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■ 下友生橋欄干 |
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豊かな緑に囲まれた自然と調和するまちとして誕生した上野新都市「ゆめぽりす伊賀」への道中、久米川にかけられた下友生橋の欄干に、漂泊の詩人、芭蕉翁の旅姿とともに芭蕉翁の句の刻まれた銅版がある。平成3年(1991)3月設置。書はいずれも地元の画家、濱邊萬吉によるもの。 |
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59. 世を旅に 代かく小田の 行き戻り |
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元禄7年(1694)夏の作。季語は「代かく」。
(句意)生涯を旅に暮した自分は、思えば、いま向こうの田の中で代掻きをしている農夫が、休む間もなく生きつ戻りつしているようなものだった。
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60. 五月雨も 瀬ぶみ尋ねぬ 見馴川 |
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25参照
(句意)五月雨が、川の増水で分らなくなった瀬を探ろうと、脚を踏み入れて瀬踏みしているわい。ふだん見馴れて知ってるはずの見馴河なのに。 |
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61. 川上と この川しもや 月の友 |
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元禄6年(1693)秋の作。季語は「月」。小名木川に舟を浮かべ、深川五本松付近での吟。
(句意)この五本松に舟をさして名月を賞するにつけても、ああこの川上には、今ごろ同じ心で月を仰ぐ風雅な友がいるのだなあと、事改めて思うことだ。 |
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62. みな出て 橋をいただく 霜路かな |
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元禄7年(1693)冬の作。季語は「霜路」。
(句意)老いも若きも挙って繰り出し、橋の有り難さに手を合わせながら足跡一つない霜を踏んで渡る。 |
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※ なお、記載内容において、建立者及び書の揮毫者の敬称は省略させていただき、役職名は建立当時のものといたしました。 |
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