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■ 伊賀街道
平松宿(大山田村平松〜下阿波) |
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伊賀上野から長野峠を越えて津にいたる伊賀街道の峠下の宿場として発達しました。 |
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江戸時代以前、庶民は自分で米・漬物・銭などを携帯して旅行していましたが、江戸時代に入り、やがて宿屋が食事・菓子・酒肴などを用意する旅籠形式の宿泊方法が多くなりました。 |
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昭和40年頃まで旅館を営んでいましたが現在は、空家になっています。2軒分の広い屋敷で、妻入大屋根、格子造り、二階の手すりの下には七福神、鯉大橋茶屋などの凝った瓦が残っています。 |
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重源上人 創建。(建仁2年/1202)、宝梁比丘再建(寛政元年/1748)。真言宗。本尊は快慶作の丈六金色阿弥陀如来三尊像。後に、その頭部を京仏師祐慶が坐像に彫造し直した。
境内に芭蕉句碑「丈六に 陽炎高し 石の上」がある。 |
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「から傘に 押し分け見たる 柳かな」 かつては、このあたりに4,5軒の茶屋があったという。
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