇って来ます。
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7. 草いろいろ おのおの花の 手柄かな |
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【上野市丸之内 上野市立図書館前】
貞享5年(1688)秋の作。季語は「草の花」。昭和59年(1985)6月、上野ロータリークラブにより建碑。右に内閣総理大臣 中曽根康弘による句の揮毫。左にこの句の英訳とアメリカ合衆国大統領 ロナルド・レーガンの署名。昭和58年に来日したレーガン大統領衆議院本会議場での演説でこの句を引用。
(句意)秋の野の千草が、それぞれに特色のある美しい花を咲かせて手柄を競っているよ。 |
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8. 初さくら 折りしもけふは よき日なり |
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【上野市東町 上野天神宮】
貞享5年(1688)春の作。季語は「さくら」。昭和44年(1969)4月25日、菅原神社奉賛会により建碑。書は初代上野市長の杉森千柿(万之輔)。
(句意)境内には初桜がちらほら咲いてお天気もよく、会の発足にふさわしいまことによい日だ。
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9. 草臥て 宿かる比や 藤の花 |
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【上野市西大手町 ふじ旅館】
貞享5年(1688)春の作。季語は「藤の花」。昭和56年(1981)6月9日、岡本重光建碑。書は人間探求派の俳人加藤楸邨。
(句意)一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。 |
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10. よくみれば なづな花さく 垣ねかな |
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【上野市西日南町 蓑虫庵】
貞享3年(1686)春の作。季語は「なづなの花」。伊賀地方には正月になづなの若菜を摘み七草粥を炊く習慣がある。昭和14年(1939)当時の庵の所有者、菊本直次郎建碑。書も同氏。(菊本直次郎:上野市出身、明治3年9月生れ、三井銀行会長を務める。)
(句意)ふだんは気にも止めぬ垣根の根元に、よく見ると、薺の花が目立たずひっそりと咲いている。野ざらしの旅から帰った翌貞享3年の春詠む。 |
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11. 古池や 蛙飛び込む 水の音 |
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【上野市西日南町 蓑虫庵】
貞享3年(1686)春の作。季語は「蛙」。古池の位置づけはないが江戸深川の芭蕉庵の傍と解される。芭蕉の代表作であるこの句は、蕉風展開の句として閑寂幽玄の句風を打ちたてる基になった。句碑はもと、深川の草庵に建てられていたもの。昭和初期に当時の庵の所有者、菊本直次郎により移建。書は不詳。
(句意)春日遅々たる春の昼下がり。水の淀んだ古池は森閑と静まり返っている。と、一瞬、ポチャッと蛙の飛びこむ水音がして、あとは再びもとの静寂。 |
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12. みのむしの ねを聞にこよ くさの庵 |
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【上野市恵美須町 銀座通りロータリー】
貞享4年(1687)秋の作。季語は「みの虫」。江戸深川での吟。平成元年(1997)3月、伊賀上野ライオンズクラブ建碑。書は芭蕉真跡の模刻。
(句意)秋深く寂しさの極まるわが草庵に来て、ともにあわれ深い蓑虫の声を聞けよ。わが友よ。 |
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13. 古里や 臍のをに泣 としのくれ |
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【上野市赤坂町 芭蕉翁生家】
貞享4年(1687)冬の作。季語は「としのくれ」。「笈の小文」の旅で故郷に帰って詠んだ句。昭和38年(1963)10月12日、財団法人芭蕉翁顕彰会建碑。芭蕉真跡を拡大して転写。匠案は地元の画家、濱邊萬吉。
(句意)久しぶりで故郷の生家に帰って来た年の暮。自分の臍の緒をふと手に取ってみると、遠い幼児のころや、亡き父母の慈愛の昔がしきりに思い出されて、ただ懐旧の涙にくれるばかりである。
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14. 冬籠り またよりそはん 此はしら |
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【上野市赤坂町 芭蕉翁生家】
元禄元年(1688)冬の作。季語は「冬籠り」。昭和59年(1984)4月7日、伊賀上野ライオンズクラブにより建碑。書・匠案は地元の画家濱邊萬吉。
(句意)草庵にいてはいつも柱に背をもたせて沈思する自分。去年から長旅をして、つい寄りかかることもなかったが、今年の冬籠りは、またこの懐かしい柱に寄りかかって暮らそうと思う。
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15. 家はみな 杖にしら髪の 墓参り |
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【上野市農人町 愛染院】
元禄7年(1694)秋の作。季語は「墓参り」。今は夏の季語とすることもある。この句を読んだ年の冬、芭蕉はこの世を去ってしまう。昭和39年(1964)5月3日、飯野哲二(東北大学名誉教授・芭蕉研究家)・若生小夜(芭蕉の門人去来の草庵・京洛北嵯峨『落柿舎』の庵主)」の建碑。書も飯野氏。
(句意)兄弟親族も今はみな年老いて、杖にすがり白髪頭を連ねて、ご先祖様の墓参りをすることだ。
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16. 数ならぬ 身となおもひそ 玉祭り |
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【上野氏農人町 愛染院】
元禄7年(1694)秋の作。季語は「魂祭り、霊祭り、玉祭り」。「数ならぬ身」には、物の数に入らぬいやしいわびしいという、身内に対する謙虚な意味が含まれている。昭和46年(1971)10月12日、若生小夜の建碑。
(句意)生涯を不仕合わせに終わったお前だが、決して取るに足らぬ身だなどと思うでないよ。
玉祭には、多くの仏達と同等に祭られているではないか。 |
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17. 新藁の 出初て早き 時雨かな |
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【上野市車坂町 西麓庵跡】
元禄七年(1694)秋の作。季語は「新藁」。昭和四十三年(1968)五月、車坂町老人クラブにより建碑。書は芭蕉翁記念館長、桃井隆康。
(句意)稲刈が済み、稲扱が始まって新藁が出始めたばかりなのに、早くも時雨が回って来たことよ。 |
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18. 手ばなかむ おとさへ梅の にほひかな |
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【上野市一ノ宮 敢国神社】
貞亨五年(1688)春の作。季語は「梅」。伊賀での吟。昭和三十七年(1962)十二月、敢国神社崇敬会により建碑。書は三重県文化財委員、村治圓次郎(芭蕉研究家・郷土史研究家)。
(句意)花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。
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19. 花を宿に はじめおわりや はつかほど |
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【上野市平野中川原 上野フレックスホテル】
貞亨五年(1688)春の作。平成八年(1996)五月十七日、伊賀上野ライオンズクラブ建碑。書は伊賀上野ライオンズクラブの豊岡正義。
(句意)桜の咲き始めから散り終わるまでの二十日ほどを、文字通り花の中に宿って過したことよ。
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※ なお、記載内容において、建立者及び書の揮毫者の敬称は省略させていただき、役職名は建立当時のものといたしました。 |
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